家で過ごすことが増えたいま、
充電のために時間をつかいたいと
思っていらっしゃる方が
増えているのではないかと思います。
そんなときのオススメはもちろん、
ほぼ日の学校 オンライン・クラスですが、
それ以外にも読書や映画鑑賞の
幅を広げてみたいとお考えの方は
少なくないと思います。
本の虫である学校長が読んでいる本は
「ほぼ日の学校長だより」
いつもご覧いただいている通りですが、
学校長の他にも、学校チームには
本好き・映画好きが集まっています。

オンライン・クラスの補助線になるような本、
まだ講座にはなっていないけれど、
一度は読みたい、読み返したい古典名作、
お子様といっしょに楽しみたい映画や絵本、
気分転換に読みたいエンターテインメントなど
さまざまな作品をご紹介していきたいと思っています。
「なんかおもしろいものないかなー」と思ったときの
参考にしていただけたら幸いです。
学校チームのメンバーが
それぞれオススメの作品を
不定期に更新していきます。
どうぞよろしくおつきあいください。

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no.34

『古典を読んでみましょう』


橋本治

亀が出てくるまでがんばって!
橋本式・古典の補助輪の外し方


『古典を読んでみましょう』
橋本治
ちくまプリマー新書(946円)

今年の1月に開講した講座
「橋本治をリシャッフルする」の第1回は
内田樹さんの「橋本治のヘンな本」でした。

よりすぐりの「ヘンな本」の1冊は、『アストロモモンガ』でした よりすぐりの「ヘンな本」の1冊は、『アストロモモンガ』でした

内田さんは、橋本さんの本には2種類ある、といいます。
ひとつは、読者を抱きしめるように親切に書かれたもの。
もうひとつは、読者を突き放すように、
理解を求めず説明もせず、
自分が面白いことだけを書いた「ヘンな本」。

講義では、後者の「ヘンな本」について、
内田さんが橋本さんへの敬愛をほとばしらせながら
ノンストップで語られましたが、
この本はというと、見事なまでの「親切な本」です。
しかも、古典を読み、解説を聞いていくことで
体験を通して理解を深められるように構成された
見事なトレーニングメニューになっています。

この本は、古典を読むことに興味のない人に向けて
書かれています。
だから「まえがき」で、橋本さんはこう言います。

私には、「日本の古典は楽しくておもしろいから
読んでみましょう」などという気がありません。
(中略)
世の中には、古典の文章をスラスラと読めなくて、
古典の文章に目の焦点が合わない人だって、
いくらでもいます。そういう人達は
「読めないから分からない」のではなくて、
その以前の「読まないから分からない」なのです。
だから私は、「読んでみましょう」と
言っているのです。
読んでみたら、意外とおもしろいかもしれません。
なにかの形で、役に立つかもしれませんし、
心を癒やしてくれるものと出会うかもしれません。
「そうだったのかーー」という発見を
するかもしれませんし、しないかもしれません。
でもそれは、読んでみなければ分からないことです。

こうして静かにスタートラインに立ったら、
次はウォーミングアップです。
橋本さんはまず「古典」とはなにか、
という、そもそものところからはじめます。
本をめぐる歴史・社会背景をひもとくのに
さっそく引用されるのは、『源氏物語』です。
「蛍の巻」で玉鬘(たまかずら)が
「物語」に夢中になっているシーンから
平安時代の読書事情が紹介され、
少しずつ、古典の世界に焦点をあわせていきます。

こうして古典が少し肌になじんできたところで、
「古典を読んでみましょう」となります。
読んでみるのは、樋口一葉の『たけくらべ』の冒頭。
ただ漫然と読むのではありません。

これを二度読んで下さい。
一度目は声に出さず、意味を考えるのではなく、
「、(読点)」の位置に気をつけて、
「これをどういう風に読めばいいのか」と考えながら
頭の中で読んで下さい。
「こう読めばいいのか」と分かるまで
声を出さずに読んで、
「大丈夫だ」と思ったら声に出して読んで下さい。

ものすごく具体的で、分かりやすい指示です。
ふむふむ、とやってみます。
読み終わると、橋本コーチがやってきます。
「どうですか? 読めましたか?」

「すごく読みにくくてしんどかった。
いやになって最後まで読めなかった」と
言ってもらいたいのです。
「なんで分からないんだ? なにがめんどくさいんだ」と
少し考えてみましょう。

そして『たけくらべ』が読みにくい理由を
丁寧に分かりやすく整理してから、
知らないと読めないことを補足していきます。

ここらへんから、さらにおもしろくなってきます。
当時の社会背景や言葉の意味についての
橋本さんの解説を聞きながら読み直すと、
ひとりで読んだときとはまったくちがう、
鮮やかな風景がいきいきと立ちあがってきます。
白黒写真がカラーになって、
さらに動きだすような感じです。

橋本さんは「古典ひろいぐい」という
ほぼ日の学校のはじまりとなる講演のなかで
「古典という魚には歴史という骨が通っている。
骨をとって、すり身だけで食べるのでは
分からないことがある」とおっしゃっていますが、
それはこういうことなのか、と
身を以て知る読書体験でした。

