もくじ
第1回「はがす」 2019-02-26-Tue
第2回「おしだす」 2019-02-26-Tue
第3回「ぬく」 2019-02-26-Tue
第4回「とりのぞく」 2019-02-26-Tue

編集者1年生。駆け出しだからこそ、ぶつかっても、転んでも、駆け抜けたい。

私のすきなもの</br>爽快感

私のすきなもの
爽快感

担当・柴田真帆

真夏の冷えたビールの喉ごし。
快晴の山の頂から目にする景色。
段取りしていた通りに、仕事や家事が片付いていく瞬間。

世の中には大なり小なり、
人それぞれの爽快感が存在する。
前述のもの、全て私が爽快感を感じる、
幸せな瞬間でもある。

だが、最も爽快感の感じる、
いや、爽快であり、快感を感じる、
心から大好きなことが、私にはある。

今回はその大好きなことについて書きたい。
言葉にすれば、「爽やか」で「快い」感覚。
即ち、爽快感。

私の大好きな爽快感の対象は、爽やかでも、
快くも思わない人もいるはずのもの。
むしろ、汚い、目にしたくない、
なんて人もいるかもしれない。

もはや偏愛に近い、
“癖(へき≒フェチ)”とも言えるものだ。

嫌な予感がした人は、
ここで戻るボタンをクリックした方が良いのかもしれない。
……のだが、お付き合いいただければ嬉しい限りだ。

第1回 「はがす」

一番古い爽快感の記憶は日焼けした父の肩から生まれた。
その爽快感のもととなる行為は、はがす(剥がす)こと。

当時飼っていたザリガニが脱皮に興奮したのと同じように、
父の日焼けの脱皮には興味深々となった幼稚園児の私と姉。

皮膚がこんなふうに剥がせるなんて!
2人でどちらが大きな一片に剥がせるか、
嬉々として父の肩にかじりついていた。
それはまるでサルの親子の毛づくろいの様だったに違いない。

どれだけ大きく一片を剥けるかは、
幾つかのポイントがあった。

まず、剥き始めの端をどこにするか。
少しずつ剥がれた皮のどこを摘んで広げていくのか。
まだくっついているところを、どのくらいの力で引っ張るか。

幼心に真剣に考えて、透き通るほどに薄い皮を
一片剥がす度に、得も入れぬ、
清々しくすっきりとした気持ちと、達成感を抱いていた。

その皮を破かぬように大切に広げて置いても、
時間が立つと端からチリチリと縮んでしまうその儚い姿。
それすらも幼い姉妹の好奇心を刺激していたのだった。

達成感と共に抱いた、そのすっきりした気持ち。
まさにそれは“爽快感”。

爽快感、という言葉の意味も存在自体も、
わからない年頃ではあったが、
私にとっての爽快感の原体験は、
父の日に焼けた肩から
生まれていたのかもしれない。

第2回 「おしだす」