
- 親戚のおじさんから聞いた話です。
- おじさんの父親が死期をさとり、
亡くなる前に
「話しておきたいことがある」と
語りはじめたそうです。 - じつは原爆が投下された数日後の広島に
行ったことがある。
自分が放射能に汚染されただろうことが
怖かったが、それ以上に周囲の人から
差別されるのが怖くて
家族にも言えなかったと。 - 当時、呉の軍需工場で働いていたが、
広島が大変なことになったからと
手伝いに駆り出された。
そこで広島の街がなくなっているのを見て
信じられなかった。 - ぜんぶが真っ黒焦げで‥‥と言葉に詰まり、
俯いて涙を流し、
それ以上は話せなかったそうです。 - 話してくれたおじさんも、
父親が見たであろう景色を
「語れない」ことによって、
その凄惨さを感じ取ったようでした。 - 本当に恐ろしいことは語れない。
言葉にならない、その背後にある思い、
ほぼ日さんにだったら伝わるかもと思い
書きました。 - おじさんの父親は、
原爆の大きな影響はなかったようで、
長生きされて90歳以上だったはずです。
それでも長年、あの日の恐ろしい記憶を
胸にしまっていたようです。
戦争の背後にある語られない思い、
想像力が必要ですが、
次世代に知ってもらいたいです。 - (匿名さん)
2025-08-16-SAT

