「自分はどうしてこんな、
どうでもいい仕事をしているんだろう?」
そう感じていた世界中の人々の心を打ち、
日本でも「紀伊國屋じんぶん大賞2021」で
みんながすすめたい書籍第1位に輝いた
『ブルシット・ジョブ』という本があります。
著者は文化人類学者のデヴィッド・グレーバー氏。
仕事や社会について、読む人に
新しい視点をもたらしてくれるもので、
4000円超えの分厚い本ながら、たしかに面白い。
とはいえ専門的な話も含むので、
こういった本を読み慣れていない場合は
やや難しさも感じます。
そこで、翻訳を担当された酒井隆史先生に
解説をお願いしたところ、
あまり知識がない人でもわかるように、
内容をかいつまんで教えてくださいました。
これからの働き方や生き方を考える、
ひとつの参考資料になれば嬉しいです。
担当は、ほぼ日の田中です。

>『ブルシット・ジョブ』著者
デヴィッド・グレーバー氏プロフィール

>酒井隆史先生プロフィール

酒井隆史(さかい・たかし)

1965年生まれ。大阪府立大学教授。
専攻は社会思想、都市史。
著書に『通天閣─新・日本資本主義発達史』
『完全版 自由論:現在性の系譜学』
『暴力の哲学』(ともに河出文庫)など。

デヴィッド・グレーバー氏の著作は
『ブルシット・ジョブ―クソどうでもいい仕事の理論』
(岩波書店)
『官僚制のユートピア』
『負債論─貨幣と暴力の5000年』(以上、以文社)
の翻訳をおこなう(共訳・監訳を含む)。
訳書としてはほかに、マイク・デイヴィス
『スラムの惑星―都市貧困のグローバル化』
(共訳、明石書店)など。

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2) ブルシット・ジョブとシット・ジョブ。

──
この本を読んで、まず理解するべきは
「ブルシット・ジョブとシット・ジョブの違い」
かなと思ったんですけれども。
酒井
そこは最初に押さえるべきところですね。
日本でよく
「酒井さん、ブルシット・ジョブって
こういうものですよね?」と言われるのは、
本で出てくる
「シット・ジョブ」のほうなんです。
──
シット・ジョブ。
酒井
これはそのまま訳すと「クソ仕事」。
キツい仕事ではあるんですが、
ブルシット・ジョブとは別なんです。

酒井
シット・ジョブは、労働環境が劣悪だったり、
低賃金だったりする仕事のこと。
深夜のコンビニで働く人とか。
ほかにも重労働・低賃金のサービス業とか。
「3K労働(きつい・汚い・危険)」と
呼ばれるようなものもそうですね。
こういった仕事は、実際に働いていて苦しいわけです。
その仕事で助かる人はいるんだけれど、
働く側としては条件が悪くてキツい仕事。
そういう仕事をされている方は
たくさんいると思いますけど。
医療の人たちもそうですね。
いまコロナ禍で、医療の現場が厳しいとは
よく言われますよね。
看護師の方がどんどん辞めているという
話もあります。
危険でリスクが高いのに、
労働条件が良くないどころか、悪化している。
たぶん「これはもうやってられない!」と
辞めていくんだと思うんですけど。
──
ではブルシット・ジョブは、
どういった仕事でしょうか。
酒井
ブルシット・ジョブはまた別で、
基本的に
「この世界にまったく何の影響ももたらさない仕事」。
そして同時に
「働く当人もそんなふうに意味がないと
感じている仕事」のことですね。

酒井
グレーバー自身、英語では
「differenceをmakeしない」と表現しています。
日本語では「この世界に影響を与えない」
と訳しましたけど。
ニュアンスとしては
「この世界にいっさいの違いを作らない」。
その仕事があろうがなかろうが、
世界に何の違いももたらさない仕事。
本だとさらに
「むしろ有害かもしれない」というのが
付け加わるんですけど。
──
とにかく、世界に影響を与えていない、
意味のない仕事というか。
しかも本人も無意味さをわかってやっていると。
酒井
ところがシット・ジョブの場合は、
やっている本人が
「クソ仕事」とは思っているかもしれないけど、
「世界に影響を与えている」とは
感じているわけです。
おそらく劣悪な環境に辞めていく医療の人たちも、
「大変すぎる仕事」だとは思ってても、
仕事自体が無意味だとは感じてない。
──
ええ。
酒井
少し前に文科省がTwitterで
「#教師のバトン」というハッシュタグを使って、
現役の教師の人たちの声を
募集したことがありましたよね。
もともとの狙いとしては
「いまは教員になる人が少ないから、
教師という仕事のすばらしさを
現場から発信してもらおう」
ということだったと思うんですけど。
けれども蓋を開けてみると、そのハッシュタグが
「残業代未払い」とか「部活動の強制労働」などの
違法な話題であふれて、
教師という仕事の労働環境の酷さを
逆に露呈させるものになってしまった。
あれはシット・ジョブの話だと思うんです。
だけどそういう部分はあっても、
多くの人たちは先生という仕事を
「それでもやりがいがあるはずだ」と
選んでいると思いますし、
実際にやりながらおそらく意義は感じている。
子どもたちの成長にダイレクトに関わって、
この世界になにかの違いや影響はもたらしている。
だからこれはブルシット・ジョブじゃないんです。
だいたいのシット・ジョブは、
「労働条件の悪さ」から来ているんですよ。
──
意義はあるけれど、労働条件が悪すぎるのが、
シット・ジョブ。
酒井
そしてここが大きなポイントですけど、
ブルシット・ジョブというのは、
基本的に報酬や、その仕事自体の社会的地位が
高い傾向にあるんです。
つまり、当人すら「何の意味もない」とわかっていて
実際的なことをほとんど何もしていないのに、
社会的地位が高くて報酬がいい仕事があるんです。
一方、シット・ジョブは低賃金で労働条件が劣悪。
「たいへんな仕事ほど賃金が安い」
そういう傾向があるんです。
それはもう先生とか、
看護師さんたちの例を見ればわかりますよね。

