吉田亮人さんと
『THE ABSENCE OF TWO』

こんにちは、ほぼ日の奥野です。
一冊の写真集に
こんなに心を動かされたことは、
ありませんでした。
吉田亮人さんという写真家が、
自分の従兄弟とおばあちゃんの
静かな暮らしを写したものです。
吉田さんの体験とともに、
その写真を、
その写真に写っているものを、
少しずつ、ご紹介していきます。

>吉田亮人さんのプロフィール

吉田亮人(よしだあきひと)

雑誌、広告を中心に活動しながら、
作品制作を行う。
バングラデシュのレンガ工場労働者を取材し、
2014年に写真集「Brick Yard」を出版。
同作は
Paris Photo – Aperture First Photo Book Awardに
ノミネートされる。
2013年から2015年にかけて
バングラデシュの
皮革産業労働者に関するプロジェクトに取り組み、
2016年に写真集「Tannery」を出版。
国内外の主要雑誌に作品を発表するとともに、
写真展も精力的に行う。
2017年8月、自身の祖母と従兄弟に関するストーリー
「The Absence of Two」を出版。
「私家版・限定111部」として出版。
同作は2019年に青幻舎(日本)と
Editions Xavier Barral(フランス)より
新装版「THE ABSENCE OF TWO」として刊行される。
さらに、来年2020年1月9日〜3月8日まで
パリのギャラリー「Fisheye」で、
「THE ABSENCE OF TWO」の個展を開催予定。

吉田さんの公式webサイトは、こちら
web連載「しゃにむに写真家」も、連載開始!

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第5回 写真に「覚悟」が写らない。

──
先生を辞めたあとには、
なにをやろうと思っていたんですか。
まさか、バンドじゃないでしょうが。
吉田
いやあ、そこなんですよ。
したいこと、とくになかったんです。
──
写真は‥‥?
吉田
大学3、4年生のときに、
ちょっと「かじってた」くらいです。
──
それは「趣味」的な?
吉田
そうですね。
ぼくは音楽をずっとやっていたので
『ROCKIN’ON』とか、
『音楽と人』とか、
音楽関係の雑誌をよく読んでまして。
──
ええ。
吉田
そのときに目に留まった‥‥
具体的なお名前は伏せますけれども、
有名な写真家の写真を見て、
「なんか、いいなぁ。簡単そうやし」
と思ってしまったんです。

──
はい‥‥(笑)。
吉田
本当にバカなんですが
「こんなんだったら俺でも撮れるわ!」
と思ってしまったんです。
どこにでも転がってる日常の風景を、
雰囲気よく撮ればいいみたいな、
フィルムカメラを買って、
その人の真似ばっかりしていまして。
──
へぇ。
吉田
そこから写真のおもしろさを知って、
荒木経惟さんとか、
森山大道さんを知っていくんですが。
はじめて買った写真集は、
佐内正史さんの『生きている』です。
──
じゃ、先生を辞めると決めたものの
「どうしよう」となった結果、
「カメラだ」と思いついたんですか。
吉田
ええと‥‥妻に「何をしようかねえ」
って相談したら、
「写真やれば」って言われたんです。
──
また奥さん。完全に奥さん主導。
吉田
そうです。
──
じゃ、奥さんに言われてなかったら、
写真家になってなかったかも?
吉田
なってないですよね‥‥絶対に。
先生を辞めてもいないでしょう。
──
今ごろ学年主任とかになっていた。
吉田
そうだと思う。年齢的に。

──
なんというか、もう‥‥。
吉田
で、ま、とにもかくにも、
写真をやろうかという話になって。
そこからもう1年、
はたらいてお金を貯めたんですね。
──
急に「写真家です」と言ってもね。
というか、先生のお仕事を辞めて、
カメラを買ったからって、
まだ、写真家じゃありませんよね。
吉田
カメラを持ったフリーターですよ。
30過ぎの。
──
まずは、何からはじめたんですか。
吉田
作品づくりです。ふつうに。
かつて1年だけ
タイに住んでいたことがあったので、
タイに行って‥‥タイには、
ミャンマーから逃れてきた人たちの
難民キャンプがあるんですけど、
そこへ入って、写真を撮ろう‥‥と。
──
フォトジャーナリスト的な。
吉田
そう。その当時、憧れていたんです。
ミャンマー人のキャンプを取材した
記者さんの本を読んで感化され、
その方に連絡して、
「どうしたらキャンプに入れますか」
と聞いたんです。
──
おお、積極的。
吉田
そしたら、その方から、
難民支援団体を紹介していただいて、
事務所にうかがいました。
すると、その場で、
難民キャンプに電話してくれて‥‥。
──
話が早すぎませんか?(笑)
吉田
そう、ミャンマーに着いたら、
このバスに乗ってどこどこで降りて、
「白い服の人」を探して、と。
──
アポがめちゃくちゃザックリしてる。
白い服の人なんてそこら中にいそう。
吉田
数日後にはタイに降り立ってました。
──
はー‥‥。
吉田
言われたとおりのバスに乗り込んで、
しばらく行って降りたら、
白い服着たおじさんが立ってました。
「いた! 白い服の人!」と。

──
伝わっていて、よかったです(笑)。
吉田
その人は、以前、
日本に住んでいたミャンマー人で、
「よく来てくれました」
と、あたたかく迎えてくれました。
そして「こっちです」と言われて、
フェンスに空いた穴から、
難民キャンプに入っていきました。
──
穴から‥‥写真家として。
吉田
形としてはそうなんだけど、実際には、
立派なカメラを持ったフリーターです。
──
でも、ミャンマーの人は、
カメラマンが来てくれたんだと思って。
吉田
はい、いろいろ案内してくれたんです。
たくさんの人の話を聞きました。
みんながみんなぼくの手を握って‥‥
「あなたの写真で、わたしたちの現状を
日本の人に伝えてください」って。
──
うわあ‥‥。
吉田
自分には何の実績もありませんでしたが、
そんな人たちを前に、
精いっぱい写真を撮るしかなかったです。
──
そうですよね。
吉田
でも‥‥日本に帰ってから写真を見たら、
ぜんぜんダメだったんです。
──
それは、ご自分の写真が?
吉田
つまり‥‥技術的なことはともかく、
彼らの現状に対して、
最後まで付き合う覚悟がなかったんです。
そのことが、
自分の写真ににじみ出ていたんです。
──
はー‥‥それが、わかっちゃった。
吉田
はい、彼らと向き合う覚悟があるなら、
下手だろうがなんだろうが、
何かしら行動を起こすじゃないですか。
──
新聞社に売り込みに行ったりとか。
吉田
でも‥‥自分の撮った写真を前にして、
どうしても、
そういう気持ちが起こらなかった。
──
なるほど。
吉田
難民キャンプの人たちには、
本当に、申しわけないんですけれども、
おそらく自分は、
この道のカメラマンじゃないんだ、と。
──
自分の写真を見て、ハッキリわかった。
吉田
そうなんです。

(つづきます)

2019-10-11-FRI

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  • 吉田亮人さんの
    『THE ABSENCE OF TWO』

    時間は、取り戻せないものであること。
    写真とは、過ぎていった日々や、
    当たり前のように存在していた誰かの
    絶対的な「不在」を、
    ときに、残酷にも、写してしまうこと。
    それでも、残された写真によって、
    あたたかな気持ちになれるということ。
    この写真集には、
    そういう、わかっていたようでいて、
    本当にはわかっていなかったことを、
    あらためて教えてもらった気がします。

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