蝶ネクタイをつけると、気分が高ぶる。
香水をつけたり、帽子をかぶったり、
なんだかそういう行為に近いのかなと思う。
気がつけば、家には20個くらいの蝶ネクタイがある。
雑貨屋さん、古着屋さん、ネクタイショップ、など
結構どこにでも売っているので、ついつい買ってしまう。
どの蝶ネクタイにするのかは、朝、決める。
半分眠りながらシャツを着て、
ベットの横に並ぶ蝶ネクタイの中から選ぶ。
色で選ぶこともあれば
素材で選ぶこともある。

フォーマルな蝶ネクタイ、カジュアルな蝶ネクタイ。
カラフルな蝶ネクタイ、木でできた蝶ネクタイ。
シャツに刺繍されている蝶ネクタイもある。
ひとつひとつ首元にあてながら、
これじゃない、あれじゃないと考える時間は、
とても楽しい。
ごくたまに、
どうしてもつけたい蝶ネクタイがある日があって、
そんな日はその蝶ネクタイにあったシャツに着替える。
せっかく蝶ネクタイという名前なんだから、
ほんとうは首元で蝶が羽ばたいているような
動く蝶ネクタイ欲しいんだけれど、
まだ羽ばたく蝶ネクタイには出会ったことはない。

蝶ネクタイは
場合によっては外さないといけないシーンがある、
というのが面白いところだと思う。
取引先との打ち合わせや、
友達の悩みを聞くときなどは、
蝶ネクタイはあまりに陽気で、ポップすぎるのだ。
それを特に面倒だなとは思わないのは、
僕が、時に邪魔になるくらいのポップさが
好きだからなのかもしれない。
そういえば、これまでも
ポップなものがずっと好きだった。
大きな水玉模様の服ばかり着ていたこともあれば、
クリスマスツリーのオーナメントを
首からぶら下げていたこともあった。
見ていて楽しくなるようなものに
惹かれやすいのだ。
サルエルパンツしか持っていなかったのも、
大きな帽子を好んでかぶっていたのも
パイナップルをなんとか
服装に取り込めないかと悩んでいたのも、
全部、ポップなものに
憧れてのことだったように思う。
メガネをかけることで知的さを装着するように、
ポップなものを身につけることで、
多くの人を楽しい気持ちにさせるような、
ポップな人になりたかったんだと思う。
ある時、ラクダのワッペンのついた大きさな麦わら帽子
をかぶって電車に乗っていた時、
ずっと泣いていた赤ちゃんが突然泣き止んだことがある。
何かあったのかなと思ってそちらに目をやると、
その赤ちゃんは僕の方を指差して笑っていた。
生まれて間もない赤ちゃんに、
「楽しいもの」としてとらえられたのは、
すごく気分が良かった。

しかしそんな帽子も、もうかぶるのをやめてしまった。
あれだけ憧れていたパイナップルを身に付けたい欲も、
今はもうない。
それは、僕が大人になったから、
なんだろうなと思う。
ポップでありたいという気持ちはあるけれど、
大人っぽくありたいという気持ちがそれを上回り、
その結果、パイナップルは
僕の心を惹きつけるものではなくなってしまった。
そんな時、引越しの荷物を詰め込んだ箱の中から
見つけたのが蝶ネクタイだったのだ。
大人っぽいものとして購入した蝶ネクタイが
内包しているポップさに気がついてドキドキした。
大人として身につけることができるポップなもの。
蝶ネクタイは、その条件を満たしていた。
(つづきます)