中前結花

ほぼ日の塾第4期生

イラストちえ ちひろ

おひさしぶりです。
「ほぼ日の塾」の第4期生、中前です。
以前、マンションの管理人である
父のことを書かせていただいたのですが、
今回は住みはじめて2年半になる
「我が家の台所の悩み」について書いてみました。
年の瀬ということで、大掃除をテーマにした
タイムリーな読み物になるかと思っていたのですが、
思わぬことになってしまいました‥‥。
慌ただしい年末の息抜きとして、
読んでいただけたら、うれしいです。

もくじ

【後編】ペットボトルキャップを運ぶ【前編】あふれるペットボトルキャップ

わたしは1,400のペットボトルキャップを3年間で集めた。
1日に1本以上消費していたことになる。
自分の贅沢さを反省してしまう。

いよいよ、どこに送るのかを考えなければならない。
調べてみると、プラスチックのリサイクルとして
引き取ってくれる事業所はいくつかあったが、
どうせなら、「赤いサリーの子」の役に立ちたいと思った。

目に止まったひとつの機関に電話をかけてみることにした。
そして話を聞いてもらう。

個人でキャップを集めてきたこと、
できれば予防接種の役に立ちたいということ、
しかし送料よりも価値がないようであれば
悩んでしまう、ということ。

電話に出たのはとても親切な女性で、
お台場にほど近い海の近くの工場で回収を受け付けており、
年に1度、すべてのキャップをまとめて、
その重量に応じて、寄付が行われることを教えてくれた。
このキャップたちが、遠い国のワクチンに変わる。

箱に詰めて送料を計算したところ、1,970円だった。
3年間をかけて集め、懸命に数えたキャップだけれど、
きっと、中身の価値のほうが送料よりも低いことは
知識のないわたしにもわかる。

「よし、決めた」

わたしは、1,400個のキャップをごみ袋に詰めたあと、
大きな布袋に突っ込んで、肩にかけた。
よし、お台場まで行くことにする。
別に時間とお金をかけてキャップを運ぶのではない、
わたしは海を見にいくのだ。
キャップは、そのついでである。

 

そのひとに会いに行く

肩の荷物が重いけれど、電車を次々と乗り継いで、
「東京テレポート」まできた。
この駅に降り立ったのは、はじめてだ。
大きな観覧車に照らされながらバス乗り場をさがす。

まだ17:00だというのに、景色はすっかり暗くなってしまった。
不安になって電話をかけると、
「遠いところありがとうございます、待っています」
と言ってくれた。
海ではなくて、この女性に会いたいから、
という理由でもいいなと思った。

待っているとバスがきた。
1,400個のキャップが詰まった袋が
できるだけ邪魔にならないよう、
お腹に抱えて乗り込むけれど、
バスの乗客はわたしひとりだった。

バスの運転手さんは、わたしひとりを運んでいる。
けっしてキャップを運んでいるのではなくて、
やさしい声の女性に会いにいくわたしを運んでいる。

ゆらゆらと15分ほどバスに揺られる間、
わたしはこの3年間のことを思い返していた。
長かったような、あっという間のような、
不思議な思いだった。

3年前のあの日、会社をやめるとき、
「自分でがんばってみたいので」と去ったけれど、
本当は逃げ出したのだと、自分でわかっていた。

小学生のころから、テレビが好きで、
文集には「テレビのひとになりたい」と書いた。
高校生になってもそれは変わらず、
「放送作家かプロデューサーになりたい」と
すこし具体的に書いた。
体の弱かった母が、入院先の電話口でよく、
「おんなじテレビを見て笑ってると思うと、
いっしょに居てる気がするでしょう?」と言った。

たしかにそうだと思った。
離れていても、母を近くに感じたし、
学校で「昨日、見た?」といえば、
まるで友だちと昨夜いっしょに過ごしたように
「同じ思い出」で笑いあうことができた。
だからわたしは、テレビが好きだった。

大学では迷わずマスコミ学科を選んだ。
クラスでは「君には個性がある」とよく褒められた。
だけど、希望していた「テレビ局」への入社は
どれもあと一歩のところで叶わなかった。
それでも、どうしても諦めきれずにいた。

遠回りするのもいいと、
上京してちょっと有名なIT企業で仕事に励んだ。
数社で経験を積んで、満を持して、
とうとう「テレビ局」への転職に成功した。
仕事に自信をつけはじめたころであったし、
なにも怖くないと思った。
番組の制作ではないけれど、今や番組に欠かせない、
web上のコンテンツをつくるセクションだった。

