もくじ
第1回「夫さん」の、つかいかた。 2017-05-16-Tue
第2回アラサーの「女子会」の、つかいかた。 2017-05-16-Tue
第3回「役に立たない」の、つかいかた。 2017-05-16-Tue
「あのことば」を</br>つかうなら

「あのことば」を
つかうなら

担当・榮田佳織

第3回 「役に立たない」の、つかいかた。

さて、「『あのことば』をつかうなら」の最終回。
今回は、「役に立たない」の、つかいかたです。

「あなたの言うことは役に立たない」
「あなたにもらったものは、まったく役に立たなかった」

もしも、
こんなことを言われてしまったら・・・・、
わたしは
とても悲しくなるだろうなあと思います。

「役に立たない」って、
とても力が強いことばですよね。

でも、わたしたちは日々、
これは役に立つ・役に立たない、と
たくさんの切り分けを
しているような気がします。

これから役に立ちそうな
あの勉強をしようか、しまいか。

好きな子が来るかもしれない
あの飲み会に行こうか、行くまいか。

クラスで話題になっている
あの新作ゲームを予約しようか、しまいか。

いつもより安くなっているから
特売のあのお肉を買おうか、買うまいか。

日々は、たくさんの選択のくりかえし。

そんな
日々のたくさんの選択の決断をするときに、
この選択が、はたして役に立つのかどうかは、
やっぱり考えてしまう。

でも
役に立つとか役に立たないとかって
ほんとうのところ、
どういうことなのでしょう。

役に立たないと思ったことは、
ほんとうに役に立たないのか。

「役に立たない」ということばを
どうしてもつかわないといけないとき、
すこしでも誰かを傷つけずに、
すこしでも何かの可能性を切り捨てずに
つかう方法はないでしょうか。

こんなことを、
わたしが考えてみたいと思ったのには
きっかけがあります。

三年くらい前、
美学を研究している友人が
こんなことを言っていました。

「美学を研究しているというと、
こう言われるんだ。
『君はなぜ、
そのような役に立たないことを
しているのか。
まずは働きなさい。』ってさ。」

悲しそうな表情で、彼は続けてこう言いました。

「でも、役に立つ・立たないって
いったいなんなんだろう。
現代は、『役に立つかどうか』を判断するのが
早くなりすぎているんじゃないか。」

この彼の話がずっと頭に残っていて、
それからわたしはたびたび、
役に立つ・役に立たないって
いったいなんなのだろうか、と
考えるようになりました。

思いかえすと、
それまでのわたしは
「役に立つもの」が大好きでした。

大学の学部は、
つぶしがきいて、
何するにも役立ちそうだからと
法学部をえらびました。

就職・仕事に役立ちそうだからと
TOEICや簿記の勉強をしました。

それで、
じっさいにこの選択は
役に立ったのかというと、
役に立ったなと思っています。

法学部で学んだ
法律の基礎や得た学友は
いまのわたしを支えてくれている
大きな財産だなあと思います。

TOIECや簿記の
勉強で得た知識は、
しごとをしたり、世の中を理解したりする
助けになっているなあと思います。

なので、これらの選択は
役に立ったなと思っているのですが、
もしその選択をせずに
別の選択をしていたとしても
それはそれで
役に立ったのではないかとも思います。

「就職するときに
役に立たないからやめたほうがいい」と
あの先生に言われたあの大学のあの学部を
選んだとしても。

TOEICや簿記ではない、
「役に立たない、趣味の範疇ではないか」と
言われたあの勉強をしていたとしても。

彼が悲しそうに、
あのことばを発してからずっと。
ぼんやりと
「役に立たない」を考えてきた
わたしなりに、
いま考える「役に立たない」の
つかいかたがあります。

それは、
「これ、役に立たないな」と思ったときには
いちど立ち止まって、
「いついつ(まで)は」
「だれにとっては」といった
時間軸と対象者の限定をつけて
考えなおしてみる、というつかいかたです。

たとえば、
「これ、役に立たないな」と思ったとき。

「いまの」 
 (未来には役に立つかもしれない)
「わたしにとっては」
 (ちがう人を助ける時には役に立つかもしれない)
というふうに考えなおしてみます。

そして、そのあとに
「役に立つかもしれない
未来ってどういうときだろう」、
「役に立つかもしれない
わたしではない誰かってだろう」
と、それが役に立つ
時間軸、対象者を掘り上げて
考えてみます。

すると、
その「役に立たない」と
いちど判断したこと・ものの
別の役割や本質が見える
手助けになる気がするのです。

それから、誰かに対して
どうしても
「役に立たない」と言わないと
いけないとき。

そのときにも
そう思う理由としての
時間軸・対象者をセットにして
伝えて、
「もしかしたらこの条件では
役に立つかもしれない」
というふうにもつけ加えたい
と思っています。

これだけで、ことばが
だいぶんやさしくなりますし
可能性や広がりを感じさせる
すこし希望をもった話が
続きそうです。

「役に立たない」って
人を傷つけかねないことばだし
思考停止を招きかねない
ことばだなあと感じているので、
それだけ、つかいかたには
注意をしておきたいのです。

何かを否定することは、
簡単だけれども、
じゃあ肯定にもっていくには
どういう条件がつけばいいのだろう、
という思考のくせもつけておきたい、
というのもあります。

では、「役に立たない」のつかいかた、まとめ。

「役に立たない」の、つかいかた。

「これ、役に立たないな」と思ったときには
いちど立ち止まって
「いついつ(まで)は」
「だれにとっては」といった
時間軸と対象者の限定をつけて考えなおしてみる

さて、ここまで読んでくださったかた、
ほんとうにありがとうございました。

「あのことば」について
三回にわたってつらつらと
書いてきたのですけれど、
この記事じたいが
「役に立たない」ような記事に
見えるのではないかと思います。

じっさい、そうかもしれません。

最近よく実感するようになったことがあります。

「すぐに役に立つ」ものは、
「すぐに消えやすい」ということです。

いますぐには
理解しがたい「役に立たない」けれども
なんだかひっかかる。

もしそんなものに遭遇したら
すぐに切り捨てずに、
それを、
心の奥のたんすにしまっておくことに
しています。

「すぐに役に立たない」と思ったもの、
つまり
「ばからしい、もしくは難解なものや、
自分とまったく違うものなど」は
そのうち、
必要になったときに
じわじわと溶けだして
あらたな発見や教訓や
友を連れてきてくれることが
あリます。

そのうち、というのは数日から、三年、
もっとかかるときもあるでしょう。

そして、自分の役には立たなくても
誰か大切なひとを助けたいときに
役に立つこともあるでしょう。

ただ、日々は選択のくりかえし。
すべてを持っていくことは
できないので、捨てていくことも
しないといけません。

ですから、
心のたんすにしまっておくのは
「役に立たない」と思ったもののうち
なんだかひっかかる、
気になるものだけでいいかもしれません。

それでは、またどこかで。

美学を専攻していた、彼に捧ぐ。

(おわります)