- 古賀
- そういえば糸井さんが、
先日の「今日のダーリン」で
「3年先のことなんてわからないと思っていたけど、
どうなっていたいかぐらいは想像できるんじゃないか」
という文章を書かれてたじゃないですか。
それって、東日本大震災後に
気仙沼と関わるようになったこととは関係していますか。

- 糸井
- そうですね。
震災後、「どうしましょう」と
聞かれることが多くなって、
「おれもわかんないよ…」って
言ってきたんだけど、振り返ってみると、
3年後でも進みたい方向性くらいは
わかるんじゃないかと思うようになったんです。
そのひとつが、震災に遭った人たちと
「ともだち」になろうとすること。

- 古賀
- というと?
- 糸井
- ともだちが言ってくれたんだったら
素直に聞けるかなと思ったんです。
そうじゃない人からいろんなこと言われても、
「ありがとうね、ありがとうね」って言うけど、
やっぱり「ございます」が付いちゃうんだよね。 - 古賀
- ああ、なるほど。

- 糸井
- 誰と誰に何かしてもらったから
いつかお返ししなきゃ、とかさ。
ありがとうって言いっぱなしだと、
じぶんだったら、きっと焦って
事業欲が出るような気がする(笑)。
だから、普通に「ありがとう」って
言ってくれるような関係になりたいと思ったんです。
逆に、普通の「ありがとう」以上のことを
恩着せがましくしたら、
彼ら彼女らは、そうは言わないと思うんです。
そこがじぶんなりの基準だったんで。
ともだちになろうと意識することで
だいぶ変わりましたね。 - 古賀
- 何かあげればあげるほど、
いいと思ってる人もいますよね。 - 糸井
- でも、それは絶対ちがいますよね。
向こう側からぼくを見て、
余計に思えることをしていないかなって
いつも考えるようになったんですね。

- 古賀
- 糸井さん、震災のときに、
「当事者じゃなさすぎる」という
言い方をされてたじゃないですか。
特に福島との付き合い方とかの距離感の問題とか。
当事者になることはやっぱりできないので、
そこのヒントというか、きっかけが、
「ともだち」ということになるんですかね。 - 糸井
- そうですね。
だから、もし前から知ってる人がそこにいたら、
こういう付き合い方をしたいなって考えられるのが、
たぶん、じぶんが唯一できること。
親戚って考えてもダメなんですよ、ぼくにはね。
親戚のことなんか、あまり意味はないから。
家族って考えると、もう当事者に近い。 - 古賀
- そうですね。
- 糸井
- 古賀さんは、その辺のときは、
どうじぶんの考えを納めようと思った?

- 古賀
- ぼくはちょうど、
ピースオブケイク代表の加藤さんと
一緒に本をつくってる時期で。
5月ぐらいに出版予定の本だったんです。
ただ、このまま震災に触れずに、
本を出すのはおかしいよねって話をして。
本のテーマとは全然関係なかったんですけど、
とりあえず著者の方含めて3人で、4月に現地を回って。
ほんとに、瓦礫がひろがっている状態でした。 - 糸井
- 行くだけで大変ですよね。
- 古賀
- そうですね。
当時は交通手段も限られてるような状態だったので。
そのときに思ったのは、今のこの状況では、
東京にいるぼくらにできるのは、
じぶんたちが元気になることだなと思ったんですよね。
ここで下を向いて自粛したりするのではなく、
ぼくたちがやらないと東北の人たちも
立ち直ることが難しいだろうからっていうことで、
意識を逆に西の人たちの方に向けて、
頑張ろうよ、と思ってた時期でしたね。 - 糸井
- 無量感ですよね、まずはね。
- 古賀
- そうですね、ええ。
じぶんだけでは何もできないなと思ったので。

