第1回 モノが市場を変えていく


糸井 今の学生さんたちって、
みんな、まずは就職するんでしょうかね。
自分でやろうという人や、
商店主になろうという人は
あまりいないんですかね。

三宅 ぼくが教えている大学では
ほとんどみんな、いちど就職しようとしますね。
ぼくも、そのほうがいいと思うんですが。

糸井 そうですか。

三宅 ええ。というのも、
これはうちの学生たちの場合ですけど、
「いいところのご子息」が多いんです。

はっきり言うと、ご両親が事業経営という
学生たちがわりといるんですけど、
そういう子がもし
「就職できなくてもいいや。
 いざとなったら親の会社に入れてくれるし」
という気分で就職しちゃったりすると、
将来、ご両親の会社に迷惑をかける気が
ぼくはするので。



糸井 あんがい親のほうも
「すぐに来い」と待ってたりするケースも
あるんじゃないですか?

三宅 あると思いますね。
ただ、そう言うと本人が油断してしまうし、
あまり良くないと思うんですよ。
嘘でもギリギリまで
「うちの会社に入れると簡単に思うなよ」
とか言っておいたほうが、
仕事のことを真剣に考えるから
いいんじゃないかと思うのですが‥‥。

糸井 ちなみに、起業しようという学生の方って、
けっこういらっしゃるものですか?

三宅 うちの大学に限って言えば、
ほとんどいない、というのが実状ですね。

ちょっと言いづらい話ですけど、
学生の時点から「起業しよう!」と思うには、
やっぱり学生起業家みたいな人たちと会う機会が多い、
有名大学の学生さんのほうが
有利だと思うんです。
そして、入学したばかりのときからテンション高く
「起業してみたい!」なんて言っているタイプ。

そうした学生たちは早くからそのつもりですから、
可能性があると思いますけど、
1年生も2年生ものんびり遊んでしまって‥‥
という学生だと、
いまは3年で就活がはじまりますから、
やはり難しいですよね。

糸井 なるほど。

‥‥ちょっと違う話になりますけど、
いま、「はたらく」ことについての状況は
明らかに少しずつ変化しはじめていると思うんです。
はっきりした未来はわからないけれど、
とんでもなく変わるかもしれない気配が
遠くのほうからざわざわと聞こえてきている。



三宅 はい、はい。

糸井 今日、そんなことを考えていて
ふと「高校生がうちの会社に入るのってどうなんだろう」
と思ったんです。

三宅 それ、良いアイデアだと思います。

糸井 あ、そうですか。

三宅 ええ。
ただし「学生側のほうから考えて」
ではありますが。

というのも、学生たちを見ていると、
実際に仕事をしないままでは、
「はたらく」ことがどんなことなのかが
よくわからないんだろうな、と思うんです。

みんな就活、就活と言いますけど、
実際のところ
「はたらく」ことについての
基本的な理解──たとえば、
「自分がなにかで貢献できなければ、
 会社から給料をもらえるわけがない」
みたいなことを全く理解できていないまま
就活をはじめてしまって惨敗する学生、いるんです。



糸井 あ、なるほど‥‥。

三宅 その姿を見ると、ものすごく残念だと思うんです。
そして、そういう学生たちに対して
業界分析がどうのこうのって
かたちだけ指導をすることはできますけど、
でも、本人がピンとこないまま指導をしても、
ぜんぜん頭に入っていかないんですよ。

糸井 ああ。

三宅 だからぼくは、やっぱり
実際にはたらいてみるのが、
学生たちには何より役立つと思うんです。
いまは、行こうと思えば
大学1年生からインターンに行けますから。

そして、さきほど糸井さんがおっしゃられたような、
高2、高3ぐらいから仕事を手伝うことができたら、
どれだけしっかりした視点が持てるだろうと。
「難しい仕事はさせられないけど、
 とにかく横で見てて」
というだけでも、いい気がします。

