フォークシンガーの
森山直太朗さんが、全国各地の
「商店街」を巡るという試みを、
ライフワークの一つとしてはじめたそうです。
直太朗さんが2025年に楽曲「さりとて商店街」をリリースし、
今年から同名のポッドキャストも開始されました。
商店街では、いまどのような変化が起きているのか、
「古き良きもの」と新しいカルチャーの融合を
実際に見て、体験されています。
それは、私たちが取り組んでいる
「ほぼ日GO!」と共通点が多いかも‥‥!
ということで、直太朗さんに同行して、
地域のおもしろい人、ユニークな取り組みを
紹介していくことにしました。
不定期連載です。


※ポッドキャスト「さりとて商店街」ほんまち商店街で
昔ながらと新しい風にふれる旅 Part1 Part2と
連動しています。合わせてお楽しみください。

 

ほぼ日GO
ほぼ日GO!とは、
ほぼ日が、日本全国の地域の方々と
幅広くて自由なコンテンツを作り、
更新していく場所です。

>森山直太朗さんプロフィール

森山 直太朗(もりやま なおたろう)

1976年4月23日東京都生まれ、フォークシンガー。2002年にメジャーデビュー以来、独自の世界観を持つ楽曲と唯一無二の歌声が幅広い世代から支持を受け、定期的なリリースとライブ活動を展開し続けている。近年は俳優としても活動の幅を広げる。
昨年10月から全国を旅するツアーを全国各地で56公演行った。今年10月からは自身初となるスタンディングツアーを全国のZeppにて行う。

文・藤田亜紗美

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7 作り手の顔が見えるジーンズ

 
商店街巡りも、いよいよ終盤です。
最初に出発した「ほんまちホテル」の
目の前にあった、すてきな外観のお店に
興味をひかれていた直太朗さん。
そのお店をご案内いただきます。
栗田
では「FORTY NINERS(フォーティーナイナーズ)」さんを
ご案内しますね。
直太朗
ホテルからはじまって、ここに戻ってきました。
いやもう、帰ってこられないと思ってましたよ(笑)。

▲「FORTY NINERS」さんのお店。 ▲「FORTY NINERS」さんのお店。

直太朗
どうも失礼します。森山と申します。
斎藤
はじめまして。斎藤です。
うちはアメカジ系のセレクトショップで、
実は明日で丸30年になります。
直太朗
おめでとうございます。
斎藤さんはずっとこちらで?
斎藤
ありがとうございます。
ぼくは途中からです。
この店は、社長と店長と、ダイアンの
ユースケさんの3人ではじめたんです。
直太朗
(店内を見渡して)
ちょっとアーミーっぽいものもありますね。

斎藤
そうですね。あと、ぼくらの特徴としては、
奥のほうで、自分たちでジーンズを作っています。
その作り方が特殊で、
基本的にはいわゆるリーバイスの501を
追っているんですけど、
「大戦モデル」(※第二次世界大戦期、
物資統制の影響を受けた仕様のジーンズ)
であれば、1940年代のミシンを使って、
当時のやり方で縫うという方法をとっています。

直太朗
ええ、すごい。
じゃあ、より本家に近いんですね。
斎藤
そうです。やっぱりミシンが違ったり、
縫い方が違ったりするので、
このヴィンテージをもとに研究して、
当時のやり方で
縫うということを徹底しています。
あともう一つの特徴は、
一人の職人が全てを縫う、ということです。
縫製工場さんだと、基本的には分業なんですけど。
直太朗
ここでは、工程を分けないで、
最初から最後まで。
斎藤
はい。一貫して一人が縫います。
ここは一応店内なんですけど、
せっかくこういうことやってるんで、
お客さまにゼロ距離で見てもらおう、ということで、
作業の様子を見せているんです。

▲ポケットのフラップを縫っているところ。アイロンもまち針も一切使わず、手の感覚だけを頼りに製作するそう。
「ここに入った当時、これまでの縫製工場で学んだ常識が180度変わる、みたいな感じでした(笑)」と薫(カオル)さん。 ▲ポケットのフラップを縫っているところ。アイロンもまち針も一切使わず、手の感覚だけを頼りに製作するそう。 「ここに入った当時、これまでの縫製工場で学んだ常識が180度変わる、みたいな感じでした(笑)」と薫(カオル)さん。

