中前結花
ほぼ日の塾第4期生

イラストちえ ちひろ

おひさしぶりです。
「ほぼ日の塾」の第4期生、中前です。
マンションの管理人である父に会いに行ったり
ペットボトルのキャップを床一面に並べて数えたり‥‥。
なんだかおかしな読みものを書かせてもらってから、
早いもので2年近くが経ちました。
あいかわらず、こうしてチマチマと
文章を書いていますが、今年は、いつになく
机と向き合っている時間がとても長いです。
自由に出歩くことが叶わない日々の中、
自宅で過ごしていた数ヶ月間のこと。
(こんなに「ひとり」になったのは、はじめてでした)
街に少しずつ日常が戻りはじめた今、
「こんなやつもいたのかあ」と
気楽に読んでいただけたら、うれしいです。
(2020年6月1日記)

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「ふれる」のはまた今度【前編】

部屋の中から

大きな窓に向いた椅子にひとり、座っている。
だけど別に、疲れて休憩をしているわけじゃあない。
かれこれ4ヶ月以上、わたしはこうして
この椅子に座り続けているのだ。
窓から差し込む陽のせいで、左腕だけが
うっすらカーテンのレースの形に日焼けしている。
気づいてからは、手の甲を上にしたり下にしたりと
腕をくるくる回すようになった。
焼きおにぎりの要領で「そろそろいいかなあ」と思えば、
ひっくり返す。
どうせなら、満遍なく焼けた方がいいと思ったのだ。

自宅でもできるありがたい仕事と、
会社の早い判断のおかげで、
わたしは、新型肺炎の感染が各国で徐々に広がりはじめた
1月の、まだ「今年もよろしくお願いします」と
年明けの挨拶をしていた頃から、この場所にいる。

最初の数週間のわたしは、いま思えばたいそうお気楽で、
もっともっと不謹慎だった。
「海外は大変そうだなあ」
「満員電車に乗らずに済むなんて、本当にいいの?」
と、これから非日常に飲み込まれていくのは
自分たちであるのに、ニュースの断片だけを見て、
どこか他人ごとのように思っているところがあったのだ。
自営業で活動していたことはあったけれど、
自宅の中で企業勤めをするのも、
こんなに忙しく過ごすのもはじめてのことだ。
トンチンカンな絵柄のパジャマを着ているくせに、
「よそいき」の声で取引先と電話をしたりして、
なんだか自分でも可笑しく思った。

だけど、2月になってからだろうか。
「これは、もしかしすると、わたしが考えているより、
ずっとずっと大変なことなのかもしれない」
とようやく気づきはじめ、会社からも「電車移動」などが
徐々に禁止されるようになった。
そしてついに、週末も含め「外出は控えてください」と
言われるようになってから、もうずいぶんが経つ。

そんなわけで、わたしは月曜日から日曜日まで、
ずっとずっとこの窓辺の白い椅子に腰をかけている。
家族もないので、朝から晩までもれなくひとりだ。
大半は仕事をし、たまに趣味の書きものや、
友人とおしゃべりをしたり。
眠るとき以外は、ずっとこの椅子で、
四角い液晶の中を覗き込んでいる。

この四角い箱は無限だ。
ありとあらゆるものとつながっていて、今じゃ
「オンライン」「リモート」でなんだってできてしまう。
四次元ポケットなら、ちゃあんと完成してたんじゃないか、
とわたしは思う。
この先は、会議や授業やデートだって、オンラインに
置き換わるかもしれないと書かれた記事をいくつも読んだ。

天井を見上げて思う。

「ひとりが好きで、助かったなあ」

これは、この暮らしが始まって、
もう幾度となく感じたことだった。
近い将来、どうやらほとんどのことは、
この部屋の中で済ませてしまうことができるらしい。
外出や遠出は、
ちょっと特別なものになるかもしれないのだ。

未来が、ちょっと慌ててやってきたのだと思った。

だからこそ、オンラインじゃあ決してこなせないパートを
担ってくれている人たちには、
ありがたい気持ちはもちろん、
お世話になるばかりで居心地の悪い気持ち、
いろんな感情がつのる。
なにかできることはないかなあ、と
在庫過多の食品を買ったり、
微額だけれどあれやこれやに寄付をしたり。
だけど時期によっては「なにもできない」と落ち込んで、
ニュースを見られない日もあった。

