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晩年を知っていたのかも。
糸井
展示されている上村さんの描いた絵を改めて見たら、
おなじ女の人を描いてますね。
上村
そう見えますか(笑)。
糸井
この女性は、現実にはいない人ですよね。
上村
そうですね。
糸井
急に聞くんですけど。
お母さんはこういう人だったんですか。
上村
うちの母は、それを言われるのが
いちばんイヤみたいです。
全然違うんですよ。
糸井
全然違うんですか。
上村
着物なんてまったく着ないような人なんです。
糸井
そうなんですか。
でも、この着物を描けるというのは‥‥。
上村
父のお母さんが五反田でバーをやっていて、
お姉さん2人も、お店を手伝っていました。
みんな、お着物でお店に立って、
父の描くマンガのイメージの人だったんですね。
父は、結婚して生活をするなら、
家族は至って普通がいいって、いつも言ってました。
なので、マンガは架空の世界ですよね。
糸井
架空ですね。だから、女性像も架空だし。
たぶん、自伝的な作品の「関東平野」でも、
上村さんが目を閉じたときに見える自伝ですから。
「そんなもんじゃないよ」っていうくらい、
頭の中のものが出てたんだと思います。
上村
そうなんですかね。
「離婚倶楽部」 ©上村一夫
糸井
こうやって展覧会をやったおかげで、
たくさんの絵をいっぺんに見られました。
マンガは1冊ずつしか出ないわけだから、
いっぺんに見ることって、まずないんですね。
さらに言うと、原画がただの原稿じゃなくて、
原画そのものが「持つ」んです。
原画で、「ちゃんと絵ですよ」っていうふうに
描いていたことがわかりました。
改めて見ると、修正に使うホワイトの数が
ものすごく少ないじゃないですか。
上村
はい。ホワイトは少ないと言われますね。
「線に迷いがないよ」って。
だから、うちにもほとんど、
下絵とかも残っていないんです。
バーッと描いて終わり、みたいな。
糸井
すごいですよね。
上村
ほんとに。最近になって、すごいなと思います。
糸井
今、浦沢直樹さんが、
『漫勉』っていう番組やってますけど。
上村
あれ、おもしろいですね。
糸井
浦沢さんは生きている人しか取材できないけど、
上村さんを訪ねてほしいですよね。
上村
それは見てみたかったですよ。
すごく、そう思います。
糸井
架空だけど、やれないのかな。
上村
どうやってですか(笑)。
糸井
浦沢さんみたいに、自分が描いている人だったら、
「ここの速度っていうのは、このぐらいですよ」とか。
「ここ、全然、下絵ないじゃないですか!」とか、
たぶん、全部見抜けると思うんですよ。
その意味では、上村さんが描いた絵を前にして、
いない上村さんと「漫勉」を‥‥。
あっ、提案しときます。
上村
ぜひお願いします(笑)。
父が亡くなって30年も経つんで、
わたし、父の記憶ってもう、
ほんとに薄まってきちゃっているんですけど、
サラサラサラッて描いていたのを、
すごく覚えているんですね。
音と、手先の動きは、割と覚えてます。
糸井
会場には色紙の絵が展示されていたんだけど、
色紙っていうのは、かなりの速度で描くから、
本職の方でも「お、上手ですね」みたいになるんです。
上村さんの色紙は、絵が完全に本物ですよね。
上村
そうですか。
たしかに、こうやって父の展示をしていると、
「昔、ベロベロに酔った上村さんに
 絵を描いてもらったんです」と言って、
色紙を見せてくれる方がいるんですけど、
ベロベロだったはずなのに、すごくきれいな女の人が、
涙を花びらにして‥‥という絵を描いていて。
描いてもらった人もびっくりしていました。
それを見て、「ああ、本物なんだな」って思いました。
糸井
いやあ、恐ろしいですよね。
そんな上村さんでも、
デビュー作の頃には、まだ迷いが見えます。
マンガ家になる前の、デザイナーだった当時から
ちゃんと絵の描ける人だったのは確かなんだけど、
展示を見て、「あ、やっぱりこういう時代もあるんだ」
と思って、かえってうれしかったです。
上村
あ、そうですか。
糸井
「パラダ」なんて、たぶん読んでましたよ。
阿久悠さんも、上村さんのマンガとおなじように、
「ナイフを光らせて男を待ってた」みたいな
歌詞を書いていましたからね。
上村さんと阿久悠さんは、
自分を売り出すときの狙い目が的確でした。
阿久悠さんは、作詞の方法論を
持っていた方だと思いますし。
それでも晩年になると、
阿久悠さんの歌謡曲も、上村さんの劇画も、
需要が少なくなる時代にさしかかっていました。
だから、上村さんがもっと長く生きていたら、
悔しさみたいなのを味わったかもしれません。
享年45歳。
すごく若いけど、よかったのかもしれないね。
「パラダ」 ©上村一夫
上村
ほんとに、そうなんです。
糸井
平成を知らないで亡くなったんですっけ。
上村
そうなんですよ。
父は1986年の1月に亡くなりました。
昭和を駆け抜けた感じですね。
父が亡くなってから、
うちにいっぱい写真が戻ってきたんですが、
ほとんど酔っぱらって、楽しく飲んで歌って、
という写真ばっかりでした。
それを見たときに、
おおいに描いて、おおいに飲んで、
これでよかったかなって、やっと思えました。
糸井
あと、上村さんのマンガには、
いいセリフや文章も、いっぱいあるんですよね。
上村
はい。詩的な文章がありますね。
糸井
正直に言いますと、
当時のぼくは、上村さんがそういう文章を書くのを、
「またかっこつけて」って思ってたんですよ。
どうしてこの人は、年寄りを演じるんだろうって。
ぼくは年下ながら、
まだ似合わないんじゃないかなと思っていたんです。
それはね、ぼくが、ちょっと醒めたガキで、
生意気なことを思っていたんですよ。
でも今、上村さんのマンガの文章を読むと、
その文章がよかったと思えます。
上村
そうですか。
糸井
あの頃が、上村さんの晩年だったんだよ。
上村
あとになってみると、晩年ですよね。
父のマンガって、子どものときには読まなくて、
亡くなってから初めて、
「同棲時代」とかを読んだんですよ。
ちょっとびっくりしちゃいました。
「お父さんは何をわかっていたのか」と思って。
今見るとびっくりしますね。
糸井
あのときにもう、自分が早く年を取ることを、
本人が知っていたんじゃないかっていう気がするね。
太宰治のデビュー作が『晩年』でしたが、
マネしたわけではないだろうけど、
おなじような人なんだなって今ごろ思い出しますね。
だから、文章をまとめて、
抜きだすだけでもおもしろいかもしれないしね。
上村
そうですね。
「同棲時代」 ©上村一夫
(つづきます)
2016-4-14-THU