
- 結婚して赤ん坊が産まれてすぐに
中国に出兵することになった祖父。
そこでの過酷な日々などが祖父の手記に残されています。 - 出兵から十年が経ち、戻ってきたころには、
お嫁さんは家を出て
すでに他の男性と一緒になっていました。 - 取り戻したい、息子を迎えに行きたいと思っても、
自身の身体は栄養失調と肋膜炎で動けず、寝たきりに。
夢描いていた将来も立ち消えになりました。 - 祖父は手記の中で、
自身の息子への思いを切々と記しています。
産まれたときにどれほど嬉しかったか、
別れるときにどれほど悲しかったか、
利発な瞳、僅かな帰省の折に
ちいさな赤ん坊を抱いたときの喜び、
戦地に戻りたくないという思い。 - 息子のことを忘れたことはないこと、
心にいつもあること。 - 祖父がこんなにも思っていることを、
手記を目にするまで誰も知りませんでした。 - 祖父は後に結婚して5人の子宝に恵まれました。
長女が私の母です。
夏休みなどに
その腹違いのお兄さん(祖父の息子)が
来ていたことがあったそうです。
新しい父親には馴染めなかったようだと、
母が伝え聞いています。 - 祖父は身体がよくなったあと商売をはじめ、
八百屋を営んでいました。
店は繁盛し、まわりからも慕われる自慢の祖父でした。
軽トラックに乗せてもらい、
市場で競りに加わる祖父の姿はかっこよく、
また海に連れてってもらい、
魚釣りを教えてもらいました。 - 祖父は17年前に90歳で亡くなりました。
- 最後の2年間を我が家に来て、ともに過ごしました。
- 息子さんは今はどうしているか、
母もわからず、
祖父が亡くなったことを知らせる術は
ありませんでした。 - こんなにも祖父から思われていたこと、
愛されていたことを、
何らかのかたちで届けられないかと思っていました。 - 祖父は実の子どものことや
孫のことも手記に綴っていますが、
別れることになった息子さんのことを、
誰よりも深い愛情を持って綴っているのです。 - わたしも子どもができ、
こんなにも祖父が愛おしく思っていたことを、
息子さんに知ってほしいと思いました。 - あなたのお父さんは、亡くなる直前まで、
あなたのことを大切に思っていたのですよ、と。 - (周藤裕子)
2025-10-10-FRI

