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読者のみなさんから届いたお便り #81

 
わたしには、母方の祖父が「2人」います。
1人は、母の実の父親で、新聞記者でした。
体が弱かったので徴兵検査でははねられたのですが、
新聞に反戦記事を掲載していたため軍から目をつけられ、
太平洋戦争の終戦間近に、ルソン島へ送られました。
現地でマラリアにかかってしまった祖父は、
終戦時に引き上げる際、足手まとい扱いされ、
まだジャングルに潜んでいる仲間たちへ、
終戦の伝令に出されました。
しかし、途中で力尽きてしまい、
祖父が戻って来ることはありませんでした。
後日、祖父の伝令のおかげで引き上げて来られたという方が、
祖母を訪ねて来られ、
祖父は木にもたれて座った状態で息絶えていたと、
最後の様子を伝えてくれたそうです。
その後、祖母は母たち3人の子どもを抱え働きに出て、
そこで知り合った9歳年下の男性と再婚しました。
その人が、わたしたち兄妹と従兄弟にとっての祖父でした。
祖父は、16歳で少年志願兵として出征しました。
海軍配属となり、祖父もフィリピンに行ったそうです。
戦地では、海を泳いで移動することもあったと、
昔、祖父が話してくれたことがあります。
軍服を着たまま、頭に木の枝をくくりつけて泳ぎ、
敵の飛行機が近づくと全員で固まり、
島のように見せ、やり過ごすのだそうです。
そのため、敵機に見つからないよう、
波を立てず静かに泳ぐ技術、「島」になっている間、
じっと動かず立ち泳ぎをする技術を習得したそうです。
わたしたちが子どものころ、従兄弟と兄は、
祖父から軍隊式の水泳を厳しく叩き込まれました。
そのおかげで兄は泳ぎが得意になり、
高校では水泳部、大学ではダイビングサークルに入りました。
わたしは女の子だからと優しく教えてもらいましたが、
運動神経の鈍いわたしが平泳ぎだけは得意なのは、
祖父のおかげです。
祖父からは、戦地では食べる物がなく、
とにかくいつもお腹が空いていたと聞きました。
あまりの空腹に、野豚や蛇を捕まえて、焼いて食べたそうです。
蛇は滋養が強すぎて、
翌日は全員お腹を下したんだと、笑っていました。
ただ、実際の戦闘の話や、軍隊の話など、
過酷な話は聞きませんでした。
たくさんの戦争経験者の方と同じく、
祖父も思い出したくなかったのだと思います。
祖父は、祖母と結婚した際、
祖母や母たちが苗字を変えるのは可哀想だからと、
戦死した祖父の苗字を名乗ってくれました。
また、戦死した祖父を「仏さん」と呼んで仏壇を大切にし、
毎朝、時間をかけて念仏を唱えるのが、祖父の日課でした。
祖父は、戦死した実の祖父の無念の思いを、
身をもって理解していたのだろうと思います。
毎年、夏休みには、大阪在住の祖父母を
東京在住の私たちが訪ねていたので、
祖父母が東京に来たのは数えるほどでしたが、祖父はずっと
「東京に行って、靖國神社で仏さんをお参りしたい」
と言い続けていました。
希望が叶い、靖國神社に祖父が参拝できたのは、
祖母が亡くなった後、
しばらく母のところに身を寄せていた時でした。
祖父はそこで、自分の役目を終結すると決めていたようで、
仏壇を整理し、祖父と祖母を永代供養にしました。
その後、父が癌を患い、母が看病に専念するため、
祖父は大阪に戻り、
叔母がお世話を続け、96歳で亡くなりました。
戦死した祖父の代わりとし生きてくれた祖父でしたが、
生(な)さぬ仲だった母たちとは確執もあったそうで、
母は実家の仏壇に祖父の写真を置いていません。
母は実の父の記憶がほぼなく、
それがかえって思慕の気持ちを強くしているようです。
自身が高齢となった今は、
出征前に撮った家族写真や、
戦地から届いた実の父からの手紙を、
毎日のように眺めています。
祖父は祖母より9歳も若かったため、
母とは16歳しか違わず、母や叔母が若いころは、
近所の人から口性ない噂を立てられたこともあり、
また、祖母との結婚を反対していた祖父の親戚から、
母たちは厄介者扱いされていたそうで、
辛い思い出として母の記憶に刻まれているため、
祖父の写真を置こうとしない母を、
わたしたち兄妹は責めることはできずにいます。
祖父が大好きだったわたしたちは、
いずれ母が天に召されたら、
仏壇に祖父の写真も加えてあげたいと考えています。
戦争で人生を狂わされた2人の祖父と、その家族でした。
今も世界のあちこちで起きている戦争の犠牲者は、
罪のない一般市民です。
戦争以外での平和的解決に、
世界中が駆引などなく真剣に取り組んで欲しいと、
切に願います。
(もつ)

2025-10-30-THU

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  • ヴェトナム戦争/太平洋戦争にまつわる
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    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