僕は蝶ネクタイをよくつける。
パーティだからおしゃれして、というわけではなく、
誰にも会う予定がなくても、
蝶ネクタイをつけて家を出る。
蝶ネクタイをつけて実家に帰るし、
蝶ネクタイをつけて会社に行くし、
蝶ネクタイをつけてスーパーに晩御飯を買いに行く。
もちろん、その日の気分で決めるので
毎日ではないけれど、
だいたい週の半分くらいは
蝶ネクタイをつけている。
「どうして蝶ネクタイをつけているんですか」と
はじめて会った人には、よく聞かれる。
その度に僕は
「蝶ネクタイってなんかよくないですか?」
と答えているのだけれど、
その後の相手の不思議そうな顔から察するに、
蝶ネクタイが「なんかいい」
というのは伝わっていない。
今回蝶ネクタイをテーマに書くにあたって、
まずその理由を書こうと思ったんだけど、
そこでパタリと筆が止まる。
あれ、僕はどうして蝶ネクタイをつけてるんだっけ?

はじめて蝶ネクタイを意識したのは、
5年程前、ルームシェアをしていた友人に、
明日結婚式だから蝶ネクタイを貸して欲しい
と、頼まれた時だった。
その時の僕は、蝶ネクタイをひとつも持っていなくて
貸すことはできなかったんだけれど、
結婚式に蝶ネクタイという選択肢があるんだ
と驚いたのと同時に、
「僕は蝶ネクタイを持っているように見える」
ということを知った。
その次の週、
六本木にある東京ミッドタウンを
ぶらぶらしていると、
インテリアショップで蝶ネクタイが
売っているのが目に入った。
2回くらい素通りした後、
手にとって、鏡の前に立つ。
首元に合わせる。
悪くない、ような気がする。
値札を確認する。
「蝶ネクタイ持ってる?」
と聞かれた先日のシーンを思い返す。
「持ってるよ」と答えることができる未来を
買ってやろうと思う。
東京ミッドタウン+蝶ネクタイは
計算するまでもなく大人だ。
これまでで一番大人な行為に緊張しながら、
背筋を伸ばして、蝶ネクタイをレジへと持っていく。
精一杯クールな感じを装って、お会計をする。
提示された金額ちょうどで支払えたにもかかわらず、
なんとなく1万円札を出してお釣りをもらった。
大人ってそういうものだと思った。
家に帰ってすぐ、シャツに着替えて蝶ネクタイをつけた。
やっぱり、悪くないような気がした。

実際にその蝶ネクタイをつけて外に出たのは、
そのさらに1か月くらい後の結婚式だった。
前日の夜にスーツに着替えて蝶ネクタイをあわせたし、
当日も電車の窓に映る蝶ネクタイを見て嬉しくなった。
ふとした瞬間に触ったり、
わざと顎を引いたりして感触を確かめた。
すれ違う人みんなが
僕の蝶ネクタイを見ているような気がして、
「蝶ネクタイ似合いますね」と言われた時は、
「ありがとうございます」と
声のトーンを低くして余裕のある大人っぽく答えようと
シミュレーションもしていた。
結局その日は特に誰からも蝶ネクタイについて触れられず、
自分の部屋で蝶ネクタイを外しながら、
まあこんなもんか、と思ったのを覚えている。
楽しみは次回に持ち越し、なわけだが、
そのあと3年間、世界一周をしていたので、
再び蝶ネクタイをつけたのは、帰国してからになる。
帰国後、実家で荷物の整理をしている時、
蝶ネクタイを見つけたのだ。
懐かしいなと思い、その日の飲み会につけていくと、
「蝶ネクタイ似合うね」と言われた。
「ありがとう」すら返せなかったけど、
その日から僕は、
なんでもない日に蝶ネクタイをつけ始めた。
(つづきます)