むかしの暦で、いまを楽しむ。 旧暦と暮らす「ほぼ日」の12か月。
2006-09-12-TUE
旧暦:閏七月二十日
むかしの日本に、暦は必要なかった?!

連載の第3回目で、こんなお話をしました。
「農業にたずさわる人びとは、暦の日付ではなく、
 二十四節気(にじゅうしせっき)や雑節(ざっせつ)を
 参考に、日々の仕事をしていた」
と。

月の満ち欠けに太陽の動きを加味した太陰太陽暦で
「毎年何月何日に、種を蒔こう」と決めても、
暦自体にズレがあるので、
うまく行くとは限らないのです。
前に旧暦の正月元日を新暦に換算すると、
1月21日〜2月22日と1ヶ月の幅があるという話をしました 。
つまり、旧暦では同じ日付であっても
かなり季節がずれてしまいます。
そこで、太陽を基準にした二十四節気や雑節を加え、
旧暦の日付に注記して、
季節とほぼシンクロするようにしたのです。

なるほどなるほど。そうすれば、月齢もわかるし、
季節の移ろいも、暦の記載で知ることができますよね。
つまり、江戸時代には太陽暦と太陰暦を
併用していたことになります。

しかし近松先生は、大胆にも、
こんなことをおっしゃるのです。

近松先生
近松
日本で農業をする場合には、
ほんらい、体系的な暦はいらなかったと思うのですよ

ええっ?! それはいったいどういうことですか?!


日本は地勢的、気象的に春夏秋冬がはっきりしています。
つまり、周囲の自然環境の変化によって、
季節の移り変わりを知ることが出来たのです。
たま、日本は南北に細長く、
地方によって気候や地理的条件も大きく異なりますから、
中央集権的に決められた「暦」と、
実生活で感じる季節とのずれは、
しかたのないことだったんです。

そんな旧暦の時代に、農業をなりわいとしていた人びとは、
いったい、何を指針にしていたのでしょう?
暦を見て、種を蒔く時期を決めたり、
刈り入れの日を決めていたのでしょうか?
‥‥そんなわけでは、なさそうです。
もちろん暦はおおまかな目安にはなったでしょうが、
じっさいは、自然の変化と、作物の成長を
しっかり見ることで、タイミングをはかってきました。
いわば「自然暦」です。


たとえば白馬岳は、自然の暦だった!


北アルプスに「白馬岳」(しろうまだけ)という
雪渓で有名な標高2932メートルの山があります。
春になると雪が溶け、山肌が露出するのですが、
この山肌が黒く馬のかたちになります。
そのすがたが、田んぼに水を入れてかきまわし、
田植えができる状態にするための作業馬、
つまり「代(しろ)かき馬」に見えることから、
「代馬」転じて「白馬」という名前になりました。

この馬の形があらわれたら、
それがちょうど苗代をつくる時期。
白馬岳の見えるところで稲作をしていた人びとは、
そんなふうにして季節を知ったのでした。

おそらく、それぞれの地域によって、「暦」には頼らない、
その土地独自の「自然暦」があり、
それに基づいて人びとは生活をしていたのでしょうね。
その意味では、たしかに、農業に暦は必要ではなかった、
とも言うことができるのだと思います。

(ちなみに、日本に暦が導入されたのは、
 大和朝廷のころだといわれています。
 日本に「国家」というものができ、
 民に税を納めさせる
 時期の設定など社会的統制が必要になったため、
 中国から入ってきた暦をそのまま使いはじめたのが、
 日本の「最初の暦」となったのだそうです。)

イスラムの国は、季節と月がずれていく!

いまの日本は、グレゴリオ暦(西暦)の社会となりましたが、
旧暦のエッセンスは、まだまだ残っていて、
わたしたちの暮らしを彩っています。
公式には使われていないけれど、
旧暦を併用したほうが、
ずっと豊かに生活することができそうです。
(そうそう、来年度の「ほぼ日手帳」には、
 旧暦を併記することになりました!
 くわしくはこちらをごらんくださいませ!)

こんなふうに、新旧の暦を生活に役立てているのは、
日本ばかりではありません。
中国ではいまも「旧正月」を盛大に祝いますし、
イスラムの国でも、グレゴリオ暦と、
イスラム暦(ヒジュラ暦・陰暦)を併用しています。
イスラム暦と太陽暦は、
1年で10日の「ずれ」が生じるのですが、
イスラム暦では、それを修正することをしません。
閏月のようなしくみがないのですね。
1月が30日、2月が29日というふうにくりかえし、
1年が354日のため、
太陽暦とは3年で1ヶ月、18年で半年とずれてしまって、
季節がひっくり返っちゃうのです。
たとえばラマダーン(イスラム暦の第9月・断食の月)が、
夏になったり冬になったりすることもあります。

「えっ! それでは不便ではないですか!」

そう思うのは日本にはっきりとした四季があるから。
イスラム暦を使っている地域の多くは、
四季のちがいがほとんどないため、
月の名前と季節が一致しなくても、
それほどの不便にはならないのだといいます。
(けれど、四季のある国で暮らすイスラム系の人びとは
 またちょっと、感覚がことなるかもしれませんね。)


さて、ちょっと話がずれちゃいましたが、
旧暦に関する近松先生のお話、
きょうのこの回で、第一シーズン終了です。

次回は、このコンテンツに寄せられたメールをご紹介。
その次は、ちょっとお休みをいただいてから、
「落語の世界と旧暦」ということで、
「ほぼ日」でもおなじみのあの噺家さんに登場いただいて、
たのしい旧暦の話題をお届けする予定です。
どうぞ、お楽しみに!

近松先生のプロフィール
イラストレーター:玉井升一
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