『クロノ・トリガー』のサウンドトラックの中の
ブックレットには、
作曲者である光田康典さんのライナーノーツが
書かれていました。
そこには、『クロノ・トリガー』が
作曲者としてのデビュー作であること。
音楽の専門学校を出た後に入ったスクウェア(当時)で
サウンドプログラマとしてのキャリアを積む一方、
「自分は作曲がしたいんだ」という想いを抑えきれず
会社の役員に直談判をして勝ち取った
かけがえのないチャンスだったこと。
そして、シナリオに沿った音楽を作る事と
自己表現としての作曲との狭間で悩み、
スランプになりがちだったことなどが書かれていました。
小学生の自分にとっては、
これが人生で初めての「大人の世界の話」との遭遇でした。
こんなに素晴らしい作品を残せる人が
他の人間と同じように悩み、苦しんでいたという事実は、
衝撃的で、不思議と親近感の湧くものでもありました。
会ったこともない、
人生の先輩の話を自分の内面に沁み込ませる作業は、
それを繰り返せば繰り返すほどに
接する作品の深みを感ぜられるかのようでした。
その後、僕は彼の作品を追い掛けるようになります。
ゲームをやっていなくとも、
彼が作曲をした作品であればサウンドトラックを買い、
音楽だけでその世界観に浸る…ということもしました。
さらに、彼のインタビュー記事なども読み込むことで
彼の発する言葉から、楽曲に込められた想いも汲み取ろうと
しました。
『クロノ・トリガー』の『遥かなる時の彼方へ』は、
彼の高校時代に亡くなった
親友のために書いた曲であることも、後に知りました。
僕の姉はクラシックのピアニストなのですが、
彼女がサロンなど
(コンサートホールほどでない)砕けた雰囲気の場所で
演奏するときには、
演奏する楽曲の作曲者の人生や
その曲が生まれた時代背景の話をすることがあります。
「こういう想いの込められた曲なのだ」という理解は
演奏する者の表現力に深みを持たせるのと同時に、
「そういう曲だったんだな」という発見は
曲を聴く者の感性を豊かにするのではないかと
僕は思っています。
そうして『クロノ・トリガー』の曲たちは、
自分の内面の深くに根付く芸術体験となりました。
その後も、自分が「良かった」と思う芸術作品については、
作者や製作スタッフの人となりとその発言に
興味を持つようになっていくのでした。
(つづきます)