新しい登山の形「フラット登山」や、
三拠点生活など、
自然や地方との関わりのなかで、
ご自身にとっての心地よい生活のしかたを模索している
ジャーナリストの佐々木俊尚さんと、
糸井重里が久しぶりに会って話しました。
話は、「ホーム」をどう考えるかにはじまり、
地域との関わり方から、
働き方、人生の終わり方にまで及びました。
これから先、より心地よい生活を
送っていくにはどうすればいいか、
あなたも一緒に考えてみませんか?

>佐々木俊尚さんプロフィール

佐々木俊尚(ささき・としなお)

作家・ジャーナリスト。
1961年兵庫県生まれ。
毎日新聞記者、月刊アスキー編集部を経て、
フリージャーナリストとして活躍。
テクノロジーから政治、経済、社会、
ライフスタイルにいたるまで発信する。
「フラット登山」を考案。散歩でもない、
ロングトレイルでもない、新しい登山の形を提唱している。
著書に『フラット登山』(かんき出版)のほか、
『家めしこそ、最高のごちそうである。』(マガジンハウス)、
『そして、暮らしは共同体になる。』
(アノニマ・スタジオ)などがある。

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尾瀬の湿原に立ってうれしかった。

糸井
「登山」というテーマで
佐々木さんとお会いするとは、
思ってもみなかったです。
佐々木
本の帯を書いていただいてありがとうございました。
ナイスなコンセプトと言ってくださって。
糸井
佐々木さんのこれまで活動は存じ上げてますし、
お会いして対談するのも初めてじゃないんですけど、
『フラット登山』は思ってもみないところから
パンチが飛んできた印象でした。
この本はとにかくコンセプトがいいですよね。
佐々木さんが考案した「フラット登山」の
3つのポイントは
「フラットな道も歩いて楽しもう」
「みんながフラットに登山を楽しもう」
「ふらっと気軽に週末日帰り登山を楽しもう」ですけど。
読まずに帯の文を書けるぐらいの
すばらしいコンセプトだと思いました。
佐々木
読まずに(笑)。
糸井
実際にはおもしろく読んだんですけど(笑)。
そして、この本の後半3分の2ぐらいは
実用書ですよね。
佐々木
そうです。
「ウェアはこれを買おう」とか
具体的な商品名まで書いてますからね。

糸井
思いやり加減がすごいんですよ。
ぼくもこの本を読んだあとに、
登山の道具を揃えればよかったと思いました。
フラット登山のモデルコースの紹介にしても、
はじめに「秋に行きましょう」と
どの季節に行くのがおすすめか書いてあるのに、
途中で「ただし真夏はよしたほうがいい」と
さらに書いてある。
真夏にそのコースに行く人がいることまで
ちゃんと想像している(笑)。
佐々木
そう(笑)。日本の夏は暑いですからね。
結局、大学の山岳部のような組織登山が減ってきて
体系的に山のことを学べる場所が
なくなってしまったんですよ。
初心者は自分で調べた知識で行くか、
ツアー登山に参加するしかない。
ツアー登山もいいんだけど
30人とかでぞろぞろ歩いて山を楽しむのは
違うかなと思って。
何も知らない初心者の人でも
1冊読めば、とりあえず山を歩けるようになる本を
書きたいと思ったんですよね。
糸井
見事ですよ。
佐々木
ありがとうございます。

糸井
もともと佐々木さんと言えば、
よその人たちが考えるのをやめちゃうようなところを
じっくり書いていく方という
印象があるんですけど。
佐々木
そうですかね。
掘り下げるのは好きですね。
糸井
ただ、このテーマに来るとは思わなくて。
本が出たとき、
テーマでぼくはまずは喜びました。
佐々木
喜んだってどうしてですか?
糸井
自分と問題意識が似ているところがあるなと。
「佐々木さんもか!」って思いました。
佐々木
問題意識というと、
「自然との関わり方」ということですか?
糸井
そうです。
いま、多くの人が都会の狭さというか、
面積が限られてるところに、
ちょっとくたびれている気がするんです。
そこに
風を送りたい気持ちがもともとあったんです。
佐々木
確かに。
糸井
それで、ほぼ日は東日本大震災の被災地とのつながりが縁で、
気仙沼の人たちと知り合ったりしてたわけですけど、
その後も地方についての興味が増えていて、
そのあと能登にも行ったり、
前々から知ってる人のところに訪ねていったり、
最近は東京じゃない場所について
模索を始めているんです
「地方創生」とかの言葉がよく使われますけれど、
注目されているのは
「東京のような都市になりたい地方」で、
そういうことじゃないんじゃないか、
という感覚もあるし。

