2025年のNHK大河ドラマ、
『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』が
おもしろかった! 終わるのが惜しい!
ということで、最終回放送直後、
シナリオライターの森下佳子さんを熱いファンで囲んで
大質問会を開催しました。
これがもう、予想以上にたのしくて‥‥!
質問者募集のときにお約束していたとおり、
当日のやり取りを大急ぎで
コンテンツにしましたのでお読みください。
森下さん、ありがとうございました!
ちなみに、最後の質問者は糸井重里です。

魂と味わいのイラスト/サユミ

>森下佳子さんのプロフィール

森下佳子(もりした・よしこ)

シナリオライター。2000年デビュー。
代表作に『世界の中心で、愛をさけぶ』『JIN -仁-』
『義母と娘のブルース』『天国と地獄~サイコな2人~』
連続テレビ小説『ごちそうさん』
大河ドラマ『おんな城主 直虎』ドラマ10『大奥』など。
第32回向田邦子賞、第22回橋田賞受賞。
ほぼ日には、なんと2008年から、
なにかといろいろ登場してくださっています。

前へ目次ページへ次へ

第1回 チーム写楽の経緯と歌麿の恋について

森下
森下佳子と申します。
私ももう年で、物覚えがわるく、
忘れて答えられないことも
いろいろあるかと思うんですけれども(笑)、
みなさんとたのしくお話ができたらいいなと
思っております。
本日はよろしくお願いいたします。
一同
(大きな拍手)
──
ほぼ日の永田です。
森下さん、『べらぼう』ファンのみなさま、
どうぞよろしくお願いいたします。
今日は12月18日、『べらぼう』の最終回が
放送されてから4日後ですが、
森下さん、いま、終わってどんな感じですか。
森下
まあ、いまは、何もしてないんですけど、
なんて言うんですかね、
NHKの公式サイトに「こぼれ話」という
コラムを書いたりとか、
取材でしゃべることなんかが意外と多くて、
終わったんだけど、ずっと私、
『べらぼう』のことやってるな、みたいな。
──
公式サイトのコラム
(「脚本・森下佳子の大河べらぼうこぼれ話」)、
全話にわたる解説で、すごいですね、あれ。
森下
そうなんです(笑)。
あれがね、けっこう時間がかかったんですよ。
──
まだ読んでない方はぜひお読みください。
さあ、それではさっそく
質問会をスタートさせたいんですが、
今回、応募のときにみなさまから、
どういうことを質問したいかという
だいたいのところをうかがっておりまして。
そのなかで大きく2つ、
質問が集中したテーマがありましたので、
まずはそれに答えていただきたいと思います。
森下
はい。
──
それではまず1つ目です。
写楽に関して、質問したい方が
たくさんいらっしゃいました。
一同
(深く深くうなずく)
──
観客席の、うなずき方がすごいですね(笑)。
森下
(笑)
──
ええと、質問の内容としては、
写楽をなぜああいうふうにしたのか。
つまり、ひとりではなく、
チームにしたということについて、
経緯や思いなどを教えてください。
森下
そうですね。
写楽が誰かというのは、
いま、学術的には「斎藤十郎兵衛」説で
一応は落ち着いているんですね。
でも、実際は、落ち着いているっていうだけで、
「決定打」はまだない状態なんですよ。
ひと昔前には、もっと、
「写楽は誰だ?」というテーマで、
創作も含めていろんな説が出ていて、
それを調べていくとほんとうにいろいろな人が
「写楽じゃないか?」と言われてるんです。
それこそ、歌麿とかもそうだし、
十返舎一九とかの名前もあったし、
谷文晁とか、松平定信とか、
ほんとうにいろんな人の名前が出ていて。
で、なんか、まあ、
「こんだけ出るんだったら、
もう、全員でいいんじゃないかな?」って
思ったりもして(笑)。

