
- 母カズの太平洋戦争の記憶。
ここから先は、現在89歳のカズが主人公です。 - カズは太平洋戦争が激しくなったころ、
荻窪から三鷹に疎開しました。
理由は、集団疎開の対象になってしまい
(長女カズ小学校3年)、カズの祖母がかわいそうにと、
祖母とカズ2人でカズの叔父の家に身をよせました。 - 実の母と弟妹兄弟3人は、
父ひとりを荻窪に残し(逓信省勤務、さすがに大事な会社)
実母の実家の茨城に疎開しました。 - カズは家族と離ればなれになり、
とてもさびしく悲しい毎日だったそうです。
三鷹でも通学路に防空壕があり、
サイレンが鳴ると、隠れながら通学、
授業は林の中に隠れて行っていたそうです。
学校の話としては、日本史を学ばせてくれなかったそうで、
いまでも日本史はわからないと話しています。 - 昭和20年の3月の大空襲は、
三鷹の町からでも
都心の方角の空が真っ赤になっているのが見えたそうです。 - その空襲の酷さに、荻窪の父が長女カズも
茨城に行ったほうがいいと判断し、
1年ぶりに母親と兄弟のもとへ疎開することになりました。 - 20年の夏に戦争は終わりましたが、
焼け野原で食料事情の悪い荻窪にはなかなか戻れず、
牛小屋となりの納屋で母と子ども4人で暮らしていました。
戦地で戦ってきた叔父が帰ってきたときは、
よかったねとみんないいながらも、
人が変わった怖いおじさんになってしまい、
近づけなかったそうです。 - それから1年ほどして、
父が迎えにきて荻窪へ家族で戻りました。 - 茨城での疎開先は3家族が実家にすがり身を寄せ(4世帯)、
同じ年ごろのいとこたち総勢15人で
野山を駆け回っていたことは、
いまでも忘れられない、深い深い思い出だそうです。 - 長々と失礼しました。当時をとても鮮明に記憶していて、
書ききれないほど語るカズでした。 - カズは自分が亡くなったら、
思い出の茨城の海に散骨してほしいと、
20年くらい前からの約束になっています。 - (うみちゃん)
2025-10-03-FRI

