
- 戦争で中国に行っていた祖父は、亡くなる少し前、
戦争の時の部隊の写真を見せてくれました。
大陸に渡ったばかりのころは、
祖父を含めみんな凛々しい顔をしていましたが、
数年経ったあとの写真は、目がぎょろぎょろし、
頬がこけていて、思わず息をのみました。 - 孫たちにはとても優しい祖父でしたが、
晩酌のあとにときどき、
よくわからない理由でおいおい泣いたり、
大きな声を出すことがありました。
また、近所に住んでいた大叔父(祖母の弟)は、
海軍にいましたが、
戦争から帰ってしばらくは、
昼から酒を飲み、フラフラと自転車を漕いでいたと
祖母が話していました。
2人とも、いま思うとPTSDだったのかもしれません。
そのころはそんな言葉も知らず、
理解してあげられませんでした。
祖父は肺を病み、白血病になっても酒をやめられず、
苦しそうに息をしていたのを覚えています。 - 祖母は田舎の農家だったので、
戦争のときも
それほど食糧に困ることはなかったそうです。
近所に、アメリカに行ったことのある人がいて、
その人は当初から
「あんな強い国に日本が勝てるわけない。
この戦争日本の負けだ」と言っていたらしく、
祖母はなんとなく、
そうかもしれないと思っていたそうです。 - テレビや映画では、戦時中、国民はみんな
日本の勝利を信じていたように描かれますが、
地方の片田舎でも
日本の勝利に疑問を持っていた人がいたのに、
本当にこんな感じだったのかな?
とちょっと疑問に思うことがあります。
むしろ、疑問を持っているからこそ、
信じ込もうとして
強い態度になっていたのかもしれませんが。 - ちなみに冒頭で祖父と書きましたが、
わたしが実家で同居していた祖父は、
厳密にはわたしの祖父ではありません。
わたしの父の父は、戦争中病死したため、
その弟にあたる祖父(ややこしい)が
戦地から戻ってきたあと、祖母と再婚したそうです。
そのように、配偶者が亡くなった場合、
その兄弟と再婚することはめずらしくなかったそうです。 - なのでわたしにとって、
祖父は本当は大叔父だったのですが、
中学生になって母から聞かされるまで、
わたしも弟たちも、まったく気づきませんでした。 - 孫としてかわいがってくれたんだなあと改めて思います。
- (おもち子)
2025-09-02-TUE

