もくじ
第1回記憶を呼び起こす短歌 2017-11-07-Tue
第2回踏み込んで解釈する短歌 2017-11-07-Tue
第3回自分で詠む短歌 2017-11-07-Tue

東京で働いてはいるものの、岩手の紫波町というところで120年以上続く餅屋を継ぐかどうするかの瀬戸際にいます。先のことはわからないから、まずは頑張って生きます。

ポケットに短歌を

ポケットに短歌を

担当・髙橋元紀

第3回 自分で詠む短歌

他の人が詠んだ歌に触れているとだんだんと自分でも詠んでみたくなってくるもの。
道具はなにも必要ありません。
ただ自分の感じたことを三十一文字の言葉に落とし込むだけです。

降る朝の雀の声に追いつけなくて昨日の夜にただ一人居る

いないはずのかみさまがいる神無月 鞦韆(しゅうせん)ふわりゆらゆれている

これらは私がつくった歌です。

一首目は大学院で研究をしているときに詠んだ歌で、
実験がうまくいくかどうか不安で眠れない日のことでした。
いつのまにか外が明るくなって
雀が鳴きはじめて朝が来たことを知ったのですが、
気持ちだけはまだ朝に追いつけずに夜を引きずっていた、
その時の気持ちを詠みました。

二首目は十月に散歩していたら、
誰も居ないのにブランコ(鞦韆)がゆらゆらと揺れていて
面白いなあと思って詠んだ歌です。
直前まで誰かが乗っていたか、風が揺らしたのだとは思うのですが、
“目に見えないもの”によって動いているその瞬間を覚えていたくて、
散歩をしながらどう詠もうかと考えていたことを今でも覚えています。

短歌に詠んだ光景は三十一文字に落とし込む必要が
あることからも自分の中で深く記憶されます。
記録なら例えば写真などでももちろんできるのですが
短歌として詠むとその瞬間の”印象や感情”が記憶に残り続けます。
 
手帳やスマホのメモに文字にすると、
たとえ詠んだことさえ忘れてしまっていても、
ふとそれを見返したときに不思議なほどに
詠んだときの光景や感情が目の前に立ち現れてくるのです。
だから私にとって短歌は短い日記となっています。
 
短歌は誰にでもできる身近な遊びです。
ルールはたったひとつ、五七五七七だけ。
喜びを詠んでも恋を詠んでも悲しみを詠んでも、
何もない一日を詠んでもそれは詠み手の自由です。
一日のうちのちょっとした時間、
例えば通勤の電車の中やお昼休みのお散歩中、
休日のお出かけの最中などに短歌を読んだり詠んだりしてみてください。
人が見ている世界や、自分が見ている世界を言葉で感じることができるとっても楽しい遊びですよ!

最後まで読んでくださってありがとうございました。

(おわります)