佐々木
地域の活性化の話はよく聞きますね。
活性化ってなんなのか。
人がたくさん来て賑わえばそれでいいのかと。
糸井
そうなんです。
だから、方法はわからないけど、
自分たちなりに、とにかく地方をふれてみたり
見に行ったり居てみたりをしはじめたんです。
それでいま、
群馬県の赤城山や尾瀬のような、
東京から行って帰って来られる近さの場所で
何ができるかを考えているんですけど、
そこにこの『フラット登山』の本が登場して。
佐々木
なるほど。
おっしゃるところはよくわかります。
AIが出てきて、あらゆるものが
可視化されて分析可能になっている。
都会にいてテックやメディアの空間のなかに
身を置いてると、
全てのことを細かく細分化して、
並べ直して考えなきゃいけない。
そして曖昧なものや乱雑なものが
放置できなくなってきている。
それは悪いことじゃないんだけど、
一方で、あまりにも全てがモジュールとして
組み立てられることに対する
息苦しさみたいなのがある。
糸井
息苦しさ、ありますね。
佐々木
AIが今後ますます進化していったときに
我々に何が残るんだろうと考えたら、
最終的には
身体性、つまり身体感覚なんじゃないかなと思ってて。
糸井
ああー。
佐々木
ぼくは10年くらい前の2014年に
料理本を2冊出してるんですよね。
あのときも「なんで料理本を出したの?」と
散々言われたんですけど、
「テクノロジーが進化すればするほど
手仕事としての料理は大事になるはずだ」
と言っていました。
気がついたらそれから10年経って、
今度は手じゃなくて足のほうの本を出してた。
つまりこの『フラット登山』って、
10年越しの続編みたいな感じなんです。
糸井
あー、確かに。
料理って上半身ですね。
頭からまず上半身への興味が湧き、
次に下半身へ。
佐々木
そうです。登山は下半身ですからね。
そして自然の中を歩くという行為は
どこまで突き詰めても
感覚的なものしか残らないんです。
ランダムだし、落石に当たったり、
うっかり滑落しちゃったり。
絶対に確率論でしか語れない部分があるわけですよ。
分析しようがない。
そういうところが
我々にとって貴重であるというところから、
「登山」を言語化すると面白いかな
と思ったんですよね。

糸井
「佐々木さんもこうきたか」って思って
うれしかったんです。
ただ、読み始めたら
「あ、しまった。自分と違う」と思ったのが、
登山経験があるところでした。
佐々木さんはもともと登山の経験があるんですよね?
佐々木
あ、そうです。学生時代から登山をやってました。
糸井
そこが違ってた。
ぼくは全く登山をしたことないんで。
佐々木
最近、山を歩いていますか?
糸井
尾瀬には先日歩きました。
福島の側から入って。
佐々木
檜枝岐村(ひのえまたむら)とかの側からですね。
糸井
そうです。
荷物を背負ってると、素人にはそんなに楽じゃない。
でもやれないわけじゃないのはよくわかりました。
山とか海とかに行ったとき、
いろんなことをポカーンと忘れるじゃないですか。
そういうことが自分に必要だと、
行ってみてつくづく思いましたね。
佐々木
尾瀬の湿原に立たれて
どんなことを考えました?
糸井
うれしかったです。
佐々木
うれしかった?
糸井
ああいう場所を歩くときって
ずっと真剣というわけではないけれど
決してふざけてないんですよね。
仲間同士で「くたびれた」だの「いいね」だの言い合う
声のかけ方がものすごく楽しかったんです。
仲間でゴルフやってる人がよく言うセリフと
同じだと思ったんです。
もし1人で歩いてたら、
どういう気持ちになるかわからないですけど。

ほぼ日のコンテンツ「尾瀬からの手紙」より。 ほぼ日のコンテンツ「尾瀬からの手紙」より。

佐々木
ぼくも山仲間と必ず行くようにしてるので
1人ではほとんど行かないです。
景色を共有したり、
きつい坂を登れば「きっついなあ」と言い合ったりとか、
それが楽しいですね。
糸井
ぼくもそうでしたね。
佐々木
日本古代から旅ってだいたい1人旅じゃなくて、
松尾芭蕉の『奥の細道』にしろ、
連れだって歩いていくのが多いですもんね。
『東海道五十三次』、『東海道中膝栗毛』とか。
糸井
そうそう「弥次喜多道中」みたいなね。

(明日につづきます)

2025-10-20-MON

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    気負わず、できる範囲で山を楽しんでほしいという、佐々木さんが新しい登山のかたちを書いた『フラット登山』(かんき出版)。どんな装備を用意したらいいかから、どんなコースを歩いたらいいかまで、かなり実践的な内容です。佐々木さんのパートナー、松尾たいこさんによる装画もさわやかで、山に行きたくなります。