もくじ
第1回「好き」なのに辛くて苦しくなっていく 2016-11-08-Tue
第2回辞めなくてよかった 2016-11-08-Tue

社会人4年目、東京でひとり暮らしをはじめて8年目。
一度の転職を経て、現在は主に電子書籍を扱う仕事をしています。

お酒を飲みながら人と話したり、
本屋さんを探索するのが好きです。
青春群像劇的なものに きゅんとします。

弓道部という居場所

弓道部という居場所

担当・nao

第2回 辞めなくてよかった

こんなに練習してるのにまったく結果が出ないなんて
そもそも私には向いてないことだったんだ。

このまま辛い思いで3年間続けて、
引退時に何が残る?
だったらアルバイトでもして、お金を稼ぎながら
女子高生らしく毎日を遊んで青春謳歌した方が
よっぽどいいんじゃないか?

本気で何度もそう思った。

でも辞められなかった。

ひとつは、だめなままで終わりたくない、という執着心。
このまま辞めたら、一生自分はだめなやつだ、と思う。
この決断は方向転換ではなく、「逃げ」だと思ってしまう。
諦めが悪いと言われようが、
「向いてない」なんかで終わらせたくなんかない。

もうひとつは、先輩も同期も後輩も
周りの部員が大好きだったということだ。
F高校の弓道部はきっちりと教えられる顧問の先生が居ない。
OB含めて先輩から後輩への指導が基本だ。
平日はみっちり夜が更けるまで、毎週土日も練習。
練習日を自主性に任されていた自由な部風だったが、
大晦日にもみんなで道場で弓を引いていた。
(校内のすみっこなので、こっそり焼き芋や鍋もしていた)

こんなに毎日一緒にいて、練習していると
自然と密な関係になっていく。
付き合っていけばいくほど驚いたのだが、
みんな本当に「いいひと」というか
驚くほど気持ちの良い人たちばかりだったのだ。
明るくて、素直で、優しくて。
物事に対して一生懸命で根が朗らか。
人の良いところを見つけて自然と勇気付けができる。
陰口なんてぜったい言わないし、
女子独特のいやらしさもまったく無い。
いつも自然体で、心の強さを持ってる人たちだった。
自分には無いものばかりで眩しいくらいだった。

わたしは重度の隠れ人見知りで、
人と話せるけど本質では中々心を開けない。
ひとのことは好きだけど、同じくらい少し怖い。
正直に言うと、高校入学するまで誰のことも
信用できていなかったし
色々事情があって家族にさえ複雑な気持ちを抱えていた。
そんなわたしにとって、今まで生きていて
初めて出会えた心安らげて信頼できる人たち、
居心地の良いひとたち、それが弓道部の仲間だったのだ。
少し大げさな言葉になるけれど、
わたしを「人間」にしてくれたのは
この人たちのおかげなんだと思う。

こんなに大好きな人たち、また出会えるのかな?
いま弓道部を辞めたら、どうしたって
大好きなこの人たちと関係は希薄になるよなあ・・・
と思うと、辞められなかった。

あんなに練習して、大会で1本も中らないのは辛くて苦しい。
でもきっと、辞めても同じくらい悩んで苦しいんだ。
だったら、わたしは今の苦しさを選ぼう。
たとえ、現役時代の大会で
たった1本中るだけでもいいから
引退までに、なんとか克服しよう。そう決めた。

すると、2年の秋の大会で中てることができたのだ。
あんなに今まで中らなかったのに、ポンと。
私自身、ものすごくすごく驚いて嬉しかったし、
平静を装わなくてはいけない本番中、目が点になった。
そして自分の番が終り、退場したら
同期が一緒になって心から喜んでくれたのが
本当にほんとうに嬉しかった。
1年のあの大会から、長い道のりだった。
こんなに大会で中らない人、中々いないんじゃないかと思う。

そこから快進撃が続く・・・とは、
残念ながらマンガのようにはうまくいかない。
相変わらず大会での調子は芳しくはなかった。
そんなときを過ごしながら3年生の夏がやってくる。
最後の引退試合が近づいてきた。
この大会はインターハイの県予選で
部内で5人だけチームメンバーになれる。
私たちの代は人数も多かったし、後輩も上手かった。
私がなれる可能性は、はっきりいって相当低い。

でも、どうしても選ばれたかった。
ここで選ばれて、そして絶対に大会で結果を出したい。
もう執念しか無かったと思う。
ここで選ばれれば、オセロをひっくり返すように
今までのことを受け入れられるんじゃないかって。
その執念のおかげなのか、
負けず嫌いのカタマリのおかげなのか
部内競射の結果、なんとメンバーに入ることができたのだ。

飛び上がるほど嬉しくて、
と同時に、これで大会で結果出せなかったら
もう死ぬしかない。本気でそう思った。
最後の大会で大好きな仲間に迷惑かけるわけにはいかない。
さらに、両親が新しい矢を買ってくれたことも響いた。
家計の都合上、そんな余裕は無かっただろうに。
大会でだめだめ続きだった娘にせめて何かを、と
なんとか工面して買ってくれた両親の気持ちに深く感謝した。

高校3年生だったが、受験勉強のことは一切考えず
弓道のことだけを考えていた。
電車に乗って手すりをつかむときも、無意識に
弓を握る手の内を作っていた。
毎朝チャイムギリギリに通っていた朝も、
早めに登校して自主朝練に励み、
普段の練習はこれまで以上に鬼気迫る気持ちで取り組んだ。

ついに大会当日がやってきた。
死ぬほど練習したけど、自信は無かった。
自信をつけるためには練習するしかない、とは
よく言うが、練習してもしても今までの経験がよみがえり、
とたんに自信が無くなってしまう。

それでももう、信じるしかない。
執着と執念のかたまりである自分を。
要領良くはないけど、泥臭く練習した自分を。
そしてこんなに大好きな仲間と一緒なら、と。

・・・・

大会の結果、F高校弓道部は県3位になった。
残念ながら目標としていたインターハイには
出場できなかったが、全員が笑顔で終われた最後だったと思う。
わたしも、やりきった。
ああ、これで私の青春が終わった。
全て出しきった。そんな風に終われた最後だった。

もし、あのとき部活を辞めていたら。
それはまた別の人生があったかもしれない。
もっと楽しいこともあったかもしれない。否定はしない。
けど、どこかで自分のことを一生責めていたとも思う。
辛くて苦しくて泣いてばかりいたけれど、
最後の最後、本当に最後でようやく少しだけ自分を認められた。辞めなくて、よかった。
高校時代の私には部活しかなかった。
それくらい、全力で全てを賭けていた。

「カッコいい~」 
そんな理由ではじめた弓道は楽しさ以上に
辛くて苦しいものだった。
でも大好きな「弓道部」という存在が
弓道を嫌いにしないでくれた。
ただ「楽しい」「気持ちいい」だけじゃ
こんなに好きにはなれなかったんじゃないだろうか。
「弓道」も好きだし、「弓道部」が好きだ。
そんなふうに思えるものと出会えて幸せだったんだと思う。

高校を卒業して、もうすぐアラサーになる今でも
当時の弓道部仲間とはよく会う。
しょっちゅう連絡も取るし、家に泊まったりもする。
毎年の年越しカウントダウンにはみんなが集まる。
ああ、気づけば今年ももうすぐ12月だ。

(おわり)