通って見てわかった。
結論から言おう。
私はチェーン店大好き人間と化した!
いや、なにも
「チェーンのカフェ、なんて素敵なの!」
と思っているわけではない。
隠れ家系喫茶店は
マスターが人生をかけてやっているお店だけあって、
インテリアも独特の秘密の部屋のようであったり、
ポットで入れる美味しい紅茶が飲めたり。
物語や映画に出て来そう、
インスタにだって映えそうなのは、断然こっち。
だが、チェーン店には実用美がある。
まず第一にチェーン店は「チェーン店」故、どこにでも存在する。
こんなに素晴らしいことがあるだろうか?
「行きつけの喫茶店」たりうるお店は
その独自性が魅力だが、
逆に言えばわざわざ店のある場所まで出向かなくてはならない。
その点チェーン店なららくちんだ。
地元でも、出先でも、
一番最初に見つけたとこに入ってしまえばいい。
第二に、チェーン店はあらかじめ料金と味がわかっているのがいい。
小さな喫茶店では入って見るまで金額がわからなかったり、
味に一抹の不安を残しながら入らなくてはならないこともある。
これでは一種のギャンブルのようなもので、
いちいち入店するのに覚悟を決める必要があるではないか。
だが、チェーン店なら安心だ。
1、2回でもスタバに入ったことがあれば
いくらかかるのか心づもりをしてから入ることができるし、
スターバックスラテの味は全国どころか全世界で共通するおいしさである。
第三に、へんに内輪ノリがないところがいい。
やさしいマスターにはやっぱりちょっと惹かれるが、
そういうお店では一見さんとしては
逆にすこし居心地が悪かったりするかもしれない。
それに、マスターと1対1で狭い店の中にいるところを想像してみると
なんだか息がつまりそうで、読書どころではない。
その点、ほとんどがアルバイトで構成されたチェーン店はすばらしい。
全国どこのドトールに行っても
店員さんはマニュアル通りの笑顔で対応してくれるので
疎外感など感じないし、
へんに話しかけてくることもないので作業をするには良い環境だ。
(お客さんも、
半分以上は一人でもくもくと勉強したり、ぼーっとしている)
そう、私が「行きつけの喫茶店」にしたかったお店は、
そこで何か作業をすることではなく
「その店に行くこと」自体が目的になるような、
テーマパークのような喫茶店だったのである。
そしてチェーンのカフェは、店そのものには注意を払わないけれど、
だからこそ「そこで何かをすること」を目的にできる、
心地いい空間なのである。
坂口安吾は
「見たところのスマートだけでは、
真に美なるものとはなり得ない。
すべては、実質の問題だ」
(「日本文化私観」)
と言っている。
チェーンのカフェはお洒落な存在でもないし、物語的でもない。
ひとくせあるマスターはいないし、インテリアも画一的で、
黒髪文学青年との恋も始まらない。
だが快適で便利である。
それって、最高なことではないだろうか?