- 糸井
- あの、何もできないという思いは、
ずっと形を変えて、小さくぼくの中にも残ってますね。
やった人たちに対する感謝と合わせて。 - 古賀
- はい、そうですね。
- 糸井
- 同じように、『モテキ』っていう
映画を撮ってたのもあのころで。
監督の大根さんと話したときに感じたんですが、
とにかく『モテキ』を止めないでやるっていう判断は、
大変なことだったと思うんですよね。
でも、「止めないんだ」って決めるしかないわけですね。
ぼくは、ごく初期のころに、
「本気で決断したことは
全部正しいというふうに思うじゃありませんか」
みたいに書いたことがあるんですが、
ぼくは『モテキ』の話は、あとで聞いて、
やっぱりそうだったなぁと思ったんですよね。 - 古賀
- うん、そうですね。
- 糸井
- わりにぼく、お節介に止めたことがあったんですね。
まだ出番はあるから、みたいな言い方して。
それはじぶんに言ってた気がする、同時に。
そういうことしたくなっちゃうよなというか。

- 古賀
- はい。
- 糸井
- そのときを振り返って思うんですが、
「じぶんの肩書き」って足かせになるんです。
ライターだからとか、編集者だからとか、
じぶんのできることはこういうことだなって考える発想を、
なるべくやめようと思ったんですよ、実は。
そのあたりが、さっき古賀さんが言った、
「ライター」っていう職業から考えることと、
ちがったとこなんですよね。 - 古賀
- なるほど。
- 糸井
- 「個人の名前」としてどうするかっていうのを、
とにかく先に考えようと思ったんですよね。
そうじゃないと、
職業によっては今何も役に立たなくて、
来てもらっちゃ困ってしまうことだってあるわけで。

- 古賀
- そうですね、うん。
- 糸井
- 当時、「ぼくは歌い手だから」という理由で
ギターを持って出かけてった人がいっぱいいたけど、
君は来てほしいけど君は来てほしくないってことは
絶対あったと思うんですね。 - 古賀
- はい。
- 糸井
- 「ぼくにできることは何だろう」って発想って、
ついギター持って行っちゃうわけで。
でも、それはちがうんだろうなと思うんです。
だからぼくは、ともだちに御用聞きするって決めて、
豚汁を配る場所で列を真っ直ぐにするみたいな
手伝いをした(笑)。
そういう発想で、ぼくらがともだちの延長線上で
何ができるかみたいなことを、
できる限り考えたかったんですよね。
でもずっと悩んでました、当時はわからなかったから。 - 古賀
- そうですよね。

- 糸井
- 震災がなくて、そういうことを考えなかったら、
今ぼくらはこんなことしてませんよ。 - 古賀
- かもしれないですね。
- 糸井
- カラスがガラス玉を集めるみたいな
つまんない小競り合いをしてたんじゃないかな。 - 古賀
- 糸井さんとか、ほぼ日の活動を見てると、
そこをうまくコントロールしてるというか、
言い方が変かもしれないですけど、
しっかりと正しい道を選んでる感じがして。
「俺たちはいいことをやってるんだ」っていうふうに
じぶんを正当化しちゃうと、結構間違ったことをしがちで。
だから、「ともだちになろうする」っていう起点が、
たぶん他とはちがったんだろうなと思いますね。

- 糸井
- そこはやっぱり、吉本隆明さんの影響が強いですね。
吉本さんが、前々から、
「いいことやってるときは悪いことやってると思え」、
「悪いことやってるときはいいことやってると思え」って、
まったく逆に考えるということを言っていて。
その考え方を、社内の人たちがわかって動けた気がする。
そこは、不思議なぐらい通じたんです。 - 古賀
- だから糸井さんは、
こうしようとコンセプトを述べたりすることが
そんなになくて、いつもの感じで、
みんなが動いていたように思えたんですね。 - 糸井
- その意識については、
これからも間違わないんじゃないかなと
いうような気がします。
間違わないぞ、という決意でもありますよね。
でも、もし間違ったら言ってくださいね。
ちょっといい気になってたら(笑)。

(つづきます)