
- 戦時中、父は小学生でした。とにかく食べるものがなく、
毎日ひもじい思いをしていたそうです。 - そのころ毎日芋ばかり食べていたせいで、
父はサツマイモが好きではありませんでした。 - お正月でもお餅など夢のまた夢。
農家の家の子が
「うちは◯升餅をつくんだ」と自慢するのを聞いて
羨ましかったと言いました。 - そのころの担任の先生は若い男の方でした。
あるとき先生は
「うちは餅を買えないので、
家に餅があるやつはひとつずつでもいいから
先生にわけてくれないか」
と教室で言いました。 - 子どもからそれを聞いた親たちは、
それぞれ余分に持たせてくれた。
先生は集めたその餅を、
こっそりと餅の食べられない子どもたちに
わけてくれたそうです。
ミカンもひとつずつ持たせてくれました。
父は「涙が出るほど嬉しかった」と言いました。 - 父は食べ物を粗末にすること、
出された食べ物に文句を言うことを許しませんでした。
母が作った食事を毎回
「美味しいなあ。母さんの料理は世界一だ」
と言いながら食べていました。 - 父も母もすでに鬼籍に入っています。
父のような体験を語る人は
わたしのまわりにはほとんどいなくなりました。
だから今度はわたしが
子どもや孫たちに、語り継いでいこうと思います。 - 子どもたちが飢えることのない世界で
あり続けるために。 - (もりびと)
2025-11-10-MON

