
- わたしの母は今年92歳。
沖縄戦当時は11歳で、米軍の上陸に備えて
自宅のある沖縄本島中部(中城村)から
南部(現在の糸満市付近)に移動しながら逃げ惑う中で、
両親や幼い弟を亡くしました。
南部で父親が兵役に就いていたこともあり、
残された家族で
南部に移動することにしたようなのですが、
戦況のたしかな情報を得る手段もなく、
結果的に激戦地となった南部地区に
飛び込んで行くかたちになってしまったようです。 - 昼間は防空壕の中で息を潜め、
夜になると暗闇に紛れて
母親がひとりで水場に行き米を炊いて、
おにぎりを握って
防空壕で待つ子どもたちに持ち帰るという日々の中、
ある夜母親が戻って来ず、
不安なまま一夜を過ごし朝を迎えると、
他の防空壕にいた見知らぬ人から
水場で女性が亡くなっているが知り合いではないかと
尋ねられ、祖母と姉が確認しに行ったところ、
おにぎりを抱えたまま砲弾に倒れている
母親を見つけたそうです。
泣きながらそのおにぎりを食べたことや
南部で再会出来た父親のその後の消息が不明なこと、
突然母親を失ったことで食欲をなくし
栄養失調で亡くなった幼い弟のこと。
自分の家族に起こったさまざまな出来事だけでなく、
逃げ惑う道中で見たたくさんの死体や
小さな男の子を道行く人に託そうと
誰彼構わず声をかけ続ける動けなくなった女性の話。 - 昭和44年生まれのわたしにとって
戦争は生まれる前の昔の話ですが、
母にとっては、ついこの間の出来事のような
強烈な記憶だったのでしょう。
わたしが小学生のころは
戦争のことは思い出したくないと
あまり話してくれませんでしたが、
年月が経ち、わたしが成長するにつれ
当時のことを話してくれるようになりました。
そんな母の壮絶な体験を
中高生の息子たちが
これからも本人から直接聞くことが出来るように、
まだまだ元気でいてほしいと願う日々です。 - (小泉さん)
2026-09-07-MON

