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読者のみなさんから届いたお便り #86

 
家族が書き残したり、
直接、聞き書きしたりしたものの中から、
戦争時代の話を抜き出してお送りします。
小川荘六(父 昭和10年生まれ)
町内会長をしていた父は、警戒警報のサイレンが鳴ると、
何をおいても町内会館に詰める。
四六時中サイレンが鳴るそんな状況の中でも、
東京物理学校(現・東京理科大)の学生だった兄の省二
(大正13年生まれ)は、
黒い大きな布で包んだ伝統の下で勉強していた。
巡回している隣組の役員に「
二階から明かりが漏れていますよ」と注意されることも
たびたびだった。
兄はこの戦争に懐疑的で、父としばしば口論していた。
当時、肋膜を患い、
新旧試験を受けられずに留年していた兄は、
学内で「理論物理学より応用物理学の方が後になる」との噂から、
倍率の高い応用物理学科を受けて進級した。
兄と同じく一年生を留年していた親友の川井さんは、
我が家に入り浸っていた。
あまりにうちに来るので、
国民学校に入ったばかりの私は下宿しているとばかり思っていた。
川井さんは留年中途で進級をあきらめ、
日本海軍の予備学生制度に志願し、海軍少尉となった。
戦争中のある日、我が家にやってきて
「今度、人間魚雷に乗ることになりました。
生きて帰ることはないと思います。
天皇陛下からとこれを渡されました。
お父さん、たいへんお世話になりました」
と、父に恩賜の煙草を差し出した。
息子のように可愛がっていた川井さんの言葉に、
父はしばらく無言で立ち尽くしていた。
その川井さんが、敗戦直後の10月ごろ、
ひょっこり我が家に顔を出した。家中が大騒ぎになった。
魚雷には乗ったものの、敵艦が見つからなくて、
仕方なく帰還したとのことだった。
兄は結局、戦争に行かずにすんだ。
昭和20年、少しでも早く学生たちを徴兵するため、
すべての大学や専門学校の卒業が半年早められることになり、
翌年3月に卒業予定だった兄も、9月には学校を出て、
航空技術見習士官となるはずだった。
戦時下の中途半端な授業しか受けられなかった兄は、
もう一度学びなおしたいと考えていたが、
地元の県立高校の校長に熱望されて、
科学と物理を担当する教師になった。
 
「横浜に空襲があって、米ガ浜(横須賀)の海から
火の手と煙が上がるのを見てたら、
すぐ近くをトットットって機銃掃射されたんだよ。
横浜に爆弾落とした帰りがてら、
遊び半分で撃って来たのかもしれないけど」
「ひとつ上の顕子(昭和9年うまれの四女)は体が弱くて、
腎臓が悪かったから塩っ気のあるものは食べさせられないんだよ。
だから戦争中も一人だけ甘いもの食べてて
うらやましかったなあ。
ずるいって騒ぐと10歳上の姉ちゃんにすげえ怒られた。
両親がそうして一生懸命栄養摂らせてた甲斐なく、
戦争が終わる前に死んじゃったけどな」
「その幸枝姉ちゃん(大正15年生まれの二女)と
およし(昭和7年生まれの三女・好子)は戦後に疎開したんだよ。
横須賀は海軍の基地を米軍に取られちゃったし、
街に米兵があふれて
「男はみんな殺されて、女はみんな襲われる」
って噂があったから。
そう長い期間じゃなかったけど、
疎開先の長野では物資もなくてだいぶ苦労したみたい
(その後、幸枝は肺結核で21年4月に死去)」
「博源(ひろもと・大正3年生まれの腹違いの長兄)は
志願兵だったのかなあ。赤ん坊の俺を抱っこしてる写真があるけど、
その時もう兵隊の恰好してる。
沖縄で6月22日に戦死したってことになってて、
平和の礎に戦没者として名前も刻まれてるけど、
戦後、沖縄で一緒だったって人が家を訪ねてきて、
『私は膝を傷めてたから、
岩場を回りながらしか移動できなかったけど、
博源さんは元気に岩の上を飛び移っていた』って話してさ。
それが八月15日の後のことだっていうんだよ。
だから親父は
『沖縄のどこかで先生にでもなっているんじゃないか』って。
『もしかしたら』って死ぬまで(昭和48年没)思ってた。
沖縄、行きたがってたよ。一度もいけないままだったけど」
(みの字)

2025-11-04-TUE

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  • ヴェトナム戦争/太平洋戦争にまつわる
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    「50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶」
    の特集のなかで、
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    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