糸井 それは「徒弟」みたいなことですよね。

三宅 はい。
昔でいう「徒弟」みたいな教育方法は、
ぼくはいま、すごく機能すると思っているんです。
事実うちのゼミも、
徒弟制度のような教え方をしていて。

糸井 あ、そうなんですか。

三宅 ええ、こちらの意見は教えずに
「ついてこい、見ておけ」。
そして、一日が終わると「どうだった?」。
で、話をさせて「その見方は、まだ甘い」みたいに
指摘することの繰り返しをやるんです。

これ、ぼくが自分の恩師から教わったやりかたなんです。
「違う人間だから、まったく同じやりかたは
 教えられないし、身につけられないだろうけど、
 自分なりのやりかたを見つける参考にはなるから、
 とにかく見ておけ」
と、よく町工場とかに連れて行ってくれて。

100軒以上の工場に一緒に行っていて、
「相変わらずバカやってるねえ」と言われるときがあったり、
80過ぎの、60年以上金属部品を
加工してらっしゃるおじいちゃんに
ものすごく丁重にお話を聞かせていただいた、
ということがあったり。

そして、どの経験がどうということではなく
そのときのさまざまな経験の全体から、
ぼくはものすごく学ばせてもらったんです。



糸井 それは、いいですね。

‥‥どんな相手も、
「おさる」同士だと思うんですよ。

三宅 あ、教わる同士。

糸井 いや、「お猿」。

三宅 あ。
「お猿」と「お猿」。

糸井 どんなコミュニケーションも
結局は、お猿同士が向き合うときのように
みんな「生理的にぶつかり合う」んだと思うんですよ。



三宅 生理的に。

糸井 ええ。
ボディで、と言ってもいいんですけど。

だから、師弟のような場合だと、
弟子からすると
「師匠、それ理屈が合いません」ということも
たぶんあるんだと思うんですけど、
それを弟子がボディで受け止めることで
学べることが、たくさんあると思うんです。
その、ボディ感覚こそが身についていく。

そのときに師匠の側が
「わからないなら、理屈がわかるまで一緒に考えよう」
みたいなやりかたをとったら、
たぶん、ボディ感覚は消えちゃうんですね。

三宅 はい、はい。わかります。

糸井 そして、ボディでぶつからなきゃ行けないときって
人生のなかで、何度かあると思うんですよ。

これがいい例なのかはわからないけれど
たとえばぼくはむかし、
テレビの番組で「埋蔵金を掘る」ことをやっていたんです。
土木工事みたいな。

三宅 はい、徳川埋蔵金!
番組を、ワクワクしながら見てました。

糸井 あの番組って、けっこう危険だったんです。
やっぱり土木ですから。
そしてぼくはみんなから
「親分」って呼ばれなきゃいけない
立場だったんです。
なぜというと、そんな危険な作業を
みんな「親分」と認めない人のためになんて
やりたくないから。

三宅 ああ‥‥。

糸井 そういうときって、ぼく自身が
自分自身の楽なところから出ずにやっていたら、
通じないんですよね。
そして「通じない」とわかっていて
それをやるわけにもいかない。

だからそのときのぼくは、自分のこころを裸にして、
自然にいるしかなくて。
そして、よけいなことを考えずに
「楽しくやろう」「一生懸命やろう」とだけ
心に決めたんです。
だけど、その裸の自分のままで
自然にしていたら、なんだか
「あ‥‥こういう態度で向かい合えばいいのか」
ということが、少しずつ見えてきたんです。



三宅 はい、はい。

糸井 そして、あの番組をはじめてから、
ぼくは東京に戻ってきてから
工事現場の横を通ったりするときに
声がかかるようになったんです。
「あれどうなの? うまくいきそうなの?」
とか言われたりして。
そんなこと、それまでなかったんです。
ぼくはそれまできっと、本当は田舎の子なのに
チャラチャラした都会の子だと思われていたんですね。

だけど、そんなチャラチャラしたイメージの相手が
あそこでひどい目に遭ってて、
何もできずに「チキショー」とか言ってる。
そのことで、ぼくも同じような人間だということが、
ちゃんと伝わったんだと思うんです。

三宅 ‥‥なるほど。

糸井 結局埋蔵金は出なかったですけど、
あの体験は本当に勉強になりました。

  (つづきます)
2013-09-20-FRI