一同
(笑)
森下
真面目な資料とか、謎解きの小説とか、
かなり、読んだんですけど、
どれもおもしろかったんですよ。
こんなにおもしろいんだったら、
もう全員でいいんじゃないか、
っていうのがまず思ったことで。
あと、真面目なことをいうと、
そもそも浮世絵って、
ひとりではつくれないんですよね。
下絵があって、彫師さんが彫って、
摺師さんが摺ってくれないと、
完成しないわけじゃないですか。
そういう意味ですでに工房状態なんですよ。
──
ああ、なるほど、なるほど。
森下
こういう「工房スタイル」って、
いまのアニメとかにもつながってる気がして、
そういうことも感じられたらいいなと。
もともと「写楽複数人説」というのもあったので、
そのかたちにしようかなと、
なんとなく思っていたんです。
──
じゃあ、はじめからその構想が。
森下
いや、でも、はじめはやっぱり、
「斎藤十郎兵衛説」を軸に考えてたんです。
だから、たとえば、斎藤十郎兵衛という人がいて、
つくろうとするもののコンセプトは
斬新ですごくいいんだけど、
絵があんまりうまくなくて
歌麿たちが手伝うことになる、とか。
そういうふうにしようかなと思ってたんですけど、
なんか、こう、なんですかね、
「一橋治済をこのままにしていいのかな」
っていう気持ちがだんだん大きくなって‥‥。
一同
(笑)
森下
そっちを考えていくうちに、
「斎藤十郎兵衛がそっくりだったら?」
っていうことを、思いついてしまいまして。
そこから、あの本編のような形になったんですよ。
──
それって、脚本を執筆中にってことですか。
それともドラマの撮影前から構想があった?
森下
いや、違います、撮影に入ってからです。
えっとね、撮りはじめて‥‥何話ぐらいかな?
源内さんが死んだあとくらいだったかな。
写楽って、蔦重の人生においては、
出てくるのがけっこう後半なんですよ。
で、そのころのことをいろいろ調べていて、
「一橋治済は悪いなあ」とか思ってるなかで
あれを思いついて。
──
具体的にはどのへんからどういうふうに
発想が広がっていったんでしょう?
森下
ええとね、まず、
「松平定信が写楽のパトロンだった」
という説があって、
前々からそれは知ってたんですけど、
定信のことを調べていたら、
「定信の息子の嫁は、蜂須賀家から来てる」
っていうことがわかったんです。
で、蜂須賀家と言えば、
「栗山先生じゃないか!」と。
──
嶋田久作さん演じる、柴野栗山先生。
森下
そうそうそう、で、栗山先生って、
ずっと定信の横にいますよね。
その栗山先生が
蜂須賀家から来ているということは、
蜂須賀家お抱えの能楽者である、
斎藤十郎兵衛のことは知ってるよね?
ってなって。
──
ほう!
一同
(どよめく)
森下
あ、じゃあこの人たちが、
こうやるとかあるかな? みたいな。
そうするとこう、こう、って、
だんだんこうハマっていったんですよ。
──
はーーー!
それってつまり、
栗山先生が一橋治済をはじめて見て
「‥‥お顔が」って言うあの場面、
あの場面までは写楽を含む最後の展開は
決まってなかったということですね。
森下
そうなんです。
──
なんてスリリングな。
森下
スリリングでした。
とくにあの栗山先生の場面を書くときは、
「もうこれを書いたら後戻りできない!」
みたいな感じがあって。
──
はーーー、おもしろい。
森下
そんなふうにして、
あの敵討ちが決まったものですから、
いざ敵討ちさせようとすると、
意外に人がいないということが発覚したりして。
で、そこから、なんか敵討ちに
力を貸してくれる人いないかって探したら、
「家治の弟、生きてたじゃん」とか、
「上様、家治の最後のことば聞いてたよ」とか、
「大崎はまだいるよね?」とか、
もう本当に敵討ちをするために、
人をあっちこっちからこう掘り起こしてきて。
だから、あの、私、本当に
敵討ちしてる人たちと同じ気持ちでした。
「どこかに味方はいないのか」って(笑)。
一同
(笑)
森下
だからなんか私自身も、
敵討ちのところはハラハラしながら書いてましたね。
本当、人おらんなあ、みたいな。
もうみんな、もう治済にやられてもうてるやんけ、
みたいな感じでしたね。
──
書いている人もそんな状態。
森下
そうなんですよ。
──
はー、おもしろい。ありがとうございます。
どんどんこのような調子で、
答えながらも脱線も大歓迎ですので。
それでは、ふたつ目の質問に移ります。
これもみなさん聞きたがってました。
歌麿と蔦重の関係。

