2016年の夏、いろいろあってニューヨークで
インターンをする機会に恵まれました。
ニューヨークに行ってすぐの頃、友人の紹介を経て、
とても仲良くなったニューヨーカーが居ました。
お隣のニュージャージーで育ち、就職して銀行で働くために、
ニューヨークに来たCollin(コーリン)です。

同い年の私たちは、
実にくだらない子どもの頃のバカ話から、
仕事や家族や政治の話まで、いろいろな話をする仲でした。
ある秋の日の夜、仕事を終えた私たちは、
私の家の近くにあるレストランへ食事に行きました。
あの時食べていたのは、
シシトウを炒めたものと大きなピザ1枚。
「これ以上太りたくないから、最後の一枚は食べてよ」
「僕も太りたくないよ、嫌だよ」
そんな、他愛もない会話をしていました。
軽くお酒を飲んで、ほろ酔い気分だったところで、
どんな文脈だったかもう忘れてしまいましたが、
「養子」が話題にあがりました。
養子を育てることは人助けでもあるから、良いことだ。
自分もいろんな人に助けて貰って育ったから、
自分も養子をとりたいと彼は主張します。
私は常日頃から、実の親子間でも
愛情を誤解なく伝えることは難しいと感じていました。
ちょうど私がニューヨークへ渡航する直前に
「はじめまして、愛しています。」という特別養子縁組みを
テーマにしたテレビドラマを見て、
そこで描かれる血のつながらない子に愛を注ぐことや
日本の社会制度のなかで他人と家族になることは、
筆舌に尽くしがたい困難のようにみえました。
彼の意見に両手を挙げて
賛成することはできないと伝えました。
すると、彼はひどくがっかりして、
「君はいつもJudge(批判的に物事をみること)する。」
「外国人の君には分からないかもしれないけど、
僕たちは批判されることや、
先入観できめつけられることが大嫌いだ」と言い放ちました。
いつも、拙い英語で発せられる私の意見を、
辛抱強く丁寧に聞いてくれる彼だったので、
正直、面食らう私。
私の言い方や英語がまずかったのか。
母親から無尽蔵な愛を受けて育った彼には、
私の話は理解しがたいものだったのか。
物事を批判的に見ているつもりは微塵もなかったので、
それから、悩む日々が始まります。

確かに、アメリカ人の友人は
何か言いづらいことを言ったりする時に、
”Don’t judge me.”と前置きをします。
ニュアンス的には、
「私を誤解しないで欲しいんだけど」といった感じ。
”judge”とは批判をしたり、
物事を先入観をもって見ること・見られること。
彼らはそれを、ひどく嫌っているのです。
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ニューヨークには、
コリアンタウン、リトルイタリー、チャイナタウンなど
同じ地域からの移民が多く暮らす地域が、いくつかありました。
地下鉄に乗ってみてもそうです。
背の高さが2メートルくらいの人も居れば、
小さい人もいて、太った人、痩せた人も居る。
肌の色は黒、白、褐色、実にカラフル。
ものの数駅分地下鉄に乗って移動するだけで、
英語以外の言語がいくつも聞こえてきます。
多かったのは、中国語、スペイン語、韓国語、
フランス語、ドイツ語、アラビア語、など。
何語かさえもわからない言語も、
時折、聞こえていたような気がします。
マンハッタンは山手線の内側ほどの大きさしかありませんが、
20%以上がアメリカ国外生まれで、
白人は半分以下で、移民が多い。
そこに集まる人々のバックグラウンドは多様です。

ある日、沢山の人が行き交う駅の
ベンチに座って行き交う様々な人を見て居たとき。
彼が、こんなにも”judge”を嫌う理由にやっと気づきました。