ほぼ日の塾。
最後の課題のテーマは自由。
それがわかったときから「天職」について書こうと決めていた。
でも、まったく書けなかった。
しめ切りは、せまってくる。
時間だけが進んでいくけれど、いくら考えても、書けない。
次の日になっても、そのまた次の日になっても、
頭のなかには、ぐるぐるぐる「天職」という単語だけが回り続けて、
糸口は、見えなかった。
想うことがたくさんあるから書きたかったはず。
なのに、その想いが、散り散りバラバラになって
まとまる気配がなかった。
課題を出せないかもしれない……。
ちょっと、諦めにも似た気持ちになったとき、
走り書きのメモが目に入った。
塾でお世話になっている、乗組員の永田さんにいただいた
アドバイス。
「まずは、言葉の意味を調べてみては?」
たしかに、と思った。
こんなに気になっているテーマなのに、
今まで「天職」という言葉の意味を調べたことはなかった。
キャッチコピーのように、なんとなく、
この言葉を使っていたことに気がついた。
さっそく、パソコンを開いて、意味を調べてみる。
天から授かった職業。また、その人の天性に最も合った職業。
※デジタル大辞泉より
正直、なんだか少し違和感があった。
なんとなく、持って生まれた才能をもつ「天才」にだけ
許された言葉に感じる。
わたしは、もう少しキャッチ―で、現実的な言葉として、
「天職」をとらえていたような気がした。
そこで、自分が考えている天職の意味を書き出してみた。
『好きなことで、寝食忘れるほど没頭できて、やりがいがあって、
楽しいとおもえる仕事』
文字にすると、これはこれで、
ものすごくハードルの高いことにおもえたし、漠然としていると思った。
自分の言葉のはずなのに、やりがいとか、楽しいとか、
あやふやな表現の裏にある、真実のようなものは、
靄に包まれていて、はっきりと見えなかった。
そして、おもった。
そもそも、わたしはどうしてこの言葉に、こんなに執着しているんだろう?
どうして、こういう意味にとらえたんだろう?
振り返ってみると、始まりは11年前だった。
わたしが社会にでたのは、2006年。
就職氷河期と呼ばれた時期を、やっと抜けたといわれた年だった。
はたらける場所を見つけることに、必死にならざるを得なかった
少し上の世代に比べれば、
”はたらきかた”とか”やりたいこと”とか、
そんなことを考える余地をもらえた世代だったとおもう。
世の中も、そんな雰囲気だった。
「好きを仕事にしよう」
「天職をみつけよう」
いまでも、求人や、就職エージェントのサイトに、
踊っているフレーズだけれど、
当時はもっとトレンドのように使われていて、
そこかしこに、こんなフレーズがあふれていた印象がある。
社会へ出ることのイメージが湧かなかったわたしに、
このキャッチコピーたちは一緒くたになって、
心にこびりついた。
そして、仕事をする上での指標になった。
当時「天職」からイメージしていたのは、編集者やデザイナーなど、
その道のプロになる、という表現がしやすい職業だった。
ずっと学ぶことが必要だし、極めることができる。
やりがいがある、というのも理解できた。
事務職や営業職という漠然とした業種では、
どうしても天職につながるイメージがわかなかった。
そうして、最終的にはIT企業に技術者として、就職が決まった。
勉強すれば技術は身につく。
コツコツ続ければ、プロになれると思った。
天職なる要素があると信じていた。
でも、入社して1週間で、はっきりと気づいた。
ITの世界は、そんなに好きじゃない。
それでも、やめなかった。
適正テストだって合格している。
続けていれば、もしかすると、すごく好きになれるかもしれない。
天職だと思える日がくるかもしれない。
電車の中吊りで「好きを仕事にしている?」という、
転職エージェントのコピーをみるたび、胸がチクチクした。
でも、みないフリをした。
もう少し頑張ってみよう。もう少しだけ。
そうおもっているうちに、9年間が過ぎていた。
退職するきっかけになったのは、眩しいくらい
仕事に没頭している人に出会ったからだ。
わたしがイメージしている「天職」そのものを体現している人。
やっぱり、今の仕事は天職じゃない。やりたいことを、やろう。
忘れていた思いが蘇った。
一大決心のもと、仕事を辞めた。
そして、「天職」だと思えることで、
新しいスタートをきった。
それこそ、寝食を忘れて、没頭して進んだ。
だけど、次第に気づいてきた。
会社に勤めていたときと、同じようなモヤモヤがあることに。
たしかに、やりたかった仕事だ。
だけど、どうしようもないくらい違和感があった。
それに気がついたときは、ショックだった。
ずっと、自分が好きで、望んでいたこと。
これこそ、「天職」だとおもっていた。
その仕事につけたことだって、すごく運がよかったのだ。
これがダメなら、どうしたらいいのだろう…。
でも、こうやって振り返ってみると、
その仕事を「天職」だと、思い込みたかった自分がいるような気がした。
ふつふつと湧き上がる疑問から、目を反らせなくなっていく。
寝食は忘れられるほど夢中になれば、「天職」なの?
好きなら、「天職」になるんだろうか?
考えても、考えても、
答えは、自分のなかには見つかりそうになかった。
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(2)へ続きます。
友人たちに、話しをききました。