さあ、満を持しての登場です!
「常設展へ行こう!」を名乗る本連載には
決して欠かすことのできない美術館、
上野の「国立西洋美術館篇」。
かの「松方コレクション」をベースにした
見応え120点満点のコレクションを、
4時間半もかけてご案内いただきました。
全13回に渡って、たっぷりお届けします。
これを読んだら、ぜひぜひ、
東アジア最高峰とされる西洋美術の殿堂を、
訪れてみてください。
きっと、いっそう楽しめると思います!
担当は、ほぼ日の奥野です。

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第3回 赤外線で「下描き」を見る!

──
赤外線を当てて、隠れていた下描きを見る。
見えてます、バッチリ。すごーい。
髙嶋
可視光線よりも波長の長い赤外線は、
絵の具の層の奥にまで届いて、
そこから、跳ね返ってくるんですね。
その、跳ね返ってきた赤外線を
特殊なカメラで撮影して
画像に変換すると、
絵の具の層の表面よりも深いところまで、
見ることができるんです。
──
なるほど、なるほど‥‥
理屈ではわかるけど、すごいことですね。
可視光線は絵の表面で反射しちゃうから、
絵の具の下にまでは届かない、
つまり下描きを見ることはできないんだ。
髙嶋
ここでは、その結果を展示しています。
まずクラーナハの《ゲッセマネの祈り》。
となりの《聖ヒエロニムス》という絵は
板に描かれているんですが、
ルネサンス期くらいの油絵には
下描きが施されています。
ただ、当時は鉛筆なんかはなかったので、
インクのような液体を用いて
筆や羽ペンで描いたり、
チョーク、木炭のようなもので。
そのうえに、
油絵の具やテンペラで描いているんです。

ルカス・クラーナハ(父)《ゲッセマネの祈り》 ルカス・クラーナハ(父)《ゲッセマネの祈り》

──
テンペラというのは、
ニワトリの卵とかを使った絵の具ですね。
それにしてもバッチリ見えてますね。
髙嶋
たとえば、手の部分に、ご注目ください。
デッサンの跡が見えますけれど、
手の角度を、かなり修正していますよね。
あるいは、手に持っているムチなども、
最終的には
下描きとは角度を変えて描いていますね。
──
ほんとだ。
髙嶋
わたしたちは「顔」にいちばん苦労して、
いろいろ描き直しているのかななんて
思ってしまいがちですけど、
この絵では、顔にはそれほど描き直しはない。
画家が腐心しているのは「手」なんです。

聖ルキア伝の画家《聖ヒロエニムス》 聖ルキア伝の画家《聖ヒロエニムス》

──
わあ、そういうこともわかるんですね。
おもしろい!
髙嶋
あるいは、このあたりの植物の描写って
非常に細かいんですけど、
赤外線で見ると、下描きをしていません。
この作家は、これほど細密な表現も
下描きなしで描ける技量があったんだな、
ということもわかってくるんですよ。
──
わあ‥‥このおじさんのあごひげとかも、
最終的には、
下描きよりも少し控えめだったりしてる。
隠された下描きを見ることができれば、
どういった変遷をたどって
その絵が
最終的な表現へたどりついたのか‥‥が、
よくわかりますね。
髙嶋
そうそう、
画家がどのへんで苦労したのか‥‥とか。
究極的には、この作品の「ニセモノ」が
後世につくられたとしても、
下描きまでは、真似することができない。
赤外線で見れば「本物」にしか、
その画家に特有のデッサンは、見えない。
──
そこで「真贋」を判断できると。
下描きまで再現された「贋作」を描いたら、
それはそれで、とんでもないですよね。
ちなみにこれは、どなたの絵なんですか。
新藤
「聖ルキア伝の画家」と呼ばれる人の絵画です。
つまり、聖ルキアという聖人の物語を描いた
祭壇画で知られている
初期ネーデルラント絵画の画家なんですけれど、
正確な名は伝わってはいないんですね。
髙嶋
赤外線には波長の長短の別があって、
こちらの絵は
もう少し短い波長で見ているんですけど、
ここ‥‥当初は、
背景に木が描かれていたようなんです。
──
はい、ほんとだ。大きな木が見えます。
髙嶋
最終的に背景は町並みになったんですが、
最初は、森林風景が描かれていた。
なので、この調査だけでは、
いつの時代かはわからないんですけれど、
いつかの時点で、
現在の町並みの風景に描き変えられたな、
ということもわかるんです。
──
はああ‥‥こういう調査って、
いつごろからやってらっしゃるんですか。
髙嶋
赤外線調査については、
本格的にはじめたのは数年前からですね。
──
あ、そんなに最近なんですか?
髙嶋
はい。赤外線の調査自体は、
第二次世界大戦が終わったくらいから
はじまっているんですけど、
10年ほど前、赤外線に
非常に感度のいいカメラができまして。
──
機材の進歩でドライブがかかった、と。
いわゆるX線とはまた別なんですよね。
髙嶋
はい、X線はもっと突き抜けるんです。
赤外線以上に。
赤外線は絵の具層のなかへ入っていき、
地塗り、下塗りの部分で
跳ね返ってくるような感じなんですね。
X線は、板までぜんぶ突き抜けちゃう。
だからむしろ、
内部の構造を見るときに便利なんです。
板に生じている亀裂とか釘の跡とか、
金属なんかはハッキリと写りますから。

