- 各務
- でもそうやって、アポ取って、
東大まで会いに行ったんだよ。 - ――
- そこ頃は、モザイクタイルの収集はまだ?
- 各務
- ちょうどね、始めた頃だったんだ。
平成5年くらいから始めとるからね、
もう23年前かな。
その頃に建築の本とかも読んだりしたわけよ。 - ――
- 今思うと、スゴイ瞬間ですね。
運命の出会いみたいな(笑) - 各務
- それで先生の空いてるスケジュール見て、
講演行きましょうってなって、
笠原町に来てくれることになったわけ。
ここの横に公民館あるでしょ?
あそこの会議室でやることになったわけよ。
だけど、誰も「藤森照信」の名前知らないのよ(笑) - ――
- (笑)当時は、また今ほど有名になる前だったんですね。
- 各務
- いや、僕も知らなかったけど、
『タンポポハウス』っていう先生の自宅ができた頃かな。 - ――
- なるほど。
- 各務
- とにかく、人集めが大変だったんだよ。
知り合いに片っ端から電話して、何とか人は集まってさ。
講演が終わった後に、
「先生ありがとうございました。
ところで、先生は建築もやってらっしゃるんですか?」
って話してて、そこで知ったわけ。
「長野県茅野市の実家の近くに設計した資料館があるよ。」
って。 - ――
- あ、知ってます!
見に行かれました? - 各務
- 行ったよ。カミさんと二人で。
『神長官守矢史料館』を見に茅野へ。
でも、当時は地元の人も知らなくて、
場所もわかりゃせんくて、大変だったよ(笑) - ――
- 今じゃもう、有名ですよね。
- 各務
- ほんと誰も知らなくて、探して探して・・・
ある道路に入ってったら、スって見えたわけ。
「あ、これだ!!」って。
そこで衝撃を受けたよ、オレ。
これだ!!って、その時から決めちゃってた。 - ――
- そうなんですね、
その時からミュージアムを依頼したいと? - 各務
- そう。
その後、岐阜県からも先生の講演会を依頼されたりして、
オレもいろいろ協力したよ。
それから何回か、やったんだ。 - ――
- 講演会以外にもされたんですか?
- 各務
- ちょうどそこ頃、
「路上観察学会」ってグループを作ってらして。
赤瀬川原平さんや南伸坊さんなんかとね、
5人ぐらいでやってらしてね。
多治見市で活動してるクラフト団体から、
陶器祭りに合わせて「路上観察学会」の皆さまを
呼んでほしいって頼まれて。 - ――
- 各務さんに?
- 各務
- そうなんだよ。
で、実は予算もあんまりなかったもんだから、
2泊3日で来てもらったんだけど、
うち一日は、オレの家に来てもらったんだよ(笑) - ――
- え、それはすごいですね!
- 各務
- そうだよ。
でも、すごく楽しかった。
あぁ、日本の文化人はこういう会話をするんだなって。
とにかく面白かったし、楽しかった。 - ――
- すごく魅力的な会ですね!。
ぜひその場に居合わせてみたかったです(笑) - 各務
- 率直なんだよ、会話が。
みんな、行きの新幹線で、
藤森先生から今日の行き先と目的を
初めて聞いたって言ってたし(笑)
田舎のお金持ちの道楽で呼ばれたのかなぁ
とか思って来てみたら、そうでもないね!
って言われて(笑)
すごい面白かったよ! - ――
- 楽しそうですね、その会話(笑)
- 各務
- もうね、5人もいるもんだから、
みんなで一つの話題について話すんじゃなくて、
それぞれ勝手に話したりもしてて。
覚えてるのが、
オレの親戚にピンホール写真を撮る写真家がいてねって
話を持ち出したら、
有名な坂本竜馬の写真は、
きっとそれだったんだろうって話になって。
あの写真がなんでそういう姿勢になっただとか、
どうして肘を付いているのかとか、
何分あの姿勢をしていたかとか、
そういう話を延々と続けていくわけ。
もう永遠と(笑) - ――
- 次から次から話題が
生まれていっちゃうんですね(笑) - 各務
- そう。
どこかの企業がどーだとか、
あそこは危ないとか、
そういう世の中の話じゃないわけ。
だから、すごく面白かったんだ。 - ――
- 素敵な夜だったんですね。
(つづきます)