けれど、いざ入社してみると、思ったようにはいかない。
これまで若い企業で自由に働き過ぎたこともあったと思う。
文化やお作法がまったく異なる会社の中で、
会議で発言することのない自分‥‥
雑用をこなすばかりの自分‥‥。
仕事にのめり込んでいたこれまでが嘘のように感じられ、
日に日にわたしは透明人間のようになっていった。

誰か、わたしのことを
見てくれているひとはいるのだろうか。

いまの自分を、小学生のころの自分が見るとどう思うだろう。
もっと役に立ちたい。
だけど、うまくいかない。
宛名書きだけで終わってしまう1日もあった。
気づけばテレビはもう見なくなっていた。

そんなとき、会社のごみ捨て場で
「ペットボトルキャップ支援」のポスターを見つけた。
苦しくなると、ごみ捨て場まで行ってキャップを箱に入れた。
なんでもいいから役に立ちたかった。
サリーの女の子がいつもこちらを見つめていた。

1年で耐えきれず、逃げ出すように自営業をはじめた。
思いの外、うまくいったけれど、
ペットボトルのキャップは集め続けたままだった。
どこか拠り所にしていた気もする。
ようやく「これだ」とやりたいことを見つけ、
改めて就職して2年が過ぎ、いまはとてもしあわせだ。

そこからは、透明になってしまっていた
数年の自分を取り返すように懸命に働いた。
そうやって、わたしは毎日を飲み干してきた。

ゆるやかにバスが止まって、
終点の「中央防波堤」という駅についた。
ふらふらとステップを降りると、あたりは真っ暗だ。
ふわり、海の匂いが鼻をかすめる。

「あれだ」
袋を担いで、歩いて行った。

よく見ると、集められたペットボトルが圧縮され、
規則正しく連なっている。
みんなも、こうしてたくさん飲み干しているのだ。

ようやくたどりついた。看板を見上げると、
「東京ペットボトルリサイクル」とある。

「こんばんは‥‥」

ドアから覗いて声をかけると、
女性がにっこりと微笑んでくれた。
きっと、このひとだ。

「中前さんですか?
寒かったでしょう、お待ちしていました。
遠いところたいへんでしたね、ありがとうございます」

感傷的になっていたせいか、
寒いところからあたたかい室内に入ったせいか、
あまりにもほっとして、泣き出しそうな思いだった。

「重さを計りましょうか」

重量計にキャップを乗せる。

3キロちょっとだった。
ポリオワクチンに換算すると、「0.8本分」なのだそうだ。

「これは、いつ寄付されるんですか?」
「毎年、2月なんです。
サイトに報告を載せるんで、見てくださいね。」

受領証をもらって、
「ありがとうございました」
とお辞儀をすると、
「遠いところ、寒いところ、ありがとうございました。
気をつけて帰ってくださいね」
と女性はもっと深々とお辞儀をしてくれるものだから恐縮してしまう。
見えなくなるまで会釈してくれた。

このひとに会いにきてよかった。

同じ道を帰る

結局、3年間をかけて集め、最後には台所を狭くし
わたしを悩ませていた1,400のペットボトルキャップは、
ワクチン1本分にも満たなかった。

だけど、並べて数えてここまで運んだ日のことは
この先きっと忘れないように思う。
帰りのバスもまた貸切だ。
なんだかおもしろい旅だった。

サリーの女の子を思うと、この結果はふがいない気もするから、
なにかちがう形で、遠い国に寄せられないかと考える。
帰り道のコンビニで「2,018円」を児童基金に寄付することにした。
これを毎年、年末にやればいい。
この習慣ならば、台所を狭くすることもない。
「よしよし」と家路を急いだ。

「そうだ、締め切りに追われていたんだった」
晴れやかな気分で机に向かう。
近ごろは、本職以外の執筆もたのしい。
過去の経験が役に立って、
テレビ番組に関わる仕事もはじめることになったのだ。

もうすぐ今年も終わる。
来年はどんな1年になるだろう。
年が明ければまもなく「平成」も終わるらしい。

すこし広く感じるようになった部屋の中、
今朝までキャップが並んでいた床に大の字になって寝転がり、
ちょっと休憩をした。
「おもしろい1日だったなあ」
今日の日が役に立っているか立っていないかは、
まだまだ数年後、もっと先の自分にしかきっとわからない。
そう気づいてからは、あまり心配しすぎないようにしている。

(おしまい)
2018-12-30-SUN