もくじ
第1回ペンギン会議ってナンだ? 2017-05-16-Tue
第2回中々ペンギンが出てこない、上田さんのお話  2017-05-16-Tue
第3回全部がペンギンにつながった 2017-05-16-Tue

場所を介して、何かを伝えることを、
生業にしたいと思っています。
30歳になる今年、仕事と暮す街を変えました。
ホットドックが大好きな社会人5年目です。
よろしくお願いします。

「ペンギン会議」</br>ができるまで。

「ペンギン会議」
ができるまで。

担当・かとう

第3回 全部がペンギンにつながった

さぁ。先生の半生を伺ったところで、ペンギンの要素が全然無くなってしまいました(笑)。
上田
本当ですね(笑)。ドイツの大学から日本に帰ってきたのは27歳の時。そこで、食べて行かなくてはいけないので、必死に仕事を探しました。
元々18歳で父親になってしまっていたので・・ドイツ時代も夜はずっとバイトをしていたんです。
先生とペンギンを繋げた奥さまですね。
でも、18歳というのには驚きました(笑)。
ドイツも一緒に行かれていたんですか?
上田
ドイツは一人で行っているんです。
なので、妻には今でも、「自分をほったらかしにてドイツに行って」と責められます。全く頭があがりません(笑)。
とにかく働かなくてはいけない中で、軍事史の研究者として採用してくれる大学も見つからず・・私立高校の先生という道を選びました。
それでも、お金が足りなくて、防衛研究所で海軍史の研究をしたり、ガンダムをテーマにしたボード型のウォーゲームをデザインしたり、博物館の軍事に関わる展示の監修をしたり・・いろいろな副業もしていましたね。
大学で学ばれたことが活かされた副業ですね。
そちらに転職することは考えなかったのですか?
上田
そうですね・・というよりも、そうこうしているうちに、もう一度ペンギンに出会うんです。
1986年に、高校時代にも少しやりとりをしていた、日本ペンギン研究の第一人者・青柳先生が、「南アフリカで起きたタンカー事故で、重油にまみれてしまったケープペンギンを守ろう」という活動を起こして、新聞に掲載されたんです。
それを、妻がたまたま見つけて、教えてくれたんですよ。
思わず、青柳先生に手紙を書きました。
再び奥さまが、ペンギンと先生を繋ぐキューピッドに!!
上田
確かに、言われてみるとそうですね(笑)。
そして、いざ手紙を書き始めると、止まらなくて・・。
気づいたら、A4用紙で12枚もの文章になっていたんです!
高校時代にペンギンに出会ってから、約15年ぶりの再会・・。
上田
溜まっていた想いが溢れたんでしょうね(笑)。
すると数日後に電話がかかってきて。
「手伝って欲しい。南アフリカと連絡を取る窓口になってくれないか」と。
あとは、最初にお話させて頂いた通りの内容です。
その活動を通じて、ペンギンの世界にのめり込んでいき、
第一回国際ペンギン会議にアジア人で唯一参加し、
何故か二日目には、全世界代表の議長という大任を命ぜられました(笑)。
そのご縁もあり、日本に戻って来てから、国内でもペンギン会議を立ち上げることになりました。
想像していたよりも、遥かに波瀾万丈なお話でした(笑)。
先生の半生で静かに溜まりつづけていたペンギンへの想いが、
そのままペンギン会議に「熱量」として乗り移った・・。
会議の不思議なエネルギーの謎が少し解けた気がします。
ところで、ペンギンの活動が活発になる中で、
高校の先生を辞めようとは思わなかったのですか?
上田
そうですね。全く考えなかったですね。
ペンギンだけでは、どうやったって、食べていけないんです。
ペンギンをやるからこそ、先生の仕事は大切なんですよ(笑)。
ただ、いろんな回り道をしてきましたが・・。
全ての事がぐにゃぐにゃしながら、結果としてペンギンに向かって行ったのかな、と感じています。
ペンギン以外にのめり込んだことも、高校の先生をすることも、
全部が、回り道ではなかったのかなと。
もちろん、“振り返ってみて”の結果論ですが(笑)。
軍事史を通じて繋がった人経由で、新しいペンギンの仕事が生まれたりもしているんですよ。
最後にペンギンに辿り着いたのは、「運命」のようなもの、なのでしょうか?
上田
いや・・「運命」では、ないですね。
やっぱり、ペンギンは、自分で選んだんです。だからこそ、死ぬまでやっていくことになると思います。
でも・・一人では絶対に出来なかったと思うんですよ。
いろんな人と出会いながら、救われながら。だからこそ、ペンギンに向かっていくことができた。
「自分で選んだ」。
上田
でもね・・私も含めて、沢山の人が巻き込まれて、ペンギン会議につながったということに関しては、「ペンギンそのものに不思議な力がある」としか思えないんだよなぁ。
15年にもおよぶブランクの後に、「ペンギンの力」によって、ペンギンと再び出会う・・。
今日は元々、ペンギンから離れることを先生にお詫びするつもりだったのに、先生の話を聞いて、少し「いつかどこかでペンギンと再び出会える」未来を期待してしまった、自分がいます。
でも一方で・・今ここで「ペンギンを選ぶ」と言い切ることが出来ない、自分もいるんです。先生を前にして、恥ずかしいなぁと思っています。
上田
今はそれでいいんですよ。これまでの繋がりは、求めてさえいれば、いつか必ずどこかでまた繋がります。
後は、ペンギンの不思議な力が、何とかしてくれます(笑)。
きっと、人生の中でもう一度ペンギンの波が来ますよ。
実は来年、アジアの動物園・水族館からペンギン飼育者を集める会議を開催する予定があるんですよ。さっきの「南極からペンギンが消えた問題」のようなことも含めて、一度アジアのペンギン飼育状況を整理するきっかけを作りたくて・・スタッフとして手伝ってくれませんか?
えぇ?いいんですか?(笑)。
ペンギンの力、信じてみたいなと思います。
すいません、1時間のつもりがかれこれ2時間を超えてしまいました・・遅くなりましたが、本格的にお酒とご飯に取りかかりましょう!
今日は本当にありがとうございました。
上田
ありがとうございました。
ちょっと、何で辞めたのかの詳しい話と、これから水族館で誰を窓口にしたらいいのかは、ちゃん教えてね(笑)。

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おわります。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。