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読者のみなさんから届いたお便り #61

 
結婚して赤ん坊が産まれてすぐに
中国に出兵することになった祖父。
そこでの過酷な日々などが祖父の手記に残されています。
出兵から十年が経ち、戻ってきたころには、
お嫁さんは家を出て
すでに他の男性と一緒になっていました。
取り戻したい、息子を迎えに行きたいと思っても、
自身の身体は栄養失調と肋膜炎で動けず、寝たきりに。
夢描いていた将来も立ち消えになりました。
祖父は手記の中で、
自身の息子への思いを切々と記しています。
産まれたときにどれほど嬉しかったか、
別れるときにどれほど悲しかったか、
利発な瞳、僅かな帰省の折に
ちいさな赤ん坊を抱いたときの喜び、
戦地に戻りたくないという思い。
息子のことを忘れたことはないこと、
心にいつもあること。
祖父がこんなにも思っていることを、
手記を目にするまで誰も知りませんでした。
祖父は後に結婚して5人の子宝に恵まれました。
長女が私の母です。
夏休みなどに
その腹違いのお兄さん(祖父の息子)が
来ていたことがあったそうです。
新しい父親には馴染めなかったようだと、
母が伝え聞いています。
祖父は身体がよくなったあと商売をはじめ、
八百屋を営んでいました。
店は繁盛し、まわりからも慕われる自慢の祖父でした。
軽トラックに乗せてもらい、
市場で競りに加わる祖父の姿はかっこよく、
また海に連れてってもらい、
魚釣りを教えてもらいました。
祖父は17年前に90歳で亡くなりました。
最後の2年間を我が家に来て、ともに過ごしました。
息子さんは今はどうしているか、
母もわからず、
祖父が亡くなったことを知らせる術は
ありませんでした。
こんなにも祖父から思われていたこと、
愛されていたことを、
何らかのかたちで届けられないかと思っていました。
祖父は実の子どものことや
孫のことも手記に綴っていますが、
別れることになった息子さんのことを、
誰よりも深い愛情を持って綴っているのです。
わたしも子どもができ、
こんなにも祖父が愛おしく思っていたことを、
息子さんに知ってほしいと思いました。
あなたのお父さんは、亡くなる直前まで、
あなたのことを大切に思っていたのですよ、と。
(周藤裕子)

2025-10-10-FRI

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  • ヴェトナム戦争/太平洋戦争にまつわる
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    その中から、
    「50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶」
    の特集のなかで、
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    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