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読者のみなさんから届いたお便り #22

 
もう25年も前に亡くなった、
大正7年生まれの祖母からいちど聞いた話です。
戦時中、祖母の恋人は外地
(戦争に外国に行くとき、
そこを『がいち』と言っていました)に行って
戦死しました。
戦死の知らせがあったので、
その後、祖母は別の人と結婚しました。
わたしの祖父です。
そして生まれた母の姉が一歳になったころ、
知人にお祭りに来るよう誘われたそうです。
ふだん暮らしている場所から
電車で30分ほどの場所です。
お祭りなので浴衣を着て、
一歳だった叔母を抱いて行くと呼ばれて
「会わせたい人がいる」と。
やって来たのは、
戦死の知らせがあった恋人だったそうです。
そのとき何を話したとか、
そのあとどうしたのとか、祖母に訊ねてみたのか。
この話を聞いた当時は
小学校高学年くらいでしたが、おぼえていません。
母の姉は昭和18年生まれ、
昭和20年生まれの母が生まれる前だから終戦前で、
そのころにお祭りなんてあったのだろうかと、
自分の記憶さえもあやしんでしまうのですが。
さて、祖父は兵隊に取られず、
(甲乙ヘイテイのクラス分けをされる審査のとき、
前の順番の人が明らかに体の弱い方で、
その人の名前を呼ばれたときに
『はい!』と返事をして帰って
兵隊に不合格をもらったから
戦争に行かなかったんだよと
祖母に聞かされましたが、
そんなことがあったんでしょうか。
逸話の多い祖父です)
母が5歳のとき
に他界しました。
彼女にうつされた結核で、です。やるじゃん。 
その後、祖母は再婚はせず、
わたしの母もシングルマザーになり、
夜はたらいている母の代わりに
いろんな世話をしてくれた祖母が、
眠る前にいろんな話をしてくれた話のひとつが、
この再会した恋人の話でした。
この話はたしか一回きりでしたが、
いろいろな話をしてくれたあとに、
祖母はよく、
「汲めども尽きぬ思い出の泉、
つってね(といってね)」
と、決まり文句のように言っていました。 
きのうが終戦記念日で、
勤め先の患者さん、
当時10歳で沖縄にいた方の話を聞いたり、
ほぼ日のこのコンテンツを読んだりして、
この話を思い出しました。
誰かが読んでくれたら祖母も喜ぶでしょうか。
それとも、おらあ恥ずかしいよせよ、
と言うのかしら。
ゆっちゃったよ、久子さん。
(さとう)

2025-09-01-MON

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    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