深海。
JAMSTEC藤倉さん&江口さんに訊く
ぼくらの足元に広がる未知なる空間
「深海」について、
海洋研究開発機構(JAMSTEC)の
藤倉克則さんと江口暢久さんに、
あれやこれやと、うかがってきました。
藤倉さんは、有人潜水調査船
「しんかい6500」などで、
40回以上、深海へ潜っている研究者。
江口さんは、世界最大の
地球深部探査船「ちきゅう」に乗って、
海底を何千メートルも掘っている人。
光なき世界、奇妙な住人、生命の起源。
巨大地震の震源も、多くは、そこに。
真っ暗闇で、ぶきみだけど、
知的好奇心をかき立ててやまない世界。
全5回でおとどけします。
担当は「ほぼ日」奥野です。どうぞ。
第一回
深海に興味津津。
──
昨年、国立科学博物館で開催された
特別展「深海2017」に行ったんですが、
ものすごい人の数で、
正直、先に進むのも大変なほどでした。
藤倉
あれ、さすがに混みすぎてましたよね。
反省してます。
──
いえいえ、
みんな「深海」に興味津々なんだなと、
あらためて思いました。



とくに「生物」といいますか、
自分の前に並んでいた若い女性なども、
暗くて深い海に棲む、
少々、気持ち悪い系の生き物の展示を、
熱心にスマホで撮影していたり。
江口
いっぱいいますよ、そういう人。
──
はい、自分もそのうちの一人ですので、
本日はいろいろと
うかがいたいと思ってきたのですが、
まず、深海の研究というのは、
いつごろから、はじまったんでしょう。
藤倉
大昔のことで言えば、
ローマのアレクサンダー大王さんがね、
海に潜ってみたいと言って、
窓枠をはめた樽かなんかに乗り込んで
海に潜ろうとした‥‥
という伝説が残っているんですけどね。
──
アレクサンダー大王さんと言うと。
江口
BC何百年、まあ、紀元前でしょ。
──
キリスト以前の大昔から、
深海は、人々の心を捉えてたんですね。
藤倉
ま、それはあくまで言い伝えで、
きちんとした記録として残ってるのは、
だいぶ時代が下って1818年、
ジョン・ロスさんという北極探検家が、
北極海1464メートルの海底から、
ウニだとかヒトデの仲間の海洋生物を、
採取したらしいんですよ。
──
わあ、200年前ですか。
1464メートルから、ウニ・ヒトデの仲間を。
藤倉
ただ、当時は、あんまり、
注目されなかったみたいですけれどね。



日本で言えば、
伊能忠敬が全国地図をつくってたころ。
──
ははあ、その時代ですか。
藤倉
その後1839年に、こんどは
エドワード・フォーブスさんという学者が、
深海生物をつかまえようとして、
つかまえられなくて、
海底500メートルより深いところには、
海の生物はいませんよと、
世界へ向けて宣言しちゃったんですね。
──
え、ジョン・ロスさんが、
20年も前に、
1464メートルから取ってきてるのに?
藤倉
そう、だから、フォーブスさんの宣言は、
すぐに覆されちゃったんですが、
そんなこんなをやってるうちに、
1872年だったかな、
イギリスが
「チャレンジャー号」という船を建造して、
世界一周の海洋調査に出るんです。
──
おお、チャレンジャー号。
後のスペース・シャトルと、同じ名前。
藤倉
現代につながる本格的な深海の調査は、
この船からはじまりました。



今の海洋学の基礎をつくったと言える、
画期的な船だったんですが、
当時は、まだ「ワイヤ」がなくて‥‥。
──
あ、深海の調査には必須アイテムの。
藤倉
なので、麻で太いロープをつくったりして
一生懸命に水深を測ったり、
網を引っ張ったり、鉱物を採取したりして、
世界の海底にはさまざまな生き物がいると、
明らかにしていったんです。
──
深くて暗い海の底には、
まだ見ぬ世界が広がってるんだ‥‥と。
江口
つまり、他の科学研究の歴史とくらべると、
ごく最近なんです、深海研究というのは。
──
ワイヤをはじめとした、
近代的な道具が、必要だったんですものね。
藤倉
そう、深海の調査って、
まずワイヤとウインチが発明されたことで、
ドラスティックに進化して、
さらに「音」が使えるようになって‥‥。
──
音‥‥音波?
江口
水中では「光と電波」は通じませんが、
音については、
大気中よりもはるかに速く、遠くまで、
飛ばすことができるんです。
──
おお、なるほど。
藤倉
海底の地形図も、音を使って描いています。



