
- 父方の祖父は閏年の2月29日生まれ。お酒が入ると、
「俺はまだまだ若いんだ、
4年に1回しか誕生日が来ないから」
と笑って話す人でした。
そんな話とともに
自慢気に見せてくるものがありました。
花や草のスケッチと植物標本です。
祖父は
「これはラバウルで採取した草花を
押し花(葉)にしたもの。俺は食料班だったから、
少しでも食料を増やすために畑をつくった。
日本では育つけれども、
ラバウルでは育たない食物もあったから、
食べられる草を探した。
他の人でもわかるように見本をつくったのがこれだ」。
そして、
「ラバウルでは食料確保が大変だったが、
自分は敵兵と対することはない後方支援だった。
だから生きて帰れた」
「戦争が無かったら、ラバウルはとてもいいところ。
できたらまた行きたいし、また植物を集めたい」
と話してくれました。
標本には、見たことのない綺麗な色の花や、
クルクルした蔓などがありました。
小学生のわたしは『手作り植物図鑑』としか
感じていませんでしたが、
年齢が上がってからは貴重なものだったのでは?
と気付き、またあの図鑑が見たい、
祖父の話も聞くべきだと思いました。
しかし、そのころに父の実家は火災に遭ってしまい、
植物図鑑は焼失、
祖父は火災の影響で生活環境が変わり、
一気に認知症になり、
ラバウルでの話も聞くことができなくなりました。
いま考えると、どうやって
あの『手作り植物図鑑』を持ち出したのか、
本当にラバウルの植物だったのか?
そして、あの『図鑑』をどこかに寄付していたら‥‥
と思います。
わたしもいつか、
祖父が過ごしたラバウルを訪れたいです。 - (匿名さん)
2025-11-07-FRI

