──
村田さんが、明治工芸の作品のなかで、
好きな作家や作品を、教えてください。
村田
金工の正阿弥勝義なんか、いいですね。
素晴らしい品をものした岡山の名工で、
備前藩お抱えの刀装金工だった人。

超絶技巧だけじゃなく、
彼の美的感覚は本当に素晴らしいです。

junaida
それは、どういうところが、ですか。
村田
ええ、日本的な美をあらわす言葉には、
いろいろあるじゃないですか。
もっとも有名なのは、
茶の湯の「侘び寂び」の世界ですが、
他にも、
能や水墨画に代表される「幽玄」や、
気品を伴った豪華な美しさ、
「雅」の世界というものがあります。
──
侘び寂び、幽玄、雅。
村田
正阿弥勝義の美的感覚をあらわすなら、
「粋」と言えると思います。
たとえば、見た目は地味な着物でも、
裾を返せば艶やかな色彩や文様が
あしらわれている、そういう世界観。
──
奢侈禁止令的なことで、
役人からぜいたくを禁じられた人々が、
着物の裏で華美を楽しんだ‥‥
みたいな話ですよね、うろ覚えですが。
村田
そういう文化を「粋」と呼びますけど、
言うなれば、
意外性や驚きを伴う美だと思うんです。
──
ああ、一見、単色の地味な着物なのに、
裏を返せば、艶やかだから。
村田
そういった「粋」を追求していたのが、
正阿弥勝義だったと思います。
たとえば、
香合(こうごう/お香を入れる箱)の蓋に、
若松を1本だけ雪野原に描き、
その周囲に鳥の足跡を彫金であしらいます。

正阿弥勝義《新年雪図香合》 
写真提供:清水三年坂美術館 撮影:木村羊

──
ええ。
村田
蓋を開けると、その蓋の裏に、
表側で「足跡」をつけたであろう鶴たちが、
空に舞い上がる姿が描かれている。
これも、意外性や驚きを伴う美ですよね。

正阿弥勝義《新年雪図香合》裏 
写真提供:清水三年坂美術館 撮影:木村羊

junaida
鶴をストレートに表現するんじゃなく、
「足跡」と「舞い上がる姿」を描いた点が、
「粋」なんでしょうね。
村田
十人並みの作家だったら、
鶴そのものを、描いてしまったでしょうね。
そうではなく、表側には鶴の足跡だけで、
蓋を開けた裏側に、
足跡の主であろう鶴が空へ舞い上がる、と。
junaida
すごく日本的な美の表現ですね。
村田
安藤緑山の象牙作品も、同様です。
どこからどう見たって、
本物の野菜に見える象牙の彫刻をつくって、
三井家の床の間かなんかに飾らせて。
──
ええ。
村田
お客さんに「すごいでしょう」と、
「ちょっと持ってください」と持たせたら、
野菜の重さじゃなく、
ズシッと重くて、ビックリする‥‥という。
──
それも「驚きや、意外性」ですね。
村田
それが「粋」の世界、なんです。
同時に職人の楽しみでもあったと思います。

自分の作品を見た人、触れた人が、
目をまん丸くして驚く顔を、見ることがね。
junaida
いまのぼくたちみたいに。
──
あらためてなんですが、
明治に万博で世界へ出ていった職人って、
いまで言えば、
オリンピック選手みたいな感じですよね。
教科書には、あまり載ってないけど。
村田
そうでしょうね。
junaida
なんせ国民の代表、ってことですものね。
しかも近代化のための外貨を稼いでくる、
という重要な役割を担っていた。

並河靖之《花鳥図花瓶》部分 
写真提供:清水三年坂美術館 撮影:木村羊

──
そういう人たちって、
当時から、国内でも有名だったんですか。
村田
明治10年くらいから、
日本国内でも「内国勧業博覧会」という
万博の国内版みたいなものが
開催されていましたし、
それ以外にも、美術展覧会などは、
明治時代に、たくさん催されていたので。
──
なるほど。

そういう舞台でピッカピカに光ってたと。
村田
そう。明治期の工芸にたどり着く前、
わたしも、
いろいろな美術骨董を見てきましたけど、
彼らの作品を見て、
日本人ってすごいなあと、
つくづく、思うようになったんです。
──
どういう意味で、ですか。
村田
やはり、少しでもいいものをつくろうと、
もっといいものをつくろうとする。
漆器ひとつにしても、
もともとは日本以外の場所で生まれて
日本に入ってきたわけですが、
そこに、日本人は「蒔絵」を開発して、
洗練させていくじゃないですか。
──
ええ、ええ。なるほど。
村田
もちろん、中国や朝鮮なんかにも、
生漆に金粉を混ぜて描く技法はあります。
でも、日本人のように、生漆で絵を描き、
その上から金粉や銀粉を撒いて、
さらに炭で研いで、
金の色をより鮮やかに輝かせるだなんて、
なかなか、やらないことですよ。
──
象嵌という技術のすごさも、
村田さんから聞いて、ビックリしました。
村田
明治の万博当時、
あれだけ複雑で細かい象嵌・彫刻技術を
目にした欧米人は
本当に、舌を巻いたと思いますよ。
そのDNAはいまも生きていて、
わたしがいた電子部品でも、同じく‥‥。
──
あ、そうか。村田さんは、
村田製作所の専務さんでらしたんだった。
村田
電子部品、セラミックコンデンサなんか、
もともとは、
東ドイツの会社が発明したものですが、
どんどん改良して、
ちいさくしていったのは日本人ですから。
──
ああ、そうなんですか。
村田
いま、みなさんの携帯電話のなかにはね、
「0.6ミリかける0.3ミリ」という
芥子粒みたいなセラミックコンデンサが、
スマホだったら、
およそ「800個」くらい入ってるんです。
こんな仕事は、日本人ならではだと思う。

本当に「とことん、やる」んです。
junaida
細密の作品を見ると、
そのことが、とくによくわかりますよね。
自分の技術が届く限界まで、
細密さを突き詰めてやろうという気魄が、
ビンビン伝わってくるから。

7代錦光山宗兵衛《菊唐草文ティーセット》部分 

写真提供:清水三年坂美術館 撮影:木村羊

──
なにせ、ルーペで見なきゃなんないって、
ちょっと、おかしいですもんね。
ふつうの人間がつくったもので、
ちいさいおじさんがつくってるわけじゃ
ないわけですから(笑)。
村田
本当に、そうです。
肉眼では見えないところまで突き詰めて、
決して、手抜きをしない。
junaida
でも、村田さんが、
昔から「細密」に関わってらっしゃった、
というのが‥‥。
──
いいですよね(笑)。
村田
そう言われてみれば、そうですね(笑)。
昔から、蝶々とか、切手とか、
細密なものが好きだった‥‥んですよね。
──
蝶々と、切手と。
村田
蝶々の鱗粉をルーペで覗くのが大好きで。
切手なんかも、あの限られた面積に、
国宝だとか重要文化財だとか、
国立公園だとか、
美しいものを凝縮させているところがね。
──
お好きで。
村田
はい。
junaida
ずうっと一貫されてるんですね、じゃあ。
村田
そうですねえ、言われてみればね(笑)。

<おわります>

2017-09-11-MON