直太朗
これ、撮っても大丈夫なんですか?
斎藤
全然大丈夫です。
縫製業ってそんなに見る機会がないですし、
こういう仕事を知ってもらいたいということで、
ミシンを外に持ち出して、野外でミシンを踏む、
「ライブ縫製」もやっているんですよ。
直太朗
ほんとにライブなんですね。
斎藤
やる人が減っている産業ではあるので、
子どもたちにも見てもらいたくて。
直太朗
へーー。それにしても、
こういうパフォーマンスしながら、
ものを作るっていうのは、
あんまり見たことないですよね。
斎藤
最初は、まずそんな古いミシンで縫えへんし、
いろんな人から、誰が見んねん、って言われて。
縫うのもうちの社長が、
最初一人だけでやってたんです。
直太朗
さきほど栗田さんとも話して、
いまでは、町おこしの一つにも
なっているんですよね。
斎藤
そうです。デニムって岡山が有名なんですけど、
ぼくらはここを新しいデニムの産地にして、
皆さんに来てもらえるようにしたいんです。
工場を「CONNERS SEWING FACTOY
(コナーズソーイングファクトリー)」と
名づけているんですが、
うちは、この工場で作っている
特別なデニム製品は通信販売をしてないんですよ。
直太朗
オンラインで買えない?
斎藤
そうなんです。
直太朗
すごいですね。
そして、縫った人の顔が
ちゃんとわかるっていう。
斎藤
たとえば食品も同じだと思うんですけど、
生産者の顔が見えるものを届けたいんです。
作っている側も、お客さんの声が
ダイレクトに届くので、
自分たちが作ったものが
喜んでもらえるとうれしいですし、
直接フィードバックも来るので、
より真剣に取り組めるんです。
よかったら奥の工場の方も見て行ってください。
直太朗
すいません。失礼します。
斎藤
ここから先は工場で、いつもは
お客さまは入ってもらえない
ところなんですけど。
ミシンがいろいろ散乱してます。
ここがセカンドファクトリーで、
ほかにもメインファクトリーと
サードファクトリーがあります。

▲たくさんのミシン。縫うパーツごとに使い分ける特殊なミシンも。 ▲たくさんのミシン。縫うパーツごとに使い分ける特殊なミシンも。

直太朗
すごいなぁ。ここはつまり、
フォーティーナイナーズ村なんですね。
斎藤
村みたいにちょっとずつ増えていって。
では次のファクトリーもご案内します。

▲少し離れた場所にあるサードファクトリーに到着。 ▲少し離れた場所にあるサードファクトリーに到着。

斎藤
さきほどは1950年代のものを
縫っていたんですけど、
こちらのファクトリーは1960年代、70年代のものを
縫っています。だからミシンもさっきよりは
ちょっと新しいんです。
直太朗
いや、新しいといっても‥‥。
斎藤
もう、何が違うんや、って感じですよね(笑)。
実は、ここが工場を作った最初の場所で、
ボロボロのところを自分らで直していった、
はじまりの場所なんです。

直太朗
思い入れも、ひとしおなんですね。
ここにもミシンがいっぱいありますけど、
故障しちゃったら、どうするんですか?
斎藤
ぼくらはミシンをたくさん買ってるので、
そこからパーツを取って直してます。
直太朗
車だね。
斎藤
そう、旧車と一緒です。
ぼくら、「自分のミシンは自分が世話しろ」
って言われるんで、調子悪くなったら
自分である程度の微調整はやってます。
斎藤
ここがうちの、はじまりの場所です。
13年前、ミシンがまだ8台ぐらいのときから、
工場としてスタートしました。
当時は先がわからないからエアコンもつけられなくて、
夏場も大変だったんですが、
ちょっとずつ大きくなってきたんです。
直太朗
これはすごいな。
斎藤
うちの社長が言うのは、
たとえば都会に行かな商売できひん、
というのじゃなくて、
こんな人通りの少ない商店街の、
バラックみたいな建物を自分らで直して、
そこで価値あるものが作れたら、
いろんな人がわざわざ全国から
来てくださるようになるって。
直太朗
今日出会った方々みんなそうなんですけど、
みなさんのお人柄に、
みんながついていくっていう。マンパワーですね。
すごいな。もうお見それしました。
クラフトマンシップですね。
斎藤さんはどちらご出身なんですか?
斎藤
ぼくは隣町の近江八幡というところです。
高3のときに、はじめて店に来て、
お客さんとして通っていたら、
声かけてもらって。
直太朗
じゃあ、このへんのキッズたちの登竜門だったんだ。

斎藤
そうです。
「ここの服着てるやつはちょっとおしゃれや」
みたいな感じでしたね。

(つづきます。次回も「FORTY NINERS」さん編です)

2026-09-15-TUE

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