きっとインフルエンザが治る頃には、誕生日のことなんてどうでもよくなっているはず‥‥でした。
でしたが。
丸1週間寝込み、インフルエンザがすっかり治っても、「誕生日が嫌」という気持ちは消えませんでした。むしろ考えれば考える程、その気持はどんどん大きくなっていきます。
おかしい。予定と違う。
冷静になった頭で考えてみると、「誕生日が嫌」という気持ちの裏には2つの要因があるようでした。
1つ目は、やっぱりどうしてもどう考えても、「寂しい」ということ。
実家に住んでいるときはなんだかんだ家族が祝ってくれていたし。
いつもより豪華なご飯とか、美味しいケーキとかが用意されていたわけで。
大学生の頃は、毎日顔を合わせる友達がなんだかんだ祝ってくれたし。
手作りのプレゼントをくれたりしてね。
それが今年はどうでしょう。ひとりです。
いいんです、別に、祝ってもらわなくても。
そんな、誕生日なんて、別に、大したことないし。
特にめでたいことなんてないし。
‥‥と思ったけどやっぱり年に1回くらい祝われたい。
いつも頑張って生きてるし。年に1日くらい無条件にめでたがられたっていいんじゃなかろうか。
どうやら私にとっての誕生日は、「祝われるわたし」と「祝ってくれる大切な誰か」によって成立するもののようです。今年の誕生日には、その誰かがいない。だから嫌。
何だかとっても一人ぼっちな気がして、寂しい気持ちがどんどん沸き上がってきます。
2つ目は、「歳を取ること」への恐怖。
26歳はまだ若いかもしれないけど、もう「若い女の子」ではない。
25歳まではギリギリ「若い女の子」で許される気がしていたけど、26歳は完全に20代後半。「若い女の子」からは卒業しなければいけない気がしています。
私なんて、「若い女の子」だから生き残ってこれたようなもの。私から「若い女の子」を取ったら何が残るんだろう‥‥。
自分のことが好きになれない。人間として嫌なところも足りないところもたくさんあるし、仕事もまだまだ自信がない。それなのに、年齢は無条件に、どんどん重なっていく。
怖いのです。自分は20代後半の人間として、足りていないのではないか。自分が少し前にイメージしていた26歳像に近づけているのか。もう「若い女の子」として伸び伸びしてはいられない。もっと大人にならないと。もっとしっかりしないと。もっと自分の足でしっかり立たないと‥‥。
去年までは、大人になるのが嬉しかった。自由が増えて、できることも増えて、責任も増えたけど、楽しいこともどんどん増えた。
はずだったんだけどなぁ‥‥。
(つづきます)