水温にもよりますが、音は水中を
「1秒間に何メートル進む」ということが
わかっていますから、
音が海底から跳ね返ってくるまでの時間で、
水深を割り出しているんです。
江口
ぼくは、海底よりさらに下の世界のことを
ずっとやっていたんですけど‥‥。
──
海底より下?
江口
そう、下。海底より下の地層を調べるのにも、
音の反射を応用して分析しています。



水中では、音がもっとも頼りになるんです。
藤倉
ここに断層が走ってるよとか、
ここにメタンハイドレートが埋まってるとか、
石油はこのあたりにあるぞ‥‥とか。
音波で海底下の構造を調べる、マルチチャンネル反射法探査システム。
船に搭載したエアガンという装置から音波を発信し、
海底面や海底下の地層の境界で反射した音波を、
船の後ろから海面に展開した
ストリーマーケーブル(マイクを内蔵したケーブル)で受信する。
このデータを解析すると、地層の様子や断層の入り方などの海底下、
十数キロメートルまでの構造がわかる。©JAMSTEC
──
逆に言うと、音以外には手がかりのない世界。
藤倉
そうですね。光が届かないから。
江口
リモートのロボットの潜水艇で
海底に潜っても、
見えるところは限られてますし。
藤倉
でね、話をちょっと戻しますと、
そうやって、海に浮かんでる調査船から
音を飛ばしたりとか、
ワイヤを降ろして引っ張ったりとか、
そういう調査は、
もちろん今でもやっているんですけどね。
──
はい。
藤倉
でも、エポックメイキングだったのは、
やっぱり「潜水船」の登場です。
──
実際に、人が、深海へ潜っていける船。
藤倉
アルバトロス号やバチスカーフ号など、
いかに深く潜っていけるかを追求した、
探検的な潜水船については、
欧米諸国が、つくっていたんですけど。
──
ええ。
藤倉
科学研究のための潜水船をつくったのは、
我が国が最初なんです。
──
へえ、日本が。そうなんですか。
藤倉
戦前のことです。
──
え、そんな早くに?
藤倉
当時、西村さんという大金持ちがいて、
その人が、自分のお金で、
西村式豆潜水艇1号という船をつくって。
──
豆。1号というからには‥‥2号も。
藤倉
あります。
──
そんな、私財をなげうってまで、
西村さんは、
なぜ国の機関がやるような仕事を‥‥。
藤倉
われわれ日本人はシーフード大好きで
水産資源をたくさん食べますが、
当時の日本の食糧事情を考えたときに、
深海の調査が重要だということで。
──
その使命感で。西村さん、すごいです。
藤倉
しかし、その西村さんの西村式豆潜水艇は、
第二次世界大戦に負けて、
連合国に接収されてしまったそうです。



その後、アメリカが、
アルビンという潜水調査船を建造したのが、
たしか、1964年だったかな。
──
宇宙の開発競争が熱かった時代に、
人類は、海の底にも目を向けてたんですね。
藤倉
ええ、ちょっと技術的な話になりますけど、
潜水船の開発に関して、
それまで、何といっても難しかったことは、
「浮きあがらせること」なんです。
──
あ、潜ったものを、浮かせる。
藤倉
アルビン以前は、
水より軽いガソリンを大量に積んで、
その浮力を頼りに浮かんできたんですが、
アルビンでは、
「シンタクティックフォーム」という、
画期的な浮力材を開発したんです。



これは、マイクロメートル単位の
ガラスのシャボン玉、
中空のちっちゃいガラス玉を大量につくり、
エポキシ樹脂で固めたもので、
深海の水圧がかかっても、潰れないんです。
──
はー‥‥そんなふうにして、
人は、海の底から上がってくるんですか。
藤倉
さらに、30年以上前からは、
ロボットを潜らせますという時代に入った。



なので今では、ワイヤにもつながってない、
人工知能を搭載した無人ロボットが、
世界中の海底を探査しているんですが‥‥。
──
ええ。
藤倉
深海研究における「最大の発見」は、
1970年代後半に、
すでに、もたらされていたんですよ。
──
最大の発見?
藤倉
はい。
<つづきます>
2018-06-25-MON