イセキさんのジュエリー雑記帖

ロンドンを拠点に
アンティークや
ヴィンテージの
ブローチを探し、
ご紹介していた
イセキアヤコさんの
人気コンテンツ

リニューアルして
かえってきました。
雑記帖という
タイトルにあるように、
ジュエリー全般に
まつわるあれこれを、
魅力的なエッセイと
写真でお届けします。
不定期更新です。

profile

イセキアヤコさんプロフィール

京都出身。2004年よりイギリス、ロンドン在住。
アンティークやヴィンテージのジュエリーを扱う
ロンドン発信のオンラインショップ、
tinycrown(タイニークラウン)
を運営している。

Vol.25 遺灰の壺(前編)


© Sotheby's  exhibited by Museum of Mourning Art, Drexel Hill, Pennsylvania

冬の寒い夜、就寝前の22時ごろだったと思う。
ポーンというメールの着信音がして、
私は携帯電話に手を伸ばした。
マイケルの妻、エレーナ からの連絡だった。

「今日の昼にマイケルが亡くなりました。心臓発作でした。
仕事の打ち合わせを終えた直後に倒れて、
病院に運ばれましたが助かりませんでした。
私とザックのことはどうか心配しないでください。
葬儀を行うので、詳細をまた知らせます」


「えっ、嘘でしょう」
私は思わず、寝ていたベッドから身を起こした。
そんなことがあるだろうか。マイケルとは数日前に
近くのスーパーマーケットで会ったばかりだ。
彼は8歳になる息子のザックを連れていて、
いつもの髭もじゃの人懐っこい笑顔で
「アヤコ、久しぶりだね。また近いうちに子どもたちを
会わせてあげようよ」と言ったのだ。
ザックとうちの息子は幼稚園の同級生で、
それ以来家族ぐるみで仲良くしていたが、私たちが隣町に
引っ越したので以前よりも会う機会が減っていた。


マイケルが私に発した最後の言葉は
‘Let’s keep in touch.(これからも連絡を取り合おう)’
だった。
彼の、低くこもったような声がまだはっきり耳に残っている。
これは、私たち夫婦がイギリスに住んでから初めて直面した
とても近しい友人の死であった。5年近く前の話だ。


そして葬儀の日がやってきた。
日本の葬式といえば、たいてい亡くなった翌日に通夜、
その翌々日に葬式、といった順番でどんどん進んでいくが、
イギリスの葬儀は亡くなってから2週間後、3週間後、
といったふうにずいぶん時間をあける。
家族が心の整理をする時間と、葬儀の準備をする時間を
しっかりとるのだ。
それまでマイケルはどうしているかというと
お葬式待機用の安置所にいるのだという。


当日の段取りはエレーナから案内をもらっていた。
教会でお祈りを捧げたあと墓地へ移動し、
棺の埋葬をしてから近くのパブでお別れの会をするらしい。
私と夫は喪服に身を包み、息子には
小学校の制服のズボンに黒靴、正月用にと買っていた
よそいきのグレーのセーターを着せた。


私たちは子づれなので埋葬とお別れの会にのみ参加させて
もらうことにした。指定された時間に墓地に行くと、
人が集まり始めている場所があったのですぐにわかった。
しばらくして霊柩車が到着、そしてエレーナとザックが
最後にやってきた。
出てきた棺が植物の蔓(つる)で編まれた直方体の
蓋つきの箱だったのにまず驚いた。
たしかにそのほうがもろとも土に還りやすいかもしれないが、
日本の棺桶のような小窓は一切ついていない。そうか、最後に
マイケルと対面してお別れを言う機会すらもうないのだ。


さらに驚愕したのは、ポールベアラーと呼ばれる棺の運び役の
男性4人が、肩だけを使って棺を墓穴まで運んだことだった。
どうして手を使わないのだろう。
4人のうちの誰かがつまづいたら、マイケルが棺桶から
転がり出てしまうではないか。私はハラハラしながら
ポールベアラーの動きを見守った。
これはイギリスでは伝統的な棺の運び方で、ショルダリングと
呼ばれるものだと後に知った。


イギリスは、墓地に火葬場が併設されているところもあるが、
マイケルのような土葬も珍しくないという。
棺が最後にロープで墓穴に下ろされていくのを見て
どうしようもなく涙が滲んできた。
あの中にマイケルがまだいるのだ。
つい先日まで元気だった彼が。
マイケルはイギリスでは著名なジャーナリストだったので、
葬儀の数日前に新聞に大きな追悼記事が掲載された。
それを読んだとき、私はようやくほんの少しだけ彼の死が
ほんとうなのだと信じることができた。
ザックはまだ父親の死を実感できていない様子で、
参列者に混じってぼんやり立ち尽くしていた。
エレーナは気丈に振る舞っていたが、
遺された幼い息子とふたり、どんな気持ちだろう。
そう思うと、その場では声をかけることができなかった。


私はあたりを見まわした。
よく考えたら、それまでイギリスの墓地を
ちゃんと訪れたことはなかった。
ロンドンの墓地にはさまざまな墓石が並んでいた。
シンプルに十字架の形をしたもの、
ケルトの民族模様が刻まれたもの、
石でできたテディベアの子どもの墓。
古いものは苔むして、傾いているもの、
石が割れているものも
けっこうあった。大きく立派な墓で、
四角いplinth(プリンス)と呼ばれる台座の石の上に
壺の形をした彫刻が乗ったものもある。
そうだ、あれはたしかurn(アーン)と呼ばれる壺だ。
私は、ある物を思い出した。



遺灰の壺「アーン (urn)」がモチーフの18世紀イギリスの指輪。
絵の部分はペイントに加えて人の髪の毛が使われている。
これらは故人を偲ぶためのメモリアルジュエリーだった。
上から順にmuseum number AF.1721、AF.1731、AF.1651
全て © The Trustees of the British Museum

2020-11-05-THU

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