私がリカちゃんよりもジェニーを好きだったのは、
ジェニーの「自由さ」に惹かれたからだと思う。
リカちゃんはいわゆる「幸せな家族」を体現し、
細かなプロフィール設定によって
確固たるリカちゃんの世界観が作り上げられていた。
父親とあまり反りが合わず、家族みんなで仲良く、
何かをすることとは縁遠かった私にとって、
家族という世界を中心に生きるリカちゃんの存在は、
どこか受け入れ難かった。
それに比べ、世界各国に沢山の友だちをつくり、
自立した空気をまとい、夢を追いかけるジェニーのほうが、
私には親しみが持てたのかもしれない。
「設定」が少ないが故に、
私は自分の好きなようにジェニーと自分の世界を構築し、
好きなように彼女を頭の中で動かしていたのだ。
私の部屋には、今も上京した時につれてきた
2体の人形が並んでいる。
昔のように洋服をつくったり、
友だちの人形を追加で購入したりすることはなくなったが、
今でも身近にいる2体の人形を手にすると、
当時のどっぷりとジェニーにハマった、
あのワクワクした気持ちが蘇る。
今はたくさんのおもちゃがあふれている。
今の子どもたちは、「人形」を手に取るのだろうか。
そんなことを思いながら、
メーカーのHPを久しぶりに開いてみると、
ジェニーのページは消えていた。
ジェニーのラインナップは増えることなく、
福島にある「リカちゃんキャッスル」という施設で、
細々とつくられたりする程度のようだ。
いつの間にか表舞台に立たなくなっていた。
リカちゃんよりもスタイリッシュで
大人びたジェニーのポジションは、
いつの間にかできていた
大人の女性が楽しめるリカちゃんの新ブランド
「LiccA」に奪われてしまっていた。
リカちゃんは昔よりも、大人っぽい洋服に身を包み、
様々な企業とコラボし、楽しい毎日をインスタにあげる。
相変わらず、理想を詰め込んだ、
完璧で幸せな女の子の姿を崩さない。
そんなリカちゃんも嫌いじゃない。
むしろ、見ると思わず「かわいい!」と
叫んでしまうくらいに、リカちゃんのことも好きである。
けれど、ジェニーも、
もう一度スポットライトを浴びてほしい。
ジェニーの歴史を振り返ると、体の継ぎ目をなくした
革新的なボディーへと変容を遂げた時期もあったし、
アニメ顔のような別シリーズが登場したこともある。
その成否はさておき、ジェニーは今いる場所に安住せずに、
常に新しい風を吹かせ続けてきた。
(リカちゃんという圧倒的な存在があったからこそ、
ジェニーでいろいろな実験ができた側面は
多分にあるとは思う)
アメリカで販売されている「バービー」人形は、
最近「ありえないほどくびれたプロポーション」などを改め、
少しぽっちゃりした体型の人形や、
義足をつけたり、車いすに乗ったりした人形が
登場しているという。
参考)
「車いすや義足のバービー人形が登場、美しさの多様性広げる」
いろんな人がいて、いろんな美しさがある。
「それがいいんだよ」という価値観を、
人形で遊ぶことを通して、自然と伝えていく。
そんなバービーのニュースを目にすると、
「人形遊び」の可能性を感じずにはいられない。
私がジェニーとその友だちの人形をきっかけに、
世界の各国に目をむけたように、
小さい頃に触れる人形だからこそ
昔ながらの女の子のおもちゃで終わらず、
新しい価値を提供してほしい。
リカちゃんの後ろに隠れたあの子、ジェニー。
私はやっぱり彼女の方が好きで、
リカちゃんにはできないアグレッシブな活躍が
これからも、みたいのである。
