もくじ
第1回「手土産研究家」の田中さん。 2017-03-28-Tue
第2回45歳の少年が覗いたインターネットの世界。 2017-03-28-Tue
第3回「読み手として書く」という2人のスタンス。 2017-03-28-Tue
第4回プロであることの悲しみと、アマチュアであることの尊さ。 2017-03-28-Tue
第5回根拠はなくても水がある。 2017-03-28-Tue

ライター/編集者。函館と東京を行ったり来たりしながら、インタビューをしたり、文章を書いたりしています。
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田中泰延×糸井重里 </br> 40代からのドロップアウト

田中泰延×糸井重里
40代からのドロップアウト

担当・阿部光平

第3回 「読み手として書く」という2人のスタンス。

糸井
自分が文字を書く人だとか、
考えたことを文字に直す人だっていう認識そのものが
なかった時代が20年以上あるというのは不思議ですよね。
「嫌いだ」とか「好きだ」とかは思ってなかったんですか?
田中
読むのが好きで。
糸井
あぁ。
田中
だけど、自分がダラダラと何かを書くとは夢にも思わず。
糸井
「今の言い方を、僕はどういうふうに感じているんだろう」
って頭の中でちょっと考えていたんですけど、
「読み手として書いてるというタイプの人」
という気がしました。
 
そういう表現をするのが初めてなのでわからないけど、
自分にもちょっとそういうところがあって。
コピーライターって、「書いてる人」っていうより、
「読んでる人」として書いてる気がするんですよ。
田中
はい、すごくわかります。
糸井
ねぇ。だから、うーん‥‥。
視線は読者に向かってるんじゃなくて、
自分が読者で自分が書いてくれるのを待ってるみたいな。
田中
おっしゃるとおり!
いや、それすごく、すっごくわかります。
糸井
今、初めてそれを思いました。
田中
でも、それすごい。
糸井
これ、お互い初めて言い合った話だね。
説明するの、むずかしいですねぇ。
田中
むずかしいですね。
でも、発信してるんじゃないんですよね。
糸井
受信してるんです。
田中
はい。
糸井
そうなんです、そうなんです。
で、「自分に言うことがない人間は書かない」
って思ってたら大間違いで。
田中
そうなんです。
糸井
読み手というか、
「受け手であるっていうことを、
思い切り伸び伸びと自由に味わいたい!」って思って、
「それを誰がやってくれるのかな」、「俺だよ」っていう。
田中
そうなんです。
糸井
あぁ、なんて言っていいんだろう、これ。
今の言い方しかできないなぁ。
田中
そうですね。
映画でも、まずその映画自体を観ますよね。
次にネットでも雑誌でも
いろんな人が評論をするじゃないですか。
 
そうしたら、「何でこの中に、この見方はないのか?」
って思うんです。
それを探して、すでにあったら、
もう自分では書かなくていいんですけど、
「なぜ、この見方はないの? じゃあ、今夜俺が書くの?」
っていうことになるんですよね。
糸井
今やっと、なんであんなにおもしろいかっていうのと、
書かないで済んでいた時代のことがわかった気がします。
 
「広告屋」だったからだ。
田中
そうですね。
糸井
因果な商売だねぇ。
田中
そうなんです。広告屋はね、発信しないですもんね。
糸井
しない。でも、受け手としては感性が絶対にあるわけで、
田中
はい。
糸井
受け取り方というのは、発信しなくても個性なんですよね。
そこでピタッとくるものを探してたら、
人がなかなか書いてくれないから、
「え、俺がやるの?」っていう。
それが仕事になってたんですよね。
田中
そうですね。
糸井
自分がやってることも、今わかったわ。
田中
(笑)
糸井
このことをね、言いたかったんですよ、僕、たぶんずっと。
自分がやっていることの癖だとか形式だとかっていうのが、
飽きるっていうのもあるし、
なかなかいいから応用しようっていうのもあるし、
そこをずっと探しているんだと思うんですね。
 
田中さんは、会社で付けてしまった癖が20何年分あって、
でも、自分が名前で出していくっていう立場になって、
これからは変わっていきますよね。
田中
今、「青年失業家」として岐路に立っているのは、
会社でコピーライターをやっていて、
そのついでに何かを書いてる人ではなくなりつつあるので、
じゃあ、どうしたらいいのかっていうところなんです。
糸井
2つ方向があって、
書いたりすることで食っていけるようにするっていうのが、
いわゆるプロの発想。
それから、食うことと関わりなく自由に書くという、
そっちを目指すっていう方向と、2種類に分かれますよね。
田中
そうですね。
糸井
僕もそれについてはずっと考えてきたんだと思うんですね。
で、僕はアマチュアなんですよ。
つまり、書いて食おうと思ったときに、
自分がいる立場がつまらなくなるような気がしたんです。
 