──
どうしてそんなことになるんでしょうか。
酒井
シット・ジョブって、
「社会的に意義がある」「やりがいがある」
といったところから、賃金の低さを
正当化されている部分があるんです。
学校の先生とか、そうでしょう。
もし先生が賃金に不満を言ったとしたら
「先生が労働条件の向上とか言うんじゃないよ」
みたいな圧力がかかりませんか?
看護師さんもそうですよね。
もっと給料を上げてほしいと言ったら
「こんな意義ある仕事に携わりながら
よこしまなの?」
みたいに言われかねないというか。
人々のそういう感覚もあって、
シット・ジョブがますますキツくなっていく。
実はシット・ジョブって、
すごくやりがいのある仕事が多いわけです。
当人たちは労働環境の悪さに苦しみながらも、
仕事自体には思いを持ってやっている事が多い。
そういう逆説があるんですよね。
──
本の中で「ブルシット・ジョブの人たちは、
シット・ジョブの人たちに嫉妬がある」
という話もありました。
酒井
日本でどこまで当てはまるかわからないですけど、
本ではたとえばこんな例が登場しています。
アメリカの自動車産業で働く人々が、
どんどん悪くなる労働条件に対して、
大規模なストライキをしたらしいんです。
そしたらものすごいバッシングが来たと。
「そんな意義のある仕事をできているのに、
ふざけるな」と。
自動車を作るって、人々の生活に
直接影響を与える仕事ですし、
自動車自体が、アメリカ人の
国民的アイデンティティの支柱のひとつ
でもあるらしいんですね。
またアメリカって教員のストライキが
盛んなんですけど、
それにもまた大バッシングがあるわけです。
日本ではいま教員のストライキって
ほとんどないですけど、
もし教員の人たちが労働条件の向上を求めて
ストライキをはじめたとしたら、
バッシングが起きそうじゃないですか?
「教員なのに儲けようとしてるのか、
いい生活をしようと思ってるのか」みたいに。
グレーバーはこの分析について
「モラルエンヴィ(moral envy)」という言葉を
使っているんです。
本では「道徳羨望」って訳しましたけど。
──
道徳羨望。
酒井
いまの社会にはそういう現象があって、
意味のあることをしている人に対する
バッシングがすごいと。

酒井
意味のあることや立派なことをすると
「なんだよ、立派なことをしやがって」とか
「偉そうだ。上から目線か」とか
「意識高い系か」とかで
ガンガン、バッシングが来てしまう。
グレーバーはこの状況について、
ブルシット・ジョブの蔓延と
無縁じゃないと言うんですね。
多くの人がブルシット・ジョブに
虚しさを感じながら働いているのに
「あいつらはなんだ」と。
「すでにやりがいのある仕事をしてるのに、
そのうえ労働条件の向上まで求めるのか」って。
背景には、道徳的に立派な人に対する
嫉妬心みたいなものがある。
今の社会は常に、人々のそういう思いに
火をつけよう、つけようとしているんだ
と言ってますね。
いつでも着火状態だと。
それはすごく不幸な状態で、
グレーバーは本の中で
「そういう状況を、いますぐにでも
終わらせたい気持ちがある」
とも語っているんです。

(つづきます)

2021-08-20-FRI

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  • ブルシット・ジョブ
    クソどうでもいい仕事の理論

    著 デヴィッド・グレーバー
    訳 酒井隆史・芳賀達彦・森田和樹
    (岩波書店、2020年)

    やりがいを感じずに働いているのはなぜか。
    ムダで無意味な仕事が増えているのはなぜか。
    社会の役に立つ仕事ほど
    どうして低賃金なのか。
    これらの謎を解く鍵はすべて、
    ブルシット・ジョブにあった──。
    ひとのためにならない、
    なくなっても差し支えない仕事。
    その際限のない増殖が
    社会に深刻な精神的暴力を加えている。

    証言・データ・人類学的知見を駆使しながら、
    現代の労働のあり方を鋭く分析批判、
    「仕事」と「価値」の関係を
    根底から問いなおし、
    経済学者ケインズが1930年に予言した
    「週15時間労働」への道筋をつける。
    ブルシット・ジョブに巻き込まれてしまった
    私たちの現代社会を解きほぐす、
    『負債論』の著者による解放の書。

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