一同
(深く深くうなずく)
森下
ああー。
──
ふたりをあのように描いたのはなぜでしょう、
という質問がたいへん多かったです。
森下
そうですね。
あの、すごく大きなはじまりをいうと、
美術監修をしてくださった、
松嶋雅人先生という方がいらっしゃって、
ものすごく歌麿に詳しい方で、
浮世絵の見方なんかも
いろいろと教えてくださったんですね。
その松嶋先生が、製作のすごく初期のころに、
「これはね、論文に書くような
論拠がある話ではまったくないんだけど、
ぼくは喜多川歌麿の絵の中に、
すごく、女性に対する理解とか、
女性っぽい感覚を感じるんだ」
っていうことをおっしゃっていて。
あの、私、若干、ちょっとその、
腐ってるところがあるもので(笑)。
──
つまり、いわゆる腐女子成分が。
森下
そうそうそう。
一同
(笑)
森下
だから、それを聞いて「えっ!」みたいな。
「え、いまなんとおっしゃった?」
みたいなところが、こう、ありまして。
もちろん松嶋先生は、
「いやいやいや、もう何の論拠もないし、
ぼくの感覚でしかないんだけど、
そういうこともあるかもしれないよね」って、
あくまでも個人の感覚として
おっしゃったことだったんですが。
あとね、松嶋先生がさらにおっしゃるには、
「蔦重も、歌麿も、あの時代の、
あの環境に生きた人にしては、
その蔦重も、あの歌麿も、
女性の影がすごく少ないんだよね」って。
一同
(どよめく)
森下
もうどんどん私が腐っていくようなことを
おっしゃるわけですよ。
だから、もう、私としては、
「先生がそうおっしゃるんだったら、
やっていいんじゃないか」と!
一同
(笑)
森下
で、ああいう、なんですかね、
恋なのか、もっと根源的な何かなのか、
執着とか依存なのか、あるいは信頼なのか、
いろんな言い方があると思うんですけど、
まあ、そういうものを含んだ関係にしようと。
史実的なことでいうと、
蔦重って蔦屋重三郎ですけど、
「蔦屋」は屋号で、姓は「喜多川」なんですね。
喜多川氏の養子に入っているので。
で、「喜多川歌麿」っていう
名前をつけたのも蔦重。
やっぱり「義兄弟」というか、
特別な関係だったんだろうなと思うんです。
だから、「名前をあげる」みたいな
そういう感じに書いたんですけど。
──
そんなふうにはじまった蔦重と歌麿ですが、
とりわけ、喜多川歌麿の人生については
ていねいに描かれているように感じました。
森下
そうですね。歌麿に関しては、
まず、彼の絵をぜんぶ並べて、
そこから話をつくっていったんです。
ひとつひとつの絵を見ると、
初期の頃の歌麿ってすごく器用で、
もう本当に人の真似がうまい。
まあ、あの時代は模写から入るので、
人の真似がうまいのは当たり前なんですけどね。
ただ、器用なんだけど、
パッとしない期間も意外と長くて。
そんな歌麿が出した画期的な作品が、
「画本虫撰(えほんむしえらみ)」という、
虫や花を写生したものなんですけど。
どれも、すごく、きれいなんですね。
当時、浮世絵の人がああいうふうに
写生をすることはあまりなかったそうです。
みんな、だいたいの記憶で描いちゃって、
そのもの自体を見て描くというのはやらない。
でも、この「画本虫撰」はおそらく
見ながら描いたんだろう、っていうことを
松嶋先生がおっしゃっていて。
その後、貝や鳥なんかも歌麿は描くんですけど、
たぶん、そういうものを描いているときが
いちばんよい時代だったんじゃないかなあと。
──
