いまなお、多くの人の心をとらえて離さない
『MOTHER』シリーズの音楽。
その音を紡いだのが鈴木慶一さんと田中宏和さん。
開発者の糸井重里を交えて
たっぷりとひもといてもらいましょう。
その経緯を。とっておきの秘密を。込めた情熱を。
一見のほほんとした「おじさん」たちは、あのとき、
あきらかにムキになって戦っていた!鬼だった!
なお、ときたま登場する「ムケてない」ということばは
「大人になりきれていない」という意味で使います。
あまり余計なことなど想像せぬように。

第2回

「そして役者はそろった」

今でも、あのピコピコした音の
オープニングテーマを聞くと胸がキュンとします。
今でも時々取り出して、MOTHERの世界を訪れています。
私が鈴木慶一さんの写真を
「この人が『MOTHER』の音楽を作った人だよ」
と見せたとき、息子たちの目に浮かんだ尊敬の色を
ご本人にお目にかけることができないのが残念でした。
(セ)

『MOTHER』をつくるにあたって、
とにかく音楽は重要だ、と。

糸井
で、そのくらい大事なものをどうするか。
候補としてまず挙がったのが慶一くんだったわけ。
なぜかというと、この仕事には、
「ポップ音楽の教養」が必要なんですよ。
映画音楽だからさ、一種の。
あらゆることを使えなきゃいけないってことと、
あと、ぼくとコミュニケーションが
取れる必要あるんですよね。
「ここはこうでさ‥‥」って言ったときに
「そうそう」って言えないとダメなんで。
で、慶一くんのところに話を持っていきました。

そこに、田中宏和さんが入ってきたのは?

糸井
うん。まず、慶一くんが決まった。
慶一くんは、音楽をつくることはできるけど
「3音にすること」はできないわけだよね。

3音? ああ、ファミコンの音にするんだ。

糸井
そうそう。
古いゲームファンは知ってると思うけど、
当時のファミコンって、
一度に出せる音は3音しかなかったんですよ。
要するに、同時に音を3つしか鳴らせない。
そのなかで、メロディーとリズムをつくって
思ったような音楽にするのって、
めっちゃくちゃ、テクニックが必要なんだ。
鈴木
そうなんだよ。
糸井
『MOTHER』の音楽を慶一くんに頼んだ。
あとは3音にするために、
つまり、ゲームの音として
整理してくれる人が必要だったんですね。
そこで、宮本茂さんに相談したんです。
宮本さんはミュージシャンでもある人ですから。
(編集部注:宮本茂さんは大の音楽ファンで
ご自身もギターをたしなみます)
そうしたら
「うちにひとり、いるんですけども、
糸井さんがどう思うかわからないんで、
とにかくテストで会ってみてください」
っていって、もうまったくわけわかってない
ひろかっちゃん(田中氏)が来たんだよ。
鈴木
おぼえてる、おぼえてる。
「レゲエ・バンドをやってる人」という
ナゾ情報だったよね(笑)。
田中
(苦笑)
糸井
紹介するとき、宮本さんも、
「この人がいちばんお薦めなんですけど」
って言うだけだったからね。
当時、宮本さんとぼくのコミュニケーションは、
いまほど密じゃないから、
お互いに恐る恐るなんですよ。

メールもない時代ですしね。

糸井
うん。僕としても、
すっごいオタクっぽいやつが来たら、
嫌だなあ‥‥って思ってた。
そしたらレゲエが来たんですよ。

ええと、レゲエっぽい風貌というだけでなく、
音楽性や中身も含めてレゲエ?

鈴木
レゲエ・バンドやってたんだよね?
田中
うん。ほんとにレゲエ一色だったの。
20代の前半から。
でも、慶一さんの大ファンでもあったんだよ。
もう、中学生のころからの大ファンで。
糸井
レゲエと慶一くんっていう組み合わせもすごいよね。
そんなやつ、ゲーム業界にふつういなかったのに、
たまたまいたんだよね。
田中
たまたま、ね(笑)。
糸井
思えば、運だよね。
当時は運だとも思ってないんだけど(笑)。
で、ぼくとしては、そのふたりがそろってもなお、
どんなふうに仕事が進むのか、
見当がつかないわけ。
慶一くんが曲をつくることができるのはわかる。
でも、それをどう変換して、
どう作業を進めていくのかはわからない。
田中さんがつくんなきゃいけない部分も、
いっぱいあるわけだから。
鈴木
効果音とかもね。
糸井
そうそう。効果音とか戦闘のときの音楽とか。
そういうのを慶一くんに
いきなりやらせるわけにはいかないんだよ。
イラストレーターにアート・ディレクターやれ、
っていうのと同じだから。
文学者に、写植を詰めろよ、というようなもので。