2017年12月に行われた講演「古典ひろいぐい」より 2017年12月に行われた講演「古典ひろいぐい」より

そしてこの後は、しばらく、
日本語の歴史と特徴についての解説がつづきます。
具体的な説明はここでは飛ばしますが、
「古典がどうして読みにくいのか」が主なテーマです。
『百人一首』『古今和歌集』『枕草子』を読みつつ、
丁寧な解説がつづきます。ここはちょっと眠いところ、
心折れそうなところです。でもここで、
「亀」が出るまでがんばって! とお伝えしたい。

「亀」が出てくるところまで斜め読みにするのも手ですが、
思い出してください、これは、トレーニングです。
いちばん効果的になるように練習メニューが練られ、
ペース配分されているのです。
眠くても読み通した人は、その後の
「!!!」が素晴らしいはず。
ちなみに、眠いと私が思ったのは、4章から7章です。

そこを抜けると、まず、「鶴」が。
そして、いよいよ、「亀」が登場します。
ここまで読み通した方は、ビュンビュン読めると思います。
出てくるのは、室町時代の古典『御伽草子』のなかの
『浦島太郎』。
え? 『浦島太郎』? と思いましたか?
私は、思いました。

でもこれ、私たちのよく知るストーリーではないんです。
その展開を、原文で読ませつつ、あいだあいだに、
橋本治さんならではの、茶目っ気の光る解説を加えて
読み解いていきます。
この、原文と解説のはさみ方、説明の仕方が絶妙で、
しっかり原文を読みつつ、むずかしいところは面白く、
丁寧に補足されて、
「あれ? 読める、読めてる? わー!?」と
ぐいぐい読み進みます。
はじめて補助輪を外した自転車を
上手に橋本さんに押してもらって、
あ! 乗れる? たのしい! となっている感じです。

そして、古典を読むたのしみを知ったところでようやく、
古典を読んだ方がいい理由、が出てきます。
水分補給の休憩を取りながら(というイメージです)
橋本コーチは言います。

「どうして古典を読むのですか?」の答の一つがここにあります。
古典の中には、今の考え方とは
まったく違う考え方をしているものが、
いくらでもあるからです。
「ちゃんと勉強しなきゃいけない」精神で
出来上がっていると思っていた『浦島太郎』が、
実は「いいじゃん、そんなの」と
平気で言ってしまう楽天的な物語で、
◯◯◯(註:引用者伏せ字)亀が
◯◯◯◯◯◯(註:引用者伏せ字)する物語」
だと知ってしまうと、
「そんな考え方があったのか!?」と思って
ショックです。
むずかしい顔をしていても、
古典というものは「そんな考え方があるの?」と
教えてくれるようなものなのです。
だから「読んでみましょう」と私はいうのです。

このオススメ文はここでおしまいにしても
いいかもしれません。
でも、この本の凄さはここでもまだ終わらないので、
もう少しだけ続けさせてください。

「十七章『日本書紀』の読み方」は、こうはじまります。

<前回『日本書紀』の話を少ししました。
ついでなので、『日本書紀』の「日附の書き方」を
紹介しておきましょう。>

まるで、授業中に小咄をはさむようなノリです。
気楽に進んでいくと、橋本さんはこういいます。
長くなりますが、引用します。

本というのは、「そこになにが書いてあるのか
分かってから読む」というものではありません。
あらかじめ「こんな本」という知識を得てから
読むこともありますが、読んだ後で
「そんな本じゃないじゃないか!」と思うことは
いくらでもあります。
「なにが書いてあるのか中身が分からない本」を
読むことだってあります。
「分かるんじゃないか」と思って読み始めると、
分からないことだらけで
読みたくなくなってしまうことだってあります。
「古典を読む」ということになったら、特にです。
恐ろしいことに古典では、「なにが分からなくて
どう辞書を引けばいいのかも分からない」
ということだって起こります。
そして、もしかして
一番めんどくさくてわかりにくいことは、
「自分がしないような考え方」で
書かれているものを読むことです。
(中略)
「でも「本を読む」ということは、
なにが書いてあるのかよく分からないことを、
探り探り読んでいくことでもあるのです。
探り探り読んで行って、
探り探り読んで行くことに慣れる――
そうやって身につけるのが、
『愚管抄』で慈円の言った
「分かって行く能力」、つまり《知解(ちげ)》です。

分からないから、と逃げるのではなく、
分からないけれど、わからないなりに
取り組むことを繰り返すことでしか
身につかない、「分かっていく能力」がある。
先行きの見えない状況で進んでいかねばならない今、
ずしんとくるメッセージです。

橋本治さんとその作品をさまざまに読み解く
講座「橋本治をリシャッフルする」
3月以降、新型コロナ対策で休講中です。
開催された1回から3回までの講義は
秋頃にはオンライン・クラスに登場予定です。
少しお時間をいただきますが、どうぞおたのしみに。

(つづく)

2020-06-03-WED

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