つまり、自分はたいそう恵まれた立場にあって、
力はないけれど、
ちっとも困ってなどいないと思っていたのだ。

ふれたい気持ち

気づいたのは数日前だった。
わたしは、お店から届いた「蒸しパン」をラップの上から
ずっとずっと触っている。
「やわらかいなあ」とちょっと触れるのじゃない。
なんだか、とてもとても手から離しがたいのだ。
はて。これはいったいなんだろうか。

思えば、近ごろ「はんぺん」を冷蔵庫から
切らさないように気をつけている。
包丁でスーッと半分に切って、
チューブの明太マヨネーズとチーズを挟んで
焼いて食べるのだ。
ヌメヌメした表面はあまり好きじゃない。
だけどオーブントースターで焼いたあとの、
ふっくらとしたあの心地。
だめだ、どうしても表面をすりすり、
つんつんと触ってしまう。
手を洗っては触り。また手を洗って、やっぱり触る。
これは、はたして、なんなのだろうか。

お風呂掃除用のスポンジを新しいものに
替えようと新品を下ろした。
「ざらざらだし、固すぎる。もうすこし、
やわらかな弾力が…… 」
あれ……
そして風呂場で思わず「ハッ!!」となった。

そうだ。わたしは、人に触れたいのだ。

こんなに人と接さずに暮らすのは、
もちろん生まれてはじめてのことだ。
なにをするのもひとり。
わたしは今、人に触れたくてしょうがないのかもしれない。

ちなみに、体を洗うスポンジも新しいものを下ろした。
なるほど、これは人の肌を洗う用にできているだけあって、
風呂掃除用よりも、ずいぶんやわらかで弾力があった。
だけど、自分の腕と比べてみると、
あたたかさやしっとりとした質感がちっとも足りない。
わたしが思い浮かべているのは、きっと、
人の肘(ひじ)下だ。

こうなるまで気づかなかったけれど、
わたしは友人や恋人の肘の下によく触れる。
「こっちやで」と掴んだり、
「ねえ、見て見て」と表面をトントンとしたり。
冗談を言われて「もう!」と笑いながら
パンッと弾ませたりする。
もちろん、仕事仲間などにはしない。
とても親しい間柄の、ごく限られた人たちにだけだ。

急いで日記帳を見返した。
わたしが、最後に人と夕飯をとったのは、
2月の15日だった。
そのときは、相手に触れただろうか……?
目を閉じて思い出す。触れた。エレベーターの中に団体客が
入って来たからわたしはこの手で、友人の腕を引き寄せた。
あれが、わたしの人に触れた最後の瞬間だった。
それ以来、わたしは人間に触れていない。

そう気づくと、なんだかたまらなく
恋しい気持ちになってくる。

たとえば、そろそろ
「風通しのいいお店で、お茶を1杯飲もうよ」
と本当は誰かを誘ってもいいのかもしれない。
だけど、たとえ相手が許してくれたとしても、
腕を掴んだり肌に触れるようなことは、
きっと申し訳なくてわたしにはできないだろう。

そうこうしていると、注文していた「ナン」が届いた。
きっとこれもそうだ。わたしが無意識に求めていた
「あたたかでやわらかいもの」。

だけどこれも違う。
あたためればたしかにあたたかい。
掴めばしっとりとやわらかくもある。
だけど手がピカピカになるほど、油分が多い。
違う、これじゃない。
わかっていたけれど、これは「ナン」だ。
それ以外のなにものでもなかった。

部屋の中をうろうろとして、
いくつかの引き出しの中に手を伸ばしてみた。
頂きもののメイク用品があって、
その中のクッションパフを見つけた。
袋から取り出して触れてみる。
「おおお……」
感動的なやわらかさとしっとりさだったけれど、
ここまでやわらかいと、これはもう「ほっぺ」だ。
人の頬に触れたいだなんて、そんな大それたことは、
ちっとも思ってない。

わたしは「ねえねえ」と友人の腕を
トントンとしたいだけである。

勝手なことを言うようだけれど、とにかく、
「ほっぺ」ぐらいやわらかいと持て余してしまうのだ。

あたためた「はんぺん」よりも、もっと、
ほっとするような心地はないだろうか。

ビーズのクッションじゃ反発がなさすぎるし、
ソファの背もたれは、ざらざらと目が粗すぎる。
多肉植物の表面に触れたら、ふっくらとみずみずしく
生命力を感じた。
だけど、わたしが今触れたいのは、こういうものじゃない。

「作ろう……」

わたしはひとまず、キッチンのシンクの下に潜って、
強力粉を探しはじめた。

(後編につづく)

2020-06-18-THU

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