
海の上には電波が届きません。
だから船に乗っているあいだは、携帯電話は圏外です。
テレビは沿岸近くではBS放送が見られますが、
これも沿岸を離れれば、見られなくなってしまいます。
さてそうすると、やることといえば、
飲み食い、読書、昼寝、ぼーっとすること。
こんなところでしょうか。
乗客はみんなやることがなくて、
船室でごろごろと寝そべったり、
甲板を歩き回ったりしています。
なんともいえない宙ぶらりんな時間。
船に一度乗ってしまえば、目的地に着くまで
逃げることはできません。
「時間つぶしに追い込まれる」という状況かもしれません。
でも、私は社会に出て、せわしなく働くようになってから、
いっそう、船でのだらだらとした時間が、
この上なくぜいたくに感じられるようになってきたのです。
船は交通手段ですが、乗っているあいだ、
行動の自由度が高いのが魅力だと思うのです。
なかの施設は、船によりますが、
じゅうたん敷きにざこ寝する共同の船室から、
デラックスな個室の船室まで、部屋の種別もさまざま。
だいたいの長距離フェリーにはレストラン、
座ってくつろげるラウンジなどがあります。
船によっては、広い湯船で海のように波が立つ大浴場や、
映画を上映する小さなシアターを備えたものもありました。
船内を自由に動き回り、揺れがひどくなければ、
甲板に出て体を動かすこともできます。
まさに、生活しながら移動するという感じです。
3年前の夏、東京から、鹿児島県の奄美大島まで、
船でわたりました。
飛行機なら2時間半ですが、船だと丸2日かかります。
東京の有明客船ターミナルを夕方5時に出航。
日が落ちるまで甲板で東京湾の夜景を楽しんでから、
持ってきたおにぎりとインスタントの味噌汁を夕食に食べて、
ひとやすみしてシャワーを浴びました。
コーヒーを飲んでいたらもう夜の11時です。
乗客はぜんぶで20人もいなかったようですが、
船内のあちらこちらで小さな酒盛りが始まっていました。
そんな、ざわざわした雰囲気もけっこう心地よいのです。
翌朝7時、船内の電気がついて目を覚ますと、
「みなさまおはようございます。
本船はただいま和歌山県、潮岬沖を航行中です」
というアナウンスが流れていました。
「まだ大阪にも着いていないのかい!」とつぶやく。
このツッコミが言いたくて、船に乗っているといっても
過言ではないのです。
ひと晩経っても、まだ大阪に着かないという時間の流れ方。
でも、それだけ長い距離を移動しているのだという
実感がわいてきます。
東京から大阪は新幹線なら2時間半。
お弁当を食べてうたた寝したら、着いてしまいます。
このスピードがどれだけとんでもないものなのか、
船に乗ると、その速さをあらためて感じます。
船旅も2日目にもなると顔なじみができます。
相部屋になった乗客の女性に誘われて、
船内の小さなラウンジを訪れました。
そこでは、時間帯によっては船長さんみずから、
コーヒーを出してくれるのです。
タイミングよくちょうど船長さんがいて、
数人のお客さんと話し込んでいました。
互いの境遇や旅の目的を話してのんびり時間をつぶすのです。
時間のかかる長距離フェリーをあえて選ぶお客さんたち。
「バイクで島めぐりしたいから」
「転勤するので車を運びたいから」
「飛行機が苦手だから」
その理由はさまざまです。
私は「船からの景色を見たい」ことに加えて、
「価格が安い」ということも大きな理由のひとつでした。
10年ほど前は、たとえば東京から沖縄なら、
フェリー代が飛行機代のおよそ半額でしたが、
最近は格安航空券もたくさんあるので、
安さが必ずしも船旅のメリットではなくなってきています。
船長さんとお客さんの会話を聞いて知りましたが、
その航路は、年内になくなることが決まっていたのです。
ああ、なんて残念な。
飛行機や新幹線よりスピードが遅くて、
特に安くもないともなると、
お客さんはなかなか移動手段に選んでくれないのかな。
でも、ゆったりした船の時間に身をまかせるのも、
たまらなく気持ちいいのになあ。
3日目の朝9時、船は予定どおり奄美大島の名瀬港に到着。
風も海の色もすっかり南国に変わっていました。
私はもともとのんきな性格ですが、
仕事上、せっかちであることを求められる場合が多くて、
定期的に船に乗ることで、のんきな体のリズムを
とりもどしているのかもしれない。
そんなことを考えながら船のタラップを降りました。
※東京~鹿児島~奄美大島~沖縄を結ぶ
「クルーズフェリー飛龍21」は惜しまれながら
2014年12月に運行休止となりました。