
- 6月に昭和9年生れの父が鬼籍に入り、
その整理で毎週のように
新幹線で故郷のまちを訪れています。
その金曜日は、
税務署で準確定申告の書類をもらうことと、
郵便局で父の郵便貯金を解約するのが
訪問の主な目的でした。 - ふだん使っていなかった通帳なので、
貯金残高はわずかでしたが、
「国債等元利金」の入金が
記帳されていることに気づきました。
これはなんだろう?
父が国債を持っていたという話は
聞いたことがありません。 - 窓口で訊くと「記名国債ですね」と言われました。
記名国債? ますますわかりません。
すると担当者は続けて
「『戦没者等の遺族に対する特別弔慰金』です。
郵便局でこれ以上お役に立てることはないので、
くわしくは市役所へ行かれることをおすすめします」
と言いました。 - ネットで「記名国債」を調べてみると、
こう書かれていました。 - 「記名国債とは、
第二次世界大戦で被害を受けた戦没者等の遺族や、
強制引揚者などに、
金銭の支給に代えて交付される特別な国債です。
特定の個人に交付されるため、
原則として譲渡や担保設定が禁止されており、
換金や担保提供は
国による買上償還や貸付制度を利用する場合に限られます」 - これ、該当者が申請をすることで、
その国債が定期的に分割され
償還金としてゆうちょ銀行に振り込まれるんだそうです。
それを父は、祖母なきあと、引き継いでいたのです。 - その日は台風が故郷の町を通過している最中でしたが、
雨や風は強いものの、中心街はとくに被害はなく、
出かける人が少ないゆえに、市役所も空いていました。
がらがらのフロアで案内窓口をたずねると
上階に「市民局市民自治推進課」があり、
そこに「戦没者等の遺族に対する特別弔慰金」の
窓口があると教えてくれました。
そんな窓口が、いまも、あるのですね。 - さてこれが誰のための弔慰金なのかというと、
レイテ島で戦死した伯父です。
父の兄にあたる人ですが、祖父の先妻の子で、
その先妻は祖母の実姉ですから
「義理の兄」ということになります。
ややこしいようですが
「むかしはよくあった話」だそうです。
病弱な姉の手伝いに来ていた15歳の妹が
そのまま後妻に入った。
それがぼくの祖母であり父の母です。
でも父からは「戦死した義理の兄」の話は、
いちども聞いたことがありません。
あえて語らなかったのか、語りたくなかったのか、
語るほどの思い出がなかったのかは、わかりません。
祖母もあまり話すことはありませんでしたが、
よく仏壇に手を合わせていたのは憶えています。
祖母は遺族によりレイテ島の慰問団が結成されたときには
いちど参加しているはずです。
レイテ島でのことは、日本が経験した
もっとも悲惨な戦場のひとつだと聞いた、
と、祖母は言っていました。 - さてこの弔慰金が振り込まれた最後は今年の5月です。
市役所のかたによればそれは
「第11回」の最後だということでした。
そうか、父の死とともに、
わが家の戦後も、やっと終わったのかもしれない、
とぼくはしみじみ思いました。ところが──。 - 「あ‥‥、お父様が亡くなられたのは6月ですよね。
実は今年の4月1日に生存なさっていた方には、
次回の第12回の特別弔慰金を受け取る権利があるんです。
つまりお父様はその権利を遺して亡くなられたので、
第12回に限っては、
相続人に相続される財産ということになります。
第13回以後は、
お父さまの兄弟姉妹で同じ姓のかたに行きます。
ここでお手続き、なさっていったらいかがでしょうか。
住民票がこちらでしたら、ここで申請が可能です」
しかしぼくは、故郷のまちに住民票がありません。
それを知った職員さんは
「それではお住まいの都道府県でお手続きをしてください。
ただ申請方法は同じですので、
基本的なことをお伝えしますね」と、
とても丁寧に必要書類の準備や
申請書の書き方について教えてくれました。 - 書類一式を預かり、1階に降りると、
外はまだ激しい暴風雨でした。
すこし雨宿りをしていこう、と思い、
人の少ない待合で腰を下ろしました。 - 父の「同姓の兄弟」たちが身罷ったら、
この特別弔慰金を受け取る資格のある人はいなくなります。
それまであと十年、いやもう少しか、わかりませんが、
その時までわが家の戦後は続くのだな、
と、激しい雨を見ながら思いました。 - それにしてもまさかじぶんのところに
こんなふうにリアルな「戦後」がやってくるとは、
まったく思っていなかったなあ。 - (武井義明)
2025-09-09-TUE

