もくじ
第1回わたしの好きなもの 『きいろいゾウ』 2017-11-07-Tue
第2回じぶんの素直さを殺してはいけない 2017-11-07-Tue

白くて、毛むくじゃらの、南極の生き物がすきです。

私の好きなもの『きいろいゾウ』

私の好きなもの『きいろいゾウ』

担当・しろくま

第2回 じぶんの素直さを殺してはいけない

成人式の朝、会場に向かう電車の中でふと
「もう、誰にも守られないんだ」と思った瞬間、
じわっとこみ上げたのは言いようのない寂しさ。

「20歳の門出」という公的な線引きをされた時、
自分が今まで抱えていた幼さとやわらかさを強制的に引き離
さなくてはならないぞ、と世界から死刑宣告された気分にな
ったのです。

世の中には、いろいろな幼さがきっとあります。
20歳の幼さというと、あまり具体的ではないかもしれません
が、社会人になるとわかりやすく、ビジネスマナーとして名
刺の渡し方や敬語の使い方、冠婚葬祭での振る舞い方など世
の中とうまくやり合うために身につけるべきルールがたくさ
ん出てきます。

でも、19歳と20歳を隔てる、ぼんやりとした幼さの正体は
もっと曖昧で、言葉にしようとすると文字の隙間からする
すると伝えたいことが逃げ出してしまうような、どこかも
どかしいものでした。

みんなが面白がる話にひとり憤りを覚えてうまく笑えないこ
と、喧嘩疲れしてふさぎ込んでいる恋人の横顔をとても愛お
しく思ってしまうこと、亡くなってしまった祖父の死に顔が
穏やかでそれをとても美しく思ったこと。

不謹慎かもしれないのに美しいと思ったり、
面白さの本質が自分にとっては全く響かず、
寧ろ負の感情がわき出してしまうものだったり・・・・。

自分が感じてしまう世界のひとつひとつに対して、
誰かと共有し過ぎることを禁じられ、
誰もが「思うであろう」感情の一定幅の中に
自分の感情を無理矢理はめ込まなくてはならない。
誰かと感じ方が違うことをみんなにばれてはいけない。

大人になることはそういうことの積み重ねだということだと
思い込むようになっていました。

誰かと共感すること、
共感したふりをする成熟したテクニックの必要性に気づくよ
うになりましたが、実際に行動していくことは苦痛が伴いま
した。

まるで均一化された世界に身を染めるように感じ、
その世界に馴染むことができない自分は、
どこか欠落してるんじゃないだろうか、と。

大人は、思ったことをすぐに口に出してはいけない

大人になることで、自分の想ったことをそのまま表現するこ
とが是ではないと気づくようになります。
相手を困らせることを知ってしまったから。
それでも、うまくやり過ごせない自分がもどかしくてしょう
がない、そんなもごもごとした想いは誰でも感じたもので
しょうか。

「きみはツマさんみたいだね」。
そんな葛藤で悶々としていた時に言われた一言。

私は私でいることが痛々しくて、しんどいのだと。
私が感じる私を抑えられる他の誰かにならなきゃいけない。

まるで、思春期のような悩み頃かもしれません。
ですが、高校時代の大半を海外で過ごしてしまった自分に
とってはすこし遅れてやってきた葛藤の時期に陥って、
自分とまわりとの距離感に参ってしまったのです。
その想いを抱えて、満タンになって、
にっちもさっちもどうにもならない。

そんな時にこの一言は、
魔法の呪文かのようにきもちよく響いたものでした。

自分でも、うすうす「そうかもしれない」と思っていたツマ
さんとの似ているところ、感じすぎてしまうところ。
認めてしまうと、ますます世間とのズレを大きく自覚してし
まうから、感じたくなかったもの。

でも、感じすぎてしまうことに対してあっけらかんとしてい
るツマさんと、わたしの似ていないところ。
ちっとも大人になんかなれてない、と思う成人してしまった
私とツマさん。
重なったり、重ならなかったりするけれど、ツマさんは私と
似てる部分があるのは、もうどうしようもないことで、ツマ
さんのことをとても魅力的に想ってしまう自分は、きっと
もうこの自分を否定することはできないんだ・・・・。

そう考えた時に、わたしは私じゃない誰かからもツマさんの
ようなわたしの感じ方を認めてほしかったんだと気づきまし
た。

大人であるとか、子供っぽいだとか、
幼い考えだとかそういう呪縛から離れて、
自分の自然なありさまを肯定してほしかったんだと。

大人の基準

大人になることの基準は、今でもわかりません。
25歳にもなったのに、いろんなことが難しくて、
思わず会社のトイレで泣いてしまうことだってあります。

経済的に自立したら、誰かと一緒に眠る夜を過ごしたら、
ひとりでクライアントの大事なプレゼンを任されたら、
子供を生んだら、
挫折しても自分の力で這い上がったら・・・・。

そんな日々のなかでも、自分が思う大人になれば良い、
そんなことをツマさんは気づかせてくれたことを思い出すと
すこし気持ちが楽になるものです。

我儘かもしれないのですが、
やろうと思ってもどうしてもできないことがあります。
やりたくなくてもやった方が良いことも、中にはあります。

そんなことの狭間で、
自分がヒリヒリしているなあと痛みを感じたら、
その自分にしっかり気づいてあげて、
受け止めてあげてもいい。

かなしいときはかなしい、つらいときはつらい。
うれしいときはうれしいし、うつくしいものはうつくしい。

複雑になにかをがんじがらめにして、
じぶんの素直さを殺してはいけない。

『きいろいゾウ』は、そんなことをわたしに教えてくれました。

本の中には、大地くんという賢い男の子が登場します。
彼もまた、成長することのジレンマで悩んで、不登校になっ
てしまうのですが、ひょんなことから学校に復帰します。
(そして、彼はツマさんに想いを寄せる小学5年生です。)

そんな彼が、物語の最後で言う(書いた)一言は、
じんわりと心の力みをほぐしてくれる気がします。

「平野君ていう男の子がいて、その子の投げるボールが一番きつい。ソフトボールをやってるからね、投げる力があるんだ。平野君のボールを取るときは、胸がずしんという。しんぞうがどきどきいって、うでなんかもしびれてるんだ。でも、ぜんぶ取れる。こつはね、目をつむらないこと。ぜったいにつむっちゃいけないんだ。こわいときもあるよ。かおに当たったらどうしよう、とかね。でも、ぜったいにつむらない。それって、きちんとこどもをやることとはちがうかもしれないけど、でも、ぼくはぜったいに目をつむらないんだ。
 わかる? つまり、ぼくはかくじつに大人にちかづいています。わかんないよね?」
(西加奈子『きいろいゾウ』 小学館文庫 / 466ページより引用)

もし、大人でいることや男でいること、女でいることに疲れ
たら、この本を開いてみてください。ほしかった言葉がそこ
にはたくさん、たくさん、あるはずです。

誰だって、思い切り泣いて甘えたい夜があるはず。
そんな夜に、大好きな作家先生の、
大好きな一冊が誰かの「すき」であり、
「助け」になればと願ってやみません。