──
髙嶋さんは、こういう調査もやりつつ、
展示室の温湿度の管理をされていたり。
新藤
髙嶋のような「保存科学の専門家」が
いてくれること自体、
美術館にとってすごく大きなことです。
美術史系の研究員が専門を超えて、
一緒に共同研究をやったりできますし。
髙嶋
今回の赤外線による撮影については、
株式会社ニコンさんに
全面的なご協力をいただいています。
赤外線のカメラって、進歩しているとは言え、
まだまだ画素数が足りない。なので、
ワンショットで作品全体を撮れるわけじゃなく、
20ショット30ショットにわけて撮って、
それらをパソコン上で合成しているんですね。
──
そうなんですか。
髙嶋
そういった作業の場面でも、
ニコンさんが協力してくださってるんです。
新藤
ちょっとトレンドめいたことでもあります。
古い時代の絵に対し、
科学的な調査でアプローチしてゆくことで
いままでは
分析できなかったような問題にも
取り組むことができるようになる。
美術史的な調査にも、科学的な調査が
ますます活かされるようになってきています。
──
サイエンス方面からのはたらきかけで、
わかったりすることもありますもんね。
顔じゃなくて手にこだわっていたとか、
さっきの例で言っても。
新藤
保存科学の専門家と
美術史家との共同研究のような動きが
世界的にも目立っていますね。
オールドマスター、
古い時代の絵を分析するときは、とくに。
──
たしか、ちょっと前に
フェルメールの絵で、
壁に大きなキューピッドの絵があったのが、
消されていた‥‥みたいなニュースが。
新藤
あれも一例と言えないことはないですよね。
──
あれも赤外線で見てるんですか?
髙嶋
はい、X線透過撮影や赤外線調査などのほか、
顕微鏡を使った調査などの成果ですね。
新藤
古い時代の西洋絵画のこういった科学的調査は、
日本ではいまのところ
当館でしかできないと思います。
そしてそれも、
髙嶋のようなスペシャリストがいるからこそ、
できることです。

(つづきます)

※作品の保存・貸出等の状況により、
 展示作品は変更となる場合がございます。

2023-08-11-FRI

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  • 国立西洋美術館の リニューアルプロジェクトを記録した ドキュメンタリーがおもしろい!

    2016年、世界遺産に指定された
    ル・コルビュジエ建築の国立西洋美術館。
    この「常設展へ行こう!」の連載が
    はじまる直前、地下にある
    企画展示館の屋上防水更新の機会に、
    創建当初の姿へ近づけるための
    リニューアル工事がはじまったのですが、
    その一部始終を描いた
    ドキュメンタリー映画が公開中です。
    で、これがですね、おもしろかった。
    ふだんは、見上げるように鑑賞している
    巨大な全身肖像画‥‥たとえば
    スルバランの『聖ドミニクス』なんかが
    展示室の壁から外されて、
    慎重に寝かされて、
    美術運搬のプロに運ばれていく姿なんか、
    ふつう見られないわけです。
    それだけで、ぼくたち一般人には非日常、
    もっと言えば「非常事態」です。
    見てて、めちゃくちゃドキドキします。
    重機でロダン彫刻を移動する場面とかも
    見応えたっぷりで、
    歴史的な名画を描いたり、
    彫刻をつくったりする人もすごいけど、
    それを保存したり修復したり
    移動したり展示する人も同じくすごい!
    全体に「人間ってすごい」と思わせる、
    そんなドキュメンタリーでした。
    詳しいことは映画公式サイトでご確認を。
    また、その国立西洋美術館の
    現在開催中の企画展は、
    「スペインのイメージ:
    版画を通じて写し伝わるすがた」です。
    展覧会のリリースによると
    「ゴヤ、ピカソ、ミロ、ダリら
    巨匠たちの仕事を含んだ
    スペイン版画の系譜をたどることに加え、
    ドラクロワやマネなど
    19世紀の英仏で制作された
    スペイン趣味の作品を多数紹介します」
    とのこと。まだ見に行ってないのですが、
    こちらも、じつにおもしろそう。
    常設展ともども、夏やすみにぜひです。

    常設展へ行こう!

    001 東京国立博物館篇

    002 東京都現代美術館篇

    003 横浜美術館篇

    004 アーティゾン美術館篇

    005 東京国立近代美術館篇

    006 群馬県立館林美術館篇

    007 大原美術館篇

    008 DIC川村記念美術館篇

    009 青森県立美術館篇

    010 富山県美術館篇

    011ポーラ美術館篇

    012国立西洋美術館

    013東京国立博物館 東洋館篇