第5回:意外とポジティブなんです。

又吉
ぼくの人生で
サッカーをはじめたことがきっと
いちばん「変なこと」なんです。
糸井
サッカー、変ですね。
だって、そういう人じゃないもんね。
なのに努力してサッカーが
上手な人になってしまって。
そこが変なんだけど、
仮に、すごくまっすぐな先生が
「自分の価値を見出したまえ」と言って、
「又吉、君はやっぱりサッカーがうまい。
 これからもサッカーに絞れ」
と言ったら、ほかの99パーセントがなくなって、
1パーセントの輝きだけが残っちゃうんですよね。
だからそっち方面に行かなくて
よかったんでしょうねえ。
又吉
それも、わりと早い段階で、ぼくの中では‥‥。
糸井
わかってた?
又吉
はい。
「サッカーではない」というのを。
ただ、サッカー自体は一番好きなことでしたし、
みんなの多分10倍ぐらい練習してるので、
「そりゃうまくなるわ」
という気持ちはあったんですが、
それでも最初のスタートの段階で
だいぶ遅れを取りましたし、
才能がないというのはもうわかってたんです。
サッカー選手になりたいと
思ったことは1回もないですね。
糸井
最初のスタートのときのことがずっと、
思い出になってるんですね。
でも、傷にはなってないみたいですね、どうも。
又吉
傷にはなってないですね。
糸井
人から見えてる印象と逆で、
前向きですよね、実は。
又吉
そうですね。
意外とポジティブなんです(笑)。
糸井
ですよね(笑)。
又吉
覚えているのは、
小学校5年生ぐらいのときに、
コーチがみんなを集めて、
「おまえら、自分でうまいと思うか、
 下手だと思うか」という質問をしたんです。
ぼくよりうまいやつらがみんな
「下手」「下手」「下手」
「下手です」「下手です」って言ったんですけど、
ぼくの番が来て、みんなより下手なぼくが
「下手です」と言ったら救いようがないなと思って、
ただ「やる気あります」というアピールで、
「下手やと思いません」って言ったんです。
下手なんです、誰がどう見ても。
それがわかってるからこそ、
「下手やと思いません」と言ったら、コーチが
「いま、自分のことを下手やと言うたやつは伸びる」
って言ったんです(笑)。
糸井
はずしちゃった(笑)。
又吉
すげえ恥ずかしかったです。
糸井
まぁ、そのコーチの言ってることは
ものすごく普通の話なんですよね。
又吉
9割ぐらいの人に当てはまる普通の話です。
それが恥ずかしくて、
そこからもっと練習しました。
糸井
「間違っちゃったかな」っていうの、
ありますよね。
ぼくも、いまでも覚えてることがあって、
体育の授業で、
跳び箱かなにかがうまくいかなくて、
「やる気あんのか!」って言われたんです。
で、やる気はあったし、
本当にそう思ったから、
「どうもやる気が空回りしちゃって」
と言ったら、ものすごく怒られた。
「偉そうなこと言うな!」(笑)。
又吉
(笑)
糸井
たしかに大人からしたら、
「おまえ何、何言ってんだ」。
又吉
大人の意見ですよね。
糸井
でも、そう思ったんですよ(笑)。
又吉
先生からしたら、
おそらく返ってくるであろう答えの
範疇を超えてたんでしょうね。
糸井
すっごい腹立ったんでしょうね。
又吉
部長クラスが言うやつですよね。
「やる気が空回りしちゃって」って(笑)。
糸井
自分でも、
「あ、やってしまった」と思って。
使い分けってやっぱり
子どもにはわかんないし、
思ったことは言いますからね。
とはいえ、文科系の先生に
「君のその言い方はおもしろい」なんて
過剰に言われたりするのも困るし(笑)。
だから、子どもって、不自由ですよね。
又吉
ある程度、想定している
子どもでいないといけないってことなんですね。
糸井
そうそうそう。
さっきも言ったように、
「一番きみのいいところを伸ばしたまえ」
というのはやっぱり、幻想だと思うんです。
そのとき見えてるいいところを
みんな探そうとするから、
「ぼく、明るいです」とか、
「ぼくは勉強できました」だとか、
同じような競争になっちゃう。
そうするとちっともおもしろくないのに。
又吉さんは、何と言うか、
金もダイヤも発見されてない
荒野のほうを選んだわけですよね。
又吉
そうですね(笑)。
糸井
サッカーという小さな金山があったのに、
潔くやめて、
またその経験が
自分を作ってるというところが
おもしろいんです。
又吉
はい。
糸井
それって、勇気だったんだろうか。
何なんだろう。
又吉
ぼくの場合は、勇気じゃないんです。
たとえば、小学校の卒業アルバムに
将来の夢を書くところがあるんですけど、
みんなは平気で
「サッカー日本代表になって
 ワールドカップに出ます」って書くんです。
ぼく、子どもながらに、
さすがにそれはちょっと書けなくて、
全然違うことをふざけて書いたんです。
周りはみんなプロを目指していましたが、
ぼくは高校サッカーに対する気持ちというか
情熱でやっていたんです。
糸井
「上がり」が高校にあったんだ。
又吉
そうですね。
ぼくが小学生ぐらいのときって、
まだJリーグがなかったんで、
毎年正月にある高校サッカーの全国選手権を
1つのゴールみたいに思っていました。
糸井
じゃあ一応、
そこまでで十分やった感があったんですね。
又吉
そうですね。
糸井
で、卒業後は、
それ以外の荒野に歩いていくわけですね。
そこには、あてもないし、
地図もないし、
先輩もいないんですよね。
又吉
そのとおりです。
糸井
それは平気だった?
又吉
それはやっぱり、不安でした。
高校3年間はサッカーしかやってないんで、
サッカーが終わって、
やっと芸人ができる、という状況になったら
不安は大きかったですね。
高校がサッカー部の名門校だったんですけど、
そこに入ると、高3の冬までサッカーをやるんで、
みんなの進路が
「サッカー推薦」ばっかりなんです。
糸井
そうか、それしかなくなっちゃうんだね。
又吉
はい。
で、監督さんのことも好きですし、
進路で迷惑かけたらアカンと思ってたんで、
高1で入ったときから、
卒業後は父親の仕事を継ぐということを
最初から言ってたんです。
糸井
ほう。
又吉
父親は別に社長でも何でもないんですけど。
糸井
ははははは。
又吉
芸人になることは
中学のときには決めてたので。
糸井
その嘘はもう既に才能ありますね。
親の後を継ぐという以外の答えは、
誰も認めてくれないですよね。
又吉
そうですね(笑)。
糸井
何言ってもダメですよね。
又吉
はい。
糸井
「親の後を継ぐ」だけはOKですよ。
それを発明できるお笑いのセンスが
当時もあったわけですね。
又吉
いろいろ考えて、それが一番‥‥。
糸井
「これはいいぞ」と(笑)。
又吉
はい。
糸井
練れてるもん、その答え。
又吉
多分、言い訳としては
それしか思いつかなかったんです。
写真
(つづきます)
2015-04-03-FRI