近いようでいて、まったく別の仕事。

鈴木
そうだね。
だけど、効果音作る人って
子供の頃からあこがれてた。
糸井
だから、田中さんの役割は、
ものすごく重要で、たいへんなんですよ。
宮本さんが推薦するんだから
まちがいはないだろうけど、
慶一くんとうまくいくだろうか、とかね。
いろいろ考えましたよ。
鈴木
不安もあったでしょうねえ。
なにしろ、14年も前だからね。
私もまだムケてない時期だしね、ぜんぜん(笑)。
糸井
慶一くんもムケてないし、
ぼくも、いまよりもうちょっと乱暴で、
かなりふざけた人生を送ってる時期ですから。
自分のムケてなさを知ってるわけですよ。
つまり、自分のいい加減な
アーティストぶりっていうの知ってるから、
そこに、ただのレゲエ好きが来ちゃったら、
ひどいことになるかもしれない。
鈴木
うんうんうんうん。
ちゃっ、うんちゃっか (笑)。
糸井
田中さんだって、
オレのこと信用してなかったと思うよ。
わかんないけど。
だって、ゲームに関しては、素人だもんねぇ。
だから、みんながみんな、
「ほんとに大丈夫か? でも、やるしかないな」
っていうあたりでの、見切り発車だったんです。
信用し合うまでのつき合いなんかないもんね。
田中
そうですね(笑)。

慶一さんと田中さんが
実際にお会いになったときはどうだったんです?

鈴木
うん。やっぱり、
最初はこっちもどんな人が来るのかな?
っていう感じだったんだよね。
でも、会って、最初の日に
いろいろしゃべってると、
なんか音楽の話ばっかしてるの。
要するに学生だよ。音楽好きの学生(笑)。
「これ、あるんだけど聴く?」
って家のアナログ盤出して。
「これ、いいよね!」とかいって(笑)。

じゃあ、わりとすんなりハマったんですね。
なんというか、幸運なことに。

糸井
いま思えばね(笑)。

それでようやく役者がそろうわけですね。
糸井さんの思う、大切な音楽を
ゲームの音楽としてつくってくれる人たちが。

糸井
うん。走り出してから、よかったですよ。
もうね、ぼくの意図を最初からよく汲んでくれた。
いちばんビックリしたのは、
田中さんから、ものすごく早い時期に
『Snow Man』が出たんだよね。
で、「あーっ!」って思ったのよ。
つまり、あそこって、
ゲームのなかから急に色を抜いちゃうところで、
まさに音楽が機能しなくちゃいけない。
あそこで会う女の子っていうのは、
もう、どせいさんと同じくらい無垢なものだから。
そういう重要な場面でね、
無垢な音、泣ける非現実的な音が
もうすでに、鳴ってたんだよ。
田中
レゲエの男から(笑)。
糸井
ねぇ(笑)?
レゲエ・バンドのヤツがさぁ、
『Snow Man』作ったってのは、
ちょっといいよねえ。
鈴木
『Snow Man』はいい曲だっていうのは、
ロンドンレコーディングのときも
イギリス人に言われてたし、評判だったよ。
糸井
ああ、そう!

僕は、人に「MOTHER」のどこが好き?
って聞かれても多分答えられません。
もちろん、使用されている音楽などはスッゴク大好きです。
特に「MOTHER」の雪のステージ。
(hayato)

音楽も最高でしたね!!
すごく耳に残ります。MOTHERをプレイして以来、
冬に雪が降ったらスノーマンの曲を思い出したり、
朝に霧がかかった時にイースターの曲を思い出したり、
ストーブのついている部屋でくつろいでいる時に
マイホームの曲を思い出したり、
寂しい、切ない気分の時に
アナとのダンスの時の曲を思いだしたりしています、
いまだに。 (N-FIELD)

(続きます!)

2003-05-30-FRI