糸井 キギとして独立したときって、
何で食べていこうと思っていたんですか?
渡邊 何だったんでしょうね‥‥。
糸井 いや、もっと野心あふれるタイプの人なら、
独立するときに
あの仕事と、この仕事を持って出て行こうとか
次もプレゼンで勝つんだとか、
そういう発想をすると思うんですけど。
植原 僕ら‥‥とくに、何もなかったんです。
渡邊 もちろん、ドラフト時代の仕事を
引き続きやらせていただくというのは。
植原 あったけどね、すこしは。
渡邊 ふたつくらい?
糸井 それじゃあ、会社を回していけないよね。
渡邊 んー、あのころ、どう思ってたんだろう?
糸井  ‥‥最高(笑)。
植原 たぶん、あんまり計算をしてなかったです。
でも「気合い」だけはありました。
渡邊 だから、宮田さんが
いちばん心配してたんだと思う、わたしたちのこと。
植原 ただまあ、
「とにかく、何でもやってやる!」という
気持ちだけはありました。
糸井 で、何とかなっちゃった。
植原 なっちゃいましたね、とりあえず1年4ヶ月は。
渡邊 でも、まだ1年4ヶ月しか経ってないから、ね。
糸井 「みんなが求めているもの」を
きちんと、ていねいにつくっていさえすれば、
きっと、何とでもなりますよね。

いちばん単純で、でもむつかしいことですけど。
植原 そうなんでしょうね。
糸井 「こういうのが、ほしいんだけどさ」
って言われたものを
つくっている人じゃなくって、
「それ、いいですね!」
って言われるようなものをつくる人が
この先、残っていくんだと思う。
渡邊 なるほど。
糸井 ‥‥でも、そうかあ。

宮田さんは、ちょっと心配してたんですか、
ふたりの独立を。
渡邊 ドラフトからは何人も独立してますけど
「おまえらが、いちばん心配だなー」って。
植原 言ってましたね。
糸井 でもさ、ふたりの実力については
もう知ってたわけだから
本当のところは
あんまり心配してなかったんじゃないかなあ。

だって、いざとなったら
宮田さんが、どっかから仕事をもらってきて
「ほら!」ってやりかたもあるし。
植原 僕たちが独立した数ヶ月後に
「campdraft」(キャンプドラフト)という
別会社を立ち上げて
営業主体で仕事を取ってくる仕組みを
つくったんです、宮田さん。

だからずっと、宮田さんのあたまのなかには
あった考えかたなんだと思います。
糸井 宮田さん手をわずらわせず、
キギがすくすくが育っていっちゃっても
それはそれで
もちろん、かまわないわけですけど。
渡邉 はい。
糸井 「フル回転」ですか、いま?
植原 そうですね、けっこう(笑)。
糸井 仕事、イヤだなあとかって、思わない?
植原 それは、思わないです。

でも、もっともっと
仕事のしかたを変えていきたいと思って。
糸井 ほう。
植原 どうも慣れちゃうんです、仕事じたいに。

だから、
「アイディアの出しかたを変えたいなあ」
って、最近よく思っています。
糸井 良重さんは?
渡邊 イヤになったりは、ぜんぜんないですね。
糸井 それは、むかーしから、イヤにならないの?
「1年くらい、休みたいなあ」とか。
渡邊 そうですね‥‥そのむかし、少し思ったのは
まだMacがないころに‥‥。
糸井 おお(笑)。
渡邉 宮田さんがアートディレクターで、
わたしがデザイナーで
ADC(アートディレクターズクラブ)の年鑑を
ぜーんぶ「手作業」でつくったとき。
糸井 ‥‥大変そうだね。
渡邊 あのときは、もう、ほんと大変だったので
もう、どっかにひゅーっと
旅行に行っちゃいたいって思いました(笑)。
糸井 いまはコンピュータがあるけど、当時は‥‥。
渡邊 なかったから。

でも「辞めようかな」とと思ったことは
そのときの、いちどきりです。
糸井 じゃあ、それ以外では
オーバーフローした感じとかは、ないんだ?
渡邊 なんて言ったらいいのか、
わたし、「山登り」をしてるみたいなんです。

「あとどれだけ登ったら山頂なんだっけ?」
って思うことはあるんだけど、
登り切っちゃうと、スッと忘れちゃうんです。
糸井 でも、いくつもの山に
並行して登ってるでしょう、この山、あの山。
渡邊 はい。大きな仕事が重なって来たりすると
本当に「山登りな感じ」ですね。

でもね、やっとでも登り切っちゃうと‥‥。
糸井 うん。
渡邊 「あー、終わった。じゃ、次」みたいな(笑)。
糸井 うれしそうに話すなあ(笑)。
<つづきます>

2013-06-25-TUE