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読者のみなさんから届いたお便り #23

 
戦争で中国に行っていた祖父は、亡くなる少し前、
戦争の時の部隊の写真を見せてくれました。
大陸に渡ったばかりのころは、
祖父を含めみんな凛々しい顔をしていましたが、
数年経ったあとの写真は、目がぎょろぎょろし、
頬がこけていて、思わず息をのみました。
孫たちにはとても優しい祖父でしたが、
晩酌のあとにときどき、
よくわからない理由でおいおい泣いたり、
大きな声を出すことがありました。
また、近所に住んでいた大叔父(祖母の弟)は、
海軍にいましたが、
戦争から帰ってしばらくは、
昼から酒を飲み、フラフラと自転車を漕いでいたと
祖母が話していました。
2人とも、いま思うとPTSDだったのかもしれません。
そのころはそんな言葉も知らず、
理解してあげられませんでした。
祖父は肺を病み、白血病になっても酒をやめられず、
苦しそうに息をしていたのを覚えています。
祖母は田舎の農家だったので、
戦争のときも
それほど食糧に困ることはなかったそうです。
近所に、アメリカに行ったことのある人がいて、
その人は当初から
「あんな強い国に日本が勝てるわけない。
 この戦争日本の負けだ」と言っていたらしく、
祖母はなんとなく、
そうかもしれないと思っていたそうです。
テレビや映画では、戦時中、国民はみんな
日本の勝利を信じていたように描かれますが、
地方の片田舎でも
日本の勝利に疑問を持っていた人がいたのに、
本当にこんな感じだったのかな?
とちょっと疑問に思うことがあります。
むしろ、疑問を持っているからこそ、
信じ込もうとして
強い態度になっていたのかもしれませんが。
ちなみに冒頭で祖父と書きましたが、
わたしが実家で同居していた祖父は、
厳密にはわたしの祖父ではありません。
わたしの父の父は、戦争中病死したため、
その弟にあたる祖父(ややこしい)が
戦地から戻ってきたあと、祖母と再婚したそうです。
そのように、配偶者が亡くなった場合、
その兄弟と再婚することはめずらしくなかったそうです。
なのでわたしにとって、
祖父は本当は大叔父だったのですが、
中学生になって母から聞かされるまで、
わたしも弟たちも、まったく気づきませんでした。
孫としてかわいがってくれたんだなあと改めて思います。
(おもち子)

2025-09-02-TUE

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