職人芸ではなく、
いつまで経っても旦那芸でありたいっていうか。
「お前、ずるいよ、それは」っていう場所からいないと、
いい読み手の書き手にはなれないって思ったので、
僕はそっちを選んだんですね。
田中さんはまだ答えはないですよね。
田中
そうなんです。
糸井
書き手っていうものに対して、
人はある種のカリスマ性を要求しますよね。
トランプ大統領よりもボブ・ディランが偉いみたいな。
田中
わかります。
糸井
そんなのどうでもいいんです、僕は。
だけど、その目をどうしても向けるんで、
その順列からも自由でありたいなぁという思いがあります。
だから、超アマチュアっていうので一生が終われば、
僕はもう満足なんですよ(笑)。
田中
その軽さをね、どう維持するかっていう、
糸井さんはずっとその戦いだったと思うんですよね。
糸井
そうですね。
同時に、その軽さはコンプレックスでもあって、
「俺は、逃げちゃいけないと思って勝負してる人たちとは
違う生き方をしてるな」って。
田中
わかる、メッチャわかる(笑)。
糸井
つまり、僕は受け手として書いてきた人間なんで、
「どうだ!」って言って胸を張れないところがある。
 
たとえば、人を斬っても、
まだ生き返って斬りつけてくるかもしれないから、
もう1回刃を両手でもって突き立てて、
心臓のところにとどめを刺して、
まだ心配だから踏みつけて、
息を切らしながら「勝った」って言うような人たちと
同じことをしてないんで。
僕は、斬った相手が生き返ってきたら
「そいつ偉いな」って思うみたいなところがあって(笑)。
田中
僕は、もの書くようになってまだ2年ですけど、
書くことの落とし穴はすでに感じていて。
それは、つまり、「僕はこう考える」っていうことを
毎日毎日書いていくうちに、
だんだん独善的になっていくんですよ。
糸井
なっていきますね。
田中
そうなった果てに、
9割くらいの人は右か左に寄ってしまうんですよね。
糸井
うんうん。
田中
どんなにフレッシュな書き手が現れて、
すごい真ん中あたりで心が揺れているのを、
うまいことキャッチして書いてるなっていう人も、
10年くらい放っておくと、
右か左に振り切ってることがいっぱいあって。
糸井
世界像を安定させたくなるんだと思うんですよね。
田中
はいはい。
糸井
でも、世界像を安定させると、
夜中に手を動かしているときの全能感っていうのが
ご飯食べているときまで追っかけてくるんですね、たぶん。
田中
なるほど。
糸井
そういう全能感から、僕は逃げたいんですよ。
「生まれた」、「めとった」、「耕した」、「死んだ」
っていう、4つくらいしか思い出のない人生というのは、
みんなが悲しいことだっていうかもしれないけど、
これ、やっぱり一番高貴な生き方だと思うんで。
そこからずれる分だけ歪んでいるんですよ。
 
自分の世界像を他人に押し付けられるような
偉い人になっちゃうっていうのは、
読み手として拍手はするんだけど、
人としてはつまらないかなって。
田中
恐ろしかったりしますね、それは。
糸井
しますよねぇ。
田中
書く行為自体が、
はみ出したり、怒ってたり、ひがんでたりするということを
忘れる人が危ないですよね。
糸井
書き手として生きてないのに、
そういうことを考えてる読み手ですよね。
田中
そう、そう、そう(笑)。そうなんです。
糸井
ややこしいよねぇ。
田中
僕は別にさっき言ったような、
世の中をひがむとか、言いたいことがはみ出すとか、
何か政治的主張があるとかではないんですよ。
読み手だから。
 
だけど、映画評とか書いていてよく言われるのが、
「じゃあ、田中さん、そろそろ小説書きましょうよ」って。
糸井
必ず言いますよね。
田中
まぁそれは読みたいっていうのもあるだろうし、
商売になるって思っている人もいる。
だけど、これが言いたくて文章を書くっていうのはなくて、
「あ、これいいですね!」
「あ、これ木ですか?」
「あぁ、木っちゅうのはですね‥‥」
っていう、そこから話がしたいんですよ、僕は。
一同
(笑)
糸井
「お話」がしたいんですね(笑)。
田中
そうなんです。
糸井
そのあたりは、永遠の問題かもしれないんだけど、
ずっと考えていることですよね。
自分のものの見方で、
「育ち方の中で歪んでいるもの」があるんだろうな
っていうのは思うんですけど。
 
以前、作家の吉本ばななさんに、
「糸井さんは、
もう本当にいろんなものから吹っ切れているようだけど、
やっぱりちょっと作家を偉いと思ってる」
って言われたんです。
「それはものすごく惜しいことだと思う」っていうのを、
たしか彼女がポロッと言ったんですよ。
田中
あぁ、あぁ。
糸井
それはお父さんの吉本隆明さんも言ってたんですよ。
要するに、「思う必要がないのに」って。
田中
本当そう思います、僕も。
糸井
僕もそう思うんですよ。
だけど、そういう見方が残っているとしたら、
しょうがないなぁと思って。
拍手に力がこもっちゃうのかなぁみたいな。
だから、絵描きにも映画作ってる人にも拍手するんだけど、
表現者に対する拍手がちょっとでかすぎるのかなって。
田中
はぁはぁ、なるほど。
糸井
もっとしょうもないものへの拍手っていうのが、
同じ分量でできてるはずなのに、
人に伝わるのは表現者に対する拍手だから、
そこはしょうがないのかなぁ。
田中
だから、バランスを取って、
僕のようなしょうもない戯言を言ってる人間に
ツイッターで絡むわけですか(笑)。
糸井
(笑)
田中
夜中にウザ絡みを(笑)。
糸井
だいたい「www」で返されてますけどね(笑)。
第4回 プロであることの悲しみと、アマチュアであることの尊さ。