もくじ
第1回ぼくの好きなもの「ぼく」 2019-02-26-Tue
第2回ぼくの好きなもの「ぼく」 2019-02-26-Tue

1993年生まれのライター・編集者です。Mr.Childrenとかりんとうが好きです。

ぼくの好きなもの</br>「ぼく」

ぼくの好きなもの
「ぼく」

担当・サノトモキ

第2回 ぼくの好きなもの「ぼく」

「ぼくは、『ぼく』のことが好きです」

そう書くことをためらった2つ目の理由は、ぼくが「ぼくを好きな理由」を書くことで、「自分のことを好きになることができないでいる誰か」をいやな気持ちにさせてしまうんじゃないだろうか、と思ったからです。

近頃、「自己肯定感」なんて言葉をよく耳にします。

「自分を肯定できなくて苦しい」
「肯定するにはこういう考え方が必要だ」
「べつに肯定できなくもいいんじゃないか」…

自己肯定感のいろいろを巡って、さまざまな角度から真剣な言葉が飛び交い、それらの言葉で誰かが救われたり、傷ついたりするようなことが、なんとなくSNSやぼくの身の回りでも起きている気がして、少し気になっていました。

ぼくの書く「ぼくを好きな理由」についての話も、ともすればそんな「自己肯定感がなんとやら」みたいな話に伝わってしまうかも、と思ったのです。
そして、そういう伝わり方をして、誰かを傷つけてしまったら、とてもいやだなと思いました。

1つ目の理由より、こちらの理由のほうが、大きな壁に思えています。

ここからぼくが書く話は、もしかしたらなんだか「幸せ自慢」みたいに感じさせてしまうかもしれません。
そうならないように精一杯気をつけたいけれど、「絶対にそうは感じさせません」と言い切れる自信は…正直ありません。

それでも、今の自分なりにせっかく見つけた(と思える)答えなので、えいやっと、清水の舞台から飛び降りるようなつもりで、思い切って書きます。

ぼくが自分を好きでいられるのは、きっと、「こんなに素敵な人たちが、ぼくのことを好きだと言ってそばにいてくれるのだから」という気持ちが、とても大きい気がしています。

そばにいてくれるその人たちは、家族(愛犬ノエルはティッシュを食べて家族を困らせる)や恋人、友達だったりするのですが、彼らはみんな、「どうしてぼくと付き合い続けてくれるんだろう…」と思うような、ほんとうに素敵な人ばかりなのです。

ぼくがぼくを好きでいられるのは、ぼく自身がどうこうという話ではなく、ぼくのそばにいてくれる人たちが、ぼくをおもしろがりつづけたり、好きだと伝えつづけてくれているからだと思います。

ぼく自身は、大学を卒業してから、新卒入社した大手企業を10か月で辞め、そこからの10か月は何をスタートさせることもできませんでした。
そこからようやくライター・編集者という打ち込める仕事と出会えたものの、ほんとうについ最近まで(経済的に)まともな生活も送れていなかった。

とくに何もできなかった10か月間は、「まさかよりによって自分が、こんな人生を送るなんて」と、自分のことをほんとうのほんとうに嫌いになりかけました。

だけど、父、母、兄、そして愛犬ノエルは、ちょくちょくせっついてプレッシャーを与えつつも、じんわりあったかくてでっかい「無償の愛(おおげさなようだし、自分で書くのは恥ずかしさもありますが、どうしてもこの言葉がしっくりきてしまいました)」を伝えつづけてくれたし、恋人は…「無償の愛をもらってる」だなんて言葉を押し付けることはとてもできませんが、一番近くで、何度も泣かせてしまったけれど、それでも隣りで支えつづけてくれました。

そして、友達。ぼくは昔から、自分から誰かを遊びに誘ったりすることがほとんどありません。
誘うのが忍びなくて…というわけでもなく、ぼく自身はべつに遊びたいと思っていないから…なんてことでももちろんなく、そこは単純に、自分ひとりで何かを書いたり作ったりする時間が好きだからというだけかもしれませんが、とにかく、それでも彼らは、ぼくに声をかけつづけてくれる…のです。

そして、いつもいつも、やたらとぼくを褒めてくれます。
何にも踏み出せなかった時期には、とくに会おうと声をかけてもらった気がします。凹んでいても、どれだけ自分を嫌いでも、うれしいものはうれしいし、凹みは少し膨らみます。

「どうして声をかけてくれるの…?」と思うし、今でも理由はわからないのですが、それがとてもうれしいし、誇らしいのです。

「あんなに素敵な人たちが」と思える人たちが、ぼくに、「自分、捨てたもんじゃないぜ」と思わせてくれている気がします。
そして、「あんな人たちに好きでいてもらえるトモキよ、きみ、いいねえ!」って。
ぼくがやさしい言葉を心から信じてしまう、思い込みの激しい、のせられやすい人というだけかもしれないけど。

きっと、そういうことなのかなあ。

なんだか、「誰かにダメ出しをされても自分を好きという気持ちは揺るがない」なんて言いながら、「自分を好きと思えるのは、こんなに素敵な人たちが、ぼくのことを好きだと言ってそばにいてくれるからかも」と着地するのも妙な感じがしますが、辻褄を合わせようとあんまり説明をがんばろうとしすぎると、だんだん自分の気持ちから遠ざかってしまうような気がするので、矛盾したまんまでもいいやと思っています。

ダメでみっともないところもたくさんあるけれど、たいへんで苦しいこともたくさん起こるけれど、やっぱりぼくは、「ぼく」が好きです。