ああ、つまり、歌麿の絵の流れに沿って、
彼という人が表現されているというか。
森下
そうなんです。
あと、歌麿は春画も描いてるんです。
有名なのは『歌満くら』という、
女性の背中越しに男性がちらっと、
ほんとうに目だけが見えている絵が有名なんですが、
なんていうか、特徴的なのは、
ストーリーの面でも、テイストの面でも、
統一性がないんですよ。
ほかの人が描いた春画って、
なんかストーリーがあったりとか、
テーマがあったりとか、
なにかしら統一感があるんですけど、
ばらばらなんですよ。
で、そのばらばらの絵のなかに、
これは完全に私の個人的な感覚なんですけど、
この人は性に対して嫌な経験があったんじゃないかな、
と感じてしまう絵が2枚ほどあって。
なんか、その絵がなんのために
描かれたかわからないっていうか。
たしかにそういう場面が描かれてはいるんだけど、
ちっともエロく感じないというか。
いやらしさよりも嫌な感情のほうを
先に感じちゃうような絵なんですね。
なんか、この絵を描くことが、彼にとっては
すごくたいへんだったんじゃないかな‥‥
っていうふうに思えたので、
じゃあなんかそういう過去を書いてみよう、
っていう感じで書いてみたり。
──
ほんとうに絵から感じ取りながら、
それをお話に落とし込んでいくという。
森下
そういう感じでしたね。
後半、おきよさんが出てきたところも、
歌麿の絵の遍歴を追っていくと、
美人絵に行くあたりで、
なんか、彼にとってのミューズが
現れたんじゃないかな、
というのを感じられる時期があったんです。
女性の見方みたいなものが変わっているような。
資料を調べてみるとその時期に
なんかああいう人がいた形跡があって。
じゃあやっぱりこの人は
歌麿にとってそういう存在だったんじゃないかな、
と思ってそういう話をつけて。
そして、蔦重との最終盤の仕事で、
喜多川歌麿の最高傑作といわれる、
『歌撰恋之部(かせんこいのぶ)』
っていうのができるんですけど、
これが、なんか、すばらしいんですけど、
「売り方がわからない絵」なんですよ。
蔦重の手掛ける絵って、何がテーマで、
どこに売るんじゃ、っていうのが、
いつもはすごくはっきりしているんですけど、
これに関しては、どこに売ろうとしたのかが
よくわからないっていう。
市井の女の人の、恋のため息とか、よろこびとか、
表情とか仕草を見事に表現しているんだけど、
当時、どこに売ろうとしていたかわからない。
で、このころに、歌麿と蔦重は、
袂を分かっているっていうこともあって、
『歌撰恋之部』というタイトルも含めて、
私にはこれがもう本当に「恋文」にしか思えなくて。
一同
(深く深くうなずく)
森下
だから、ふたりの最後は、ここに行こう、
っていうのがまず決まったんですよね。
で、そこに向かって書いていったんです。
あと、彼のいちばんはじめの、
お母さんとの悲惨な話っていうのは、
彼が晩年に取り組んだ
「山姥と金太郎」という
シリーズを下敷きにしていて。
このモチーフをもう、しつこいくらい、
40数枚、描き続けているんですよ。
これはもう絶対何かあるだろうって思って、
まあ、お母さんに対する、
かなえられなかった思いっていうんですかね。
そういうものを絵に描くことによって
昇華していったのかな、と。
だから、もう、歌麿の話は、ほんとうに、
ぜんぶ彼の絵からつくっていったんです。

(つづきます!)

2025-12-30-TUE

前へ目次ページへ次へ