学ぶこと、盗むこと、仕入れること。

hobo nikkan itoi shinbun

糸井重里×早野龍五×河野通和 東京大学特別講義

ほぼ日の糸井と河野と早野が、
東京大学の特別講義に講師としてよばれました。
講義のタイトルは
「学ぶこと、盗むこと、仕入れること。」
名づけたのは糸井です。
若い学生たちの希望にあふれる視線を受けて、
3人は、人生の先輩として、
「僕らが知恵や知識、行動のいろんなやり方を
 どうやって覚えてきたのか話します」
と口を開きました。
ほぼ日とほぼ同い年の彼らからすると、
知らないことも多かったことでしょう。
それでも積極的に質問を投げかけてくれました。
はじめてほぼ日を知る方々に向けて、
〈参考〉もつけましたのであわせてどうぞ。
みじかめの文章で全10回、
どこからでもよんでいただます。

5 60歳で仕事を考え直す。 2018.08.20

早野

僕は2017年に東大を退官して、
今は20年間所属していた
スイス・ジュネーブのCERN研究所( #1)の、
国際研究チームリーダーを
引き継いでいる最中なんですけど、
たくさんの人に
「他の大学には行かないんですか?」
「研究は続けないんですか?」
と、ずいぶん言われたんですね。

糸井

そうでしょうね。

早野

でも僕は「やらない」と決めていました。
なぜかというと非常に簡単な話で「お金」です。
研究者の人ならわかりますよね?

聴講者

(数名がうなずく)

早野

僕の研究は実験が中心で、
かつ、現場の多くが外国です。
なのでお金がないとできないことが多いんですね。
現役時代は東大教授として
非常にめぐまれた資金調達をしていました。
有名な助成金は一度も外したことはありませんし、
もっとも多額な「特別推進」という助成金も
2度獲得しています。
おそらく、この分野の研究者としては
異例ともいえる資金調達力がありました。

でも、現役の教授でないと
場所も人もいなくなりますから、
これまでのような資金調達は難しくなります。
これが理論の研究ならひとり紙と鉛筆で
研究生活を続けることができるかもしれませんが、
僕の場合は絶対続けられないとわかっていました。
そして、59歳で東日本大震災が起こったんです。
ますます、自分が退官したときに
なにが起こるかなんて想像できないと思った。
それで僕は60歳のときに、
退職をしたらなにをするか
「TO DOリスト」を書いたんです。

糸井

へえ。
そのタイミングでは「ほぼ日で働く」なんて
まさか想像もしなかったですよね。

早野

そうですね、
むしろ今のところひとつも当たっていないですね。

糸井

早野さんのことは想像しても
誰もなにもわからないでしょうね(笑)。

早野

TO DOリストを考えていたころは、
あれもこれもやろう、と
妄想をふくらませて書いたんですけど、
まさかほぼ日で仕事をすることになるとは
思わなかったし、
まさかスズキ・メソード(#2)の会長に
なるとも思わなかったし、
人生設計は完全にくずれました。
でも、なんだかそれが、おもしろかったんですね。

河野さんは僕と同世代ですけど、
ほぼ日に入る前はどんな未来を想像していましたか?
予想通りですか?

河野

いえ、全く想像通りではなかったですね。
むしろ未来のことは想像していなかったと思います。

最初の出版社は54歳までつとめていましたから、
年齢に応じて経営的な立場に立つことになりました。
そこで「収益を生むために」という
発想に縛られることが多くなりまして。
僕はあまり我慢ができない性分なので、
それが自分の本意かどうかを
心に問いかけていたんですね。

2つの雑誌で編集長を経験して、
そのまま役員になり、
ほっといてもこの先8年は地位が安泰。
でも、もう現場は離れていたので、
実につまらない編集人生の最後を
迎えることになるのではないかと思ったんです。
それで、アドバイスしてくれた方が
「なにも決めずに辞めてみたら
 おもしろいと思いますよ」と。

糸井

54歳で、あてもなく退職ですか。

河野

そうでしたね。
学生の時はやりたい仕事を真面目に考えて、
計画もたてていました。
でも、たまたま視界に飛び込んできた
編集の仕事を「おもしろそう」と感じて
なにも考えずに飛び込み、
結果、深入りしていきました。
そのころを思い返すと、
自分の心を裏切りながら仕事を続けては
いけないなと思ったんです。

糸井

なるほど。

河野

仕事を辞めたときに心に誓ったことは3つ。
自分よりも若い人と仕事をしよう、
今までやったことのないことをしよう、
気が合わない人とは仕事をしない。
そうしたら半年も経たないうちに、
若い人たちからベンチャー企業に誘われました。
インターネットのビデオをつくる会社で
畑違いではあったんですけど、
非常に気持ちのいい、おもしろい人たちで
数ヶ月ご一緒させてもらいました。
TO DOリストはつくらずとも、
頭の中で考えて、心の準備をしていたから
出会いが実ったように思います。

(つづきます。)

参考にどうぞ! 参考にどうぞ!

  • #1 CERN研究所
    早野さんが在籍されていた、
    世界でいちばん大きな原子核素粒子の研究所です。
    ここで反物質の研究をされ、
    1990年代の後半から多国籍チームの
    リーダーをつとめられていました。
    「活きる場所のつくりかた」という
    イベントで語られています。
  • #2 スズキ・メソード
    早野さんは国際的な物理学者である一方、
    幼少期から通われていたスズキ・メソードの
    5代目会長をつとめられています。
    スズキ・メソードは音楽指導方法のひとつで、
    全世界に音楽教室を展開、
    40万人もの生徒さんがいるそうです。
    どんな幼少期を過ごしていたのかは、
    こちらをお読みください。