
- もう25年も前に亡くなった、
大正7年生まれの祖母からいちど聞いた話です。 - 戦時中、祖母の恋人は外地
(戦争に外国に行くとき、
そこを『がいち』と言っていました)に行って
戦死しました。
戦死の知らせがあったので、
その後、祖母は別の人と結婚しました。
わたしの祖父です。 - そして生まれた母の姉が一歳になったころ、
知人にお祭りに来るよう誘われたそうです。
ふだん暮らしている場所から
電車で30分ほどの場所です。 - お祭りなので浴衣を着て、
一歳だった叔母を抱いて行くと呼ばれて
「会わせたい人がいる」と。
やって来たのは、
戦死の知らせがあった恋人だったそうです。 - そのとき何を話したとか、
そのあとどうしたのとか、祖母に訊ねてみたのか。
この話を聞いた当時は
小学校高学年くらいでしたが、おぼえていません。 - 母の姉は昭和18年生まれ、
昭和20年生まれの母が生まれる前だから終戦前で、
そのころにお祭りなんてあったのだろうかと、
自分の記憶さえもあやしんでしまうのですが。 - さて、祖父は兵隊に取られず、
(甲乙ヘイテイのクラス分けをされる審査のとき、
前の順番の人が明らかに体の弱い方で、
その人の名前を呼ばれたときに
『はい!』と返事をして帰って
兵隊に不合格をもらったから
戦争に行かなかったんだよと
祖母に聞かされましたが、
そんなことがあったんでしょうか。
逸話の多い祖父です)
母が5歳のとき
に他界しました。
彼女にうつされた結核で、です。やるじゃん。 - その後、祖母は再婚はせず、
わたしの母もシングルマザーになり、
夜はたらいている母の代わりに
いろんな世話をしてくれた祖母が、
眠る前にいろんな話をしてくれた話のひとつが、
この再会した恋人の話でした。 - この話はたしか一回きりでしたが、
いろいろな話をしてくれたあとに、
祖母はよく、
「汲めども尽きぬ思い出の泉、
つってね(といってね)」
と、決まり文句のように言っていました。 - きのうが終戦記念日で、
勤め先の患者さん、
当時10歳で沖縄にいた方の話を聞いたり、
ほぼ日のこのコンテンツを読んだりして、
この話を思い出しました。
誰かが読んでくれたら祖母も喜ぶでしょうか。
それとも、おらあ恥ずかしいよせよ、
と言うのかしら。
ゆっちゃったよ、久子さん。 - (さとう)
2025-09-01-MON

