糸井 いくら誰かに「いいね!」って言われても、
自分たちがやりたくない仕事じゃ、うれしくない。

それが「ほぼ日」の原点なんですけど‥‥。
植原 へぇー‥‥。
糸井 いまのキギさんの仕事には
よその会社のためにやっているものと、
自分たちがやりたくて
自分たちの発想でやっているものとが
混ざっているんですよね。
植原 そうですね。
糸井 それは、どんな割合で?
植原 4分の1くらいが「D-BROS」です。

その他が
よそのブランドのロゴをつくったり、
世界観を広げていったり。
糸井 いわゆる広告というのは‥‥。
渡邊 じつは、あんまりないんです。
糸井 それで成り立っていること自体、
かつての職場だったら
考えられないことですよね、きっと。
植原 そうですね、たしかに。

ブランドイメージをつくりあげるという
仕事のなかに
DMが必要になってきたり
こんど広告を打つことになった‥‥とか。

そういう流れのなかで
「広告」をやることはあるんですけど
いきなり「広告」というのは、あまりないので。
糸井 むかしだったら、キギみたいな会社って
「広告プロダクション」と
呼ばれていたんだと思うんですけど、
それよりはむしろ
「世界観をデザインする」という意識が
強いわけですね。
植原 はい。
糸井 僕がいま考えている「世界観」って、
「こういうデザインなら
 登場人物が、動きやすいんじゃない?」
というようなものなんです。
植原 ああ‥‥なるほど。
糸井 だから、キギさんを見ていると
デザイン事務所が本来の姿を取り戻したなって
感じるんですよね。

つまり、むかしは
「広告にデザインが含まれていた」んです。

まず、全体のコンセプトがあって、
アートディレクションやコピーライティングは
広告の「下位概念」だった。
植原 ‥‥はい。
糸井 でも、いまは
デザインが「広告」から飛び出して、
「デザインという概念の中に
 広告もあるよね」
みたいに、いつの間にかひっくり返ってる。
植原 ああ‥‥おもしろいです。
糸井 そのことにまだ気づいてない人は、
いまだに
「デザイナーを使って」という考えかたを
してしまいがちなんだけど
「デザイナーのつくった世界で遊ぶ」
というのが、
いまの広告のやりかたですよね。

ぼくらが「ほぼ日」でやっていることも
そうなんだけど。
植原 いや、ものすごくわかりやすいです。
渡邊 うん(笑)。
糸井 でも、そのようなことを、
あなたがたは、すでにやってるわけですよ。
植原 うーん、そうか。
糸井 なかでも、非常にわかりやすく活躍してるのが
佐藤可士和さんですよね。

たとえば、
大学のブランディングを依頼されて、
デザインを考えていくなかで
広告「も」展開していってますよね。

こんどは、駅のポスターを貼ってみようかとか
パンフレットも要るよねとか。
植原 たしかに可士和さん、
いわゆる「広告っぽい」ことはやってないです。
糸井 たとえば、明治学院大学の広告でも
「その学校を、どんなふうにデザインにしよう?」
という考えのなかに、広告「も」含まれてる。
植原 そうです、そうです。
糸井 そうなると「コンセプター」という役割さえも
デザインに含まれちゃってる。

実際、キギの仕事もそうだと思うんですけど
「向こうからやってくるだけ」の仕事じゃ
なかなか、そうはいかないでしょう、たぶん。
渡邊 そうですね。
植原 もう、すべてが用意されて‥‥
クライアントとの関係性まで用意されていて、
なにかこう、自分が
ロボットみたいにしゃべらなきゃいけない。

そういうときって
やっぱり、ピンとこないことがありますから。
糸井 僕はプレゼンが下手くそだったんです。
だって「決めるのは相手」なんだもん。
植原 ああ‥‥。
糸井 「相手が決めるって、決まってていいわけ? 
 俺が決めることがあったって、
 いいじゃないか!」って思ってたんです。
植原 なるほど(笑)。
糸井 その時代には「新聞広告15段あります」とか、
「ラテ下」あります、
テレビスポット何秒がこれくらいあります‥‥
みたいな、
そういう規模感で広告がつくられていた。

でも、いま、ふたりが好きでやってることは、
「20億円で
 テレビのCM枠を何時間ぶん買う」
みたいなのにくらべると
金額で言ったら
「微々たるもの」なわけでじゃないですか。
植原 まあ、たしかに(笑)。
糸井 たとえば「20億対数百万円」とかね。
渡邊 ええ。
糸井 でも、その「数百万円」のほうを見てくれて、
すごく頷いてくれる人がいる。
他方で、「20億」には、見向きもしない。

それが、いまの時代だと思うんです。
<つづきます>
